独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

ジャーナリストが立候補することについて

2016-07-31 00:59:04 | 日記
本日、自宅近くの中野駅北口で、都知事選に立候補している鳥越俊太郎氏の選挙演説があるというので足を運んでみた。記者会見やこれまで報じられた演説内容に疑問を持っていたので、実際にこの目で確かめる好機かと思った。自民、民主党を問わず組織を背景にした候補には飽き飽きしたので、特段の期待があったわけではない。ジャーナリストを肩書にしていた人物が平気な顔をして政界に転身する日本の異常さについて、何か考えるヒントが得られればという気持ちがあった。



演説内容は目新しいものがなく、「非核」「原発反対」のスローガンが際立った。対立候補への攻撃もこのテーマに関するものだった。安倍批判をするたびに、明らかに動員されたと思われる人たちの拍手が起き、国政選挙かと見まがう印象を持ったが、都政については大した中身はなかった。だが大きなミスもなく、たびたび耳にしていた悪評に比べ、大過のない演説だったと感じた。気になったのは応援演説をした地元選挙区選出の民主党、長妻昭衆院議員のスピーチだった。舛添前知事の政治資金不正流用問題を指摘し、長妻氏はこのように話した。

「鳥越さんはジャーナリスト出身なので、情報公開には熱心に取り組んでくれるはずだ」

長妻氏も元日経ビジネス記者なので、同じように元ジャーナリストの身分を持つ。ジャーナリスト=透明というステレオタイプの図式を群衆に刷り込もうと思ったのだろうが、強烈な違和感を感じた。政治家は多くの情報に接するが、自分に都合の悪いものは隠すのが習性だ。権力を握った者の宿命だと言える。それを暴くのがジャーナリズムの重要な使命である。立場が変わればものの言い方も、考え方も変わる。ジャーナリストであろうとなんであろうと、政治家になれば政治家の利益と責任に応じた行動規範に従うのは、自明の理である。鳥越氏本人は行政の透明性について一言も触れていないので、特段、ジャーナリスト出身であることを売り物にしているようには思えなかった。

ずいぶん「ジャーナリスト」が安っぽく使われたなあ、という後味の悪い感じが残った。職業選択の自由は憲法で保障されており、違法でない限り、だれがどのような職業を選ぼうと自由だ。だが、権力と一線を画し、権力を批判する立場に立つべきジャーナリストが、一転して権力者を志す以上、しかるべき理由をきちんと説明する責任がある。この点、近年、とみに増えている‟元ジャーナリスト”の立候補者が、180度の転身について、有権者が納得する答えを述べた例はないように思う。突然、身を翻すようにしてもっともらしい政治公約を掲げ、その公約がジャーナリストではなぜ実行できず、なぜ政治家の道を選ばざるを得なかったのか、肝心なことは飛び越えている。選挙民もそんなことには関心がない。テレビでなじみのある顔がどうかが大事なのだろう。

それほどジャーナリズムの権威がなくなっているのだとしたら、それはそれで悲しい現実だ。確かに、「安倍政権の言いなりになる都政を許してはならない」という長妻氏の発言には拍手喝さいが起きたが、「ジャーナリスト出身だから情報公開には熱心」と聞いても反応はなかった。気にする私が非常識なのかも知れない。

明治期に発行された主要新聞は、政治主張を中心とした「大新聞」だった。国会開設を前に、それぞれの政党が異なる政論を戦わせる場が新聞だった。新聞はオピニオンリーダーとしての主導権争いをする手段だった。だから新聞人と政治家の境は無きに等しかった。その後、商業ジャーナリズムが主流となり、ニュースや娯楽を主な内容とする「小新聞」の時代を迎える。不特定多数の大衆を読者に想定するため、「不偏不党」「政治的中立」を標榜するいわゆる客観報道がキャッチフレーズとなり、脱政治化が進む。

一方、テレビの登場でメディアの娯楽化、脱政治化がますます進む一方、メディアで知名度を上げ、選挙に出るタレント候補が続出する。メディアの脱政治化を反映し、タレント候補自身にも特段の政治思想があるわけではない。政党にとっては広告塔の役割を担うだけで十分なのだ。個別テーマで賛成・反対を表明するのが関の山である。普通の庶民がある日突然、「反対」と叫ぶだけで政治家になってしまう奇異な世の中になった。

政治家の悪口だけを言っても、世の中がよくなるとは思えない。ジャーナリストの素質を説いたところで、サラリーマン記者が多い世の中では暖簾に腕押しだろう。では傍観するしかないのか。少なくとも私は、「投票しないのも権利だ」という似非民主主義者にはなりたくない。
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日中友好団体幹部の拘束で報じられていない盲点

2016-07-30 12:34:04 | 日記
7月28日、「日中友好団体幹部」が北京で拘束されたとのニュースが流れ、関係者は度肝を抜かれた。「50歳代」「社民党」「茨城県出身」など断片な個人情報が飛び交い、奇異な感じがした。公共性の高い人物が、半ば公務中に遭遇した事件ではないのか。実名が原則である。当事者の安全にも影響が考えにくい。当該分野では著名人であるはずで、いつかはわかる話だ。非常に不可解な匿名報道である。

菅義偉官房長官も同日午前の記者会見で、「7月に北京市で邦人男性1人が中国当局に拘束された旨、中国から通報があった」と事実関係だけを公表し、「日本政府はいかなる国に対してもスパイ行為はしていない」と政府の責任回避に終始した。だが、日本発の中国語ニュースサイト「日本新聞網」が男性を「日中青年交流協会理事長の鈴木英司氏」と明らかにし、世界に発信された。日本人はいつものことながら情報断絶の孤島に残された。

日本メディアは依然、かたくなに個人情報を封印している。そのくせ、中国外務省が個別取材に対し「国家安全に危害を与えた容疑で調べている」とコメントしたとの“独自情報”を、何の判断もせずに報じている。「スパイ事件」を強調する情報操作が行われている可能性に気付いていない。不偏不党、中立を原則とする「客観報道」の無責任ぶりが露呈された。これでは「日中友好団体」「拘束」「スパイ」という断片的なキーワードが独り歩きし、流言蜚語を拡散させるしかない。

この事件で注目すべきは、なぜ日中青年交流協会なのかという点だ。同協会のHPは団体名の発覚後、閉鎖された。だがそれまでHPには中国側のカウンターパートとして「中華青年連合会(全青連)」の名が記され、理事長メッセージにも「1983年、中華全国青年連合会の受け入れによりはじめて中国を訪問しました」と書き込まれていた。

全青連は建国直前、五四運動記念日の1949年5月4日に設立された中国最大の青年団体で、胡錦涛前総書記や李克強首相、さらには次期指導者として有望視される胡春華広東省党委書記らを輩出してきたエリート集団だ。胡耀邦総書記時代、日本人青年3000人の訪中団を受け入れたのが全青連(胡錦濤氏は当時、全青連主席)で、以来、日本にとっては貴重な対中交流の窓口でもある。その中核にあるのが中国共産主義青年団、いわゆる共青団である。

共青団出身者は俗に「団派」と呼ばれる。団派ですぐに連想されるのは7月4日、収賄と国家機密の不法取得、職権乱用の罪で無期判決を受けた令計劃・前人民政治協商会議副主席だ。令氏は胡錦濤総書記時代、秘書役の党中央弁公庁主任を務め、胡錦濤氏にとっては腹心中の腹心に当たる。令氏の失脚は団派の総崩れに等しい効果を生む。

実際、現指導部の団派で李克強に次ぐ李源潮国家副主席は、令氏と関係が深かったことから、海外のニュースサイトに金銭問題がしばしば報じられ、摘発間近を思わせるほどだ。習近平総書記が重要人事を決める来年の第19回党大会を前に、団派を追いつめる権力闘争が本格化していることを物語る。

だとすれば、団派とつながる日中友好団体幹部の拘束にも、激烈な政治闘争が影を落としているとみるのが妥当なのではないか。そうした角度から分析をすることは不可欠だと思う。団体名を伏せて報じている日本メディアの報道には、必然的に事件の背景が捨象される。過剰な匿名報道の落とし穴である。
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豪雨の中国で語り合ったこと、感じたこと

2016-07-28 13:08:42 | 日記
20日から27日まで北京を訪れた。初日、北京は豪雨に見舞われ、首都空港では100便以上がキャンセルとなった。もっと悲惨だったのは河北省だった。石家荘からさらに南に下った山間部は19日、大洪水に見舞われ、130人が死亡、110人が行方不明となる惨事に発展した。裸のまま横たわる子どもの遺体など、数多くの写真がネットに流出した。自然災害の猛威に人が無力であるのはやむを得ないにしても、農村がまとまりを欠いて弱り、なすすべもない悲鳴を上げているように感じた。若者は都市へ出稼ぎに出かけ、村を守るのは女性と老人、子どもだけだ。抵抗力を失い、なすがまま、されるがままの状態なのだ。被害者の名簿には、それがはっきり表れている。



最も被害の大きかった邢台市では、当局の不適切な対応を糾弾する声が拡散し、董暁宇市長ら幹部が記者会見でそろって頭を下げた。



住民を避難させずにダムを放水したとする非難(後に当局は否定)や、「だれも死んでいない」という役人の発言が伝えられ、水害の現場も情報も大混乱した。邢台市経済開発区の王清飛・副書記は、「何人死んだのかわかっているのか!」と泣き叫ぶ村人の前でひざまずき、わかってほしい」と懇願するありさまだった。



邢台市の祝村鎮河曲村党支部の劉辛征書記は水害対応の作業中に流され、死亡した。ネットには、村人が橋の上から竹の棒で川を探り、書記を捜索する写真が流れた。



それに引き換え、微動だにしない北京・故宮の威厳が人々の好奇の目を誘った。「600年前の排水施設は完璧」であり、龍の口につけられた排水口が水を放出する写真が大量に出回った。「1000の龍は>大暴雨を恐れず」というわけだ。





皇帝は強いが、庶民は弱い。国は強いが、国民は弱い。その構図が変わっていないのだとしたら、由々しき事態である。




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いわゆる皇室報道のタブーの大きな誤解について

2016-07-19 10:46:08 | 日記
日本の皇室報道にはタブーがある、というのが世界の共通認識になっている。日中メディア交流などの場で、日本側が中国の言論統制を指摘すると、中国側からはきまって「日本だって天皇報道はタブーがあるじゃないか」と反論がある。だがちょっと待ってほしい。宮内庁担当を経験した記者としては、実態を踏まえないステレオタイプの評価が定着していることにひとこと言っておきたい。

日本で天皇家の話題が大きなニュースになるとき、それは結婚、出産、そして病気、訃報と決まっている。誕生から葬儀に至る天皇家の継承にかかわる事柄は、一家の私事にとどまらず、天皇にかかわる制度の極めて公共的な問題だからだ。その代り、日常的に行われている老人ホームや養護施設への訪問、障害者との交流については目立たないニュースにしかならない。「1面トップか社会面のベタ記事」というのが皇室ニュースの相場観なのだ。皇室担当記者は天皇家の生老病死に関する情報をかき集めている。実際、私もそうやってきた。だから、現場の記者にタブーという感覚はない。

「日常生活の隅々までが監視にさらされ、世界でもっともプライバシーがないのが天皇家である」

そう思ってきた。

昭和天皇危篤の際の過剰な報道が世界から好奇の目を持って眺められた。当時、地方勤務だった私は、皇太子夫妻が出入りする東宮御所の門の張り込みローテーションに動員された。雨露をしのぐテントに入り、ひたすら人の出入り、皇太子夫妻の服装から表情に至るまでをチェックし、本社に無線で報告した。時間になるとバイク便の弁当が届き、ブロイラーのような状態だった。結局、記者たちは昭和天皇が亡くなるのを「待っていた」のである。一般国民であれば、間違いなくプライバシー侵害で訴えられるが、日本の法規はその権利を天皇家に与えていない。

政治指導者であれば、自分の強大な権力を使ってプライバシーを守ることが出来る。かなり高度な秘密の保持もできる。だが象徴となった天皇家は、森の中に身を隠すしかない。戸籍も住民票もなく(皇室の身分は「皇統譜」に登録される)、勝手に辞めることも許されていない。選挙権はないが納税の義務は負わされている。法律上の規定はないが、事実上、 職業業選択の自由、表現の自由や言論の自由、思想信条の自由も制限されている。むしろ天皇家が数多くのタブーを強いられている。そこで私の答えは、

「皇室報道にタブーはなく、あるとすれば象徴天皇をめぐる議論だ」

ということに落ち着く。

たしかに戦前は神としてあがめられ、その記憶は戦後にも引き継がれた。だが象徴天皇を定めた新しい憲法のもとで、皇室は多くのタブーに縛られながらも福祉重視の姿勢が国民の支持を得て、民主的な存在として定着した。各種世論調査の結果がそれを物語っている。私は一昨年、一時帰国した際、皇居の新年一般参賀に出かけたが、現場に身を置いても天皇家に対する人々の親近感は共有できた。憲法は天皇の国事行為として形式的、儀礼的な10項目を列挙しているだけで、これだけを守っていたとしたら、とっくに国民の気持ちは離れていただろう。

だが、「象徴天皇」とは何か?と問われて明快な答えができる日本人は極めて少ない。学校でもきちんと教えられる教師もほとんどいないだろう。天皇に関する研究は、もっぱら絶対信奉を誓う「右」か、否定的な立場を取る「左」かの立場からなされ、中立的な立場による研究がほとんどなかった。みなが「右」か「左」かに色分けされることを嫌い、語りたがらない。女性天皇を認める皇室典範改正論議を進めながら、秋篠宮家に男児が生まれたとたん途絶えたことを思い返せばそれは明らかだ。できるならば議論を避けたいと思っている。国会議員にしてみれば、票にならないし、扱いを誤れば命取りになる、という自己保身の打算が働く。

「象徴」とは何か?終戦直後、憲法制定の国会審議の中で、当時の担当大臣、金森徳次郎が「あこがれの中心」と解釈を示した。「象徴」については何度も質疑があり、そのたびに同じ答えをしたことから、「あこがれ大臣」の異名まで取った。ただ戦後70年を経た現在、この解釈を聞いて納得のいく国民はどれだけいるだろうか。特に若者にはまったくピンとこないだろう。今や彼らの「あこがれ」の対象はアイドルや運動選手に取って代わられてしまった。

戦前、男性皇族の多くは軍人だった。皇室は男性的な権威に支えられていたと言ってよい。それが一転、軍馬から下り、庶民の目線で福祉活動に専念するようになった。弱者をいたわる姿は慈母を思わせる。テレビで放映される福祉現場のシーンは女性皇族が目立つ。つまり、天皇のイメージが男性から女性へ、ジェンダー差別の批判を避けるとすれば、中性化したと言ってよい。前回の皇室典範改正論議では、世論調査で女性天皇への支持が7割を超えた。権威的な「男性イメージ」から、慈愛に満ちた「女性イメージ」に転化してきているのだ。

時代にあった天皇制議論を行うべきだ。そこにタブーを設けてはならない。憲法第9条に特化した改憲論議が盛んだが、人々が独立した思考をもって主体的に憲法をつかみ取らなければ、結局は、感情的で熱しやすく冷めやすい群衆に取り込まれる。求められているのは煽情的な声高のスピーチではなく、静かで正直な理性の声である。タブーはメディアだけにあるのではなく、自分を含む社会全体の空気にあるという自覚を持たなければ、同じ過ちを何度も繰り返すことになる。
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絶対に出し続けなければならない雑誌『炎黄春秋』

2016-07-18 23:27:11 | 日記


民主派知識人たちがタブー視される党史の暗部に光を当て、現代への教訓を訴え続けてきた歴史月刊誌『炎黄春秋』がある。当局の執拗な圧力を受けながら、必死に抵抗を試みてきたが、とうとう17日、杜導正社長(元新聞出版署長)は「停刊声明」を出すところまで追いつめられた。決して「廃刊」にならないよう、中国の指導部が適正に対応すべきだ。



同声明は、同誌を所管する文化省系の中国芸術研究院が、炎黄春秋雑誌社と取り交わした協議書を無視し、勝手に上層部人事の交代を決めたことが、中華人民共和国憲法第35条の定める出版の自由に違反し、同協議書で合意した人事、編集、財務の自主権を侵害するとの主張だ。中国芸術研究院は先立つ15日、同雑誌社に人員を派遣し、公式ホームページのパスワードまで変えてしまったというから、やくざ者のようなやり口だ。「芸術」の名が泣いている。

習近平の父、習仲勲も有力な同誌の支援者で、亡くなる前年の2001年、創刊10周年を祝って「いい雑誌だ」と筆書きのメッセージを贈り、誌面でも紹介されている。同誌の命運は、「紅二代」である習近平が、父の政治思想をどう評価するのかという問題も含んでいるので、重要な意味を持っている。



同誌は1989年の天安門事件後、国際的に孤立する中国の良心を内外に示そうと創刊された。A4版計96ページで定価10元(約170円)。中国共産党や党指導者の歴史、事跡について、当事者が自身の経験を回顧した原稿を中心に毎号約20本掲載する。権力闘争の暗部や過去の失策などに焦点を当て、暗に現在への反省を求める内容が多い。書店にはほとんど置かれていないが、国内外の定期購読によって発行部数は約20万部に及ぶ。硬派の内容で、もっぱら市場に頼った雑誌としては極めて多い。

「現代の革命や建設における重大事件や重大人物の是非や功罪を中心に、詳細で正確な史料に基づいて正しく記述し、美化したり、過ちを誇張したりせず、真実を追究し、歴史を鏡とし、歴史に基づいて治める」

これがモットーだ。従って、事実よりもイデオロギーによって構築される党の公式史観とは衝突する宿命を負っている。だが中国は同誌を失えば、世界の知識人との橋渡しをする貴重な窓を失うことになる。いくらハードパワーを強めても、ソフトパワーの低下は免れない。どう落としどころを見つけるか、正念場を迎えている。
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