行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【お知らせ】11月29日、日本で唯一の胡耀邦生誕100周年記念講演会

2015-11-21 23:50:32 | 日記
中国では胡耀邦元総書記の生誕100周年を記念する座談会が11月20日、北京の人民大会堂で開かれ、習近平総書記が「彼の革命精神と崇高な風格は我々が永遠に学ぶに値するものだ」と格別の高い評価を与えました。同座談会には習氏を含め中国共産党最高指導部の党中央政治局常務委員7人全員が顔をそろえ、歴代最高クラスの指導者のみに発行が許される講演・論文集『胡耀邦文選』も同日、没後26年たってようやく出版されました。中央テレビ(CCTV)では胡耀邦の業績をたどる計5回の記録映像も始まっています。

少し遅れた“復権”にはどんな意味が隠されているのでしょうか。胡耀邦は党主席、党総書記というトップの地位にありながら失脚し、不遇の晩年を過ごしました。ただ、誰にでも分け隔てなく接し、事実を重んじて虚偽を退け、廉潔な姿勢を貫いた姿勢を慕う人は多くいます。日中ともに若い世代にはなじみのない人物だと思いますが、忘れてならないのは、彼は1980年代、日本から3000人の青年訪中団を招くなど、日中蜜月時代と呼ばれる一時期、率先して対日協調政策を推進したことです。歴代指導者で最も小柄な胡耀邦ですが、実にエネルギッシュな人物でした。日本でも是非、彼の生誕100年をを回顧するイベントを行いたいと思い、以下の講演会を企画しました。日中の未来を担う若者たちが熱心に準備をしてくれました。

私はちょうど11月20日、湖南省瀏陽市にある胡耀邦の故居(生家)を訪れてきました。その際の様子もご報告します。単なる一方通行の講演会ではなく、多くの方と日中関係について意見を交換する場にもしたいと思います。まだ余裕があるということなので、どうぞご遠慮なくご参加ください。

北京は雪が続いています。今朝は少し積もっていました。東京でお会いしましょう。


【胡耀邦生誕100周年記念講演会】

11月20日は中国の元指導者、胡耀邦氏(1915-1989)のちょうど生誕10 0周年に当たり、中国では重要な記念日として各種行事が予定されている。胡耀邦氏は1 984年、日本から3000人青年訪中団を招くなど日中民間交流に大きな足跡を残した ことで知られる。また今年三回忌を迎えた作家・山崎豊子氏が著した代表作『大地の子』 は、胡耀邦氏が直接、山崎氏と面会し、執筆のための事前取材に強力な支援を約束したこ とが作品誕生の背景となっている。だが、日中の若者たちにとってこうした歴史は徐々に 縁遠いものとなりつつある。日中関係が困難な時期を迎えている今、改めて日中民間交流 の歴史を振り返り、学ぶ場を設けることは、新たな未来を切り開く上で大きな意義を有す ると考える。
【主催】日中の未来を考える会(代表 保思兆) NPO 日中独創メディア(代表 加藤隆則)
【日時】2015年11月29日午後1時から5時まで 13:00 開場、受付 13:30 講演、質疑応答、交流 16:30 閉会
【場所】日本大学経済学部7号館7043教室 http://www.eco.nihon-u.ac.jp/about/maps/
【参加人数】約120人
【講演者】 日本大学非常勤講師 及川淳子「胡耀邦生誕100周年の今日的意義」
      ジャーナリスト 加藤隆則「胡耀邦と習近平の父・習仲勲」
『文藝春秋』元編集長 岡崎満義「山崎豊子さんの思い出」
【参加費用】 学生 無料 社会人 500円(資料代として)
お申込み① http://goo.gl/forms/NxGXnKLJgY
申し込み② 532147818@qq.comまでメールで

胡耀邦を追悼する歌は松山千春の「大空と大地の下で」だった!

2015-11-21 17:15:48 | 日記
湖南省長沙で胡耀邦をよく知る人物と話をしていて、胡耀邦を追悼する歌『好大一棵樹』(とても大きな木)を知っているかと聞かれてびっくりした。私がカラオケで持ち歌にしている松山千春の『大空と大地の下で』の中国語版だった。作詞者は中国中央テレビ(CCTV)の文芸担当ディレクター、鄒友開(1939年生まれ)。1989年4月15日、北京に戻る列車の放送で胡耀邦逝去のニュースを聞き、追慕の情から詞を作った。彼が抱いた追慕の情は、胡耀邦をよく知る者たちが共有したものであったろう。戦前の生まれであることを考えれば、胡耀邦が若者を愛し、文化大革命を経験した者たちの心を癒した存在として、まさに頼るべき「とても大きな木」にふさわしいものだったのだろう。

歌詞の訳は大要、以下の通りである。

頭の上に天が広がる 足は大地を踏んでいる 風雨の中で君は顔をもたげ 氷雪をものともしない

とても大きな木 どんなに強い風が吹こうと 葉にはそれぞれの物語が残る 楽しいことも苦しいことも

楽しくても笑顔を見せず 苦しくても涙を流さず 大地に緑陰の恵みをもたらす それは愛の音符

風はあなたの歌 雲はあなたの歩み 太陽の日も暗闇の中でも 人々に幸せを届ける

とても大きな木は 緑の祝福 君の思いは青空に広がり 広い大地に包まれる


原曲の歌詞は「果てしない大空と 広い大地のその中で」で始まり、「生きることが辛いとか 悲しいとかという前に 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ」と勇気を呼びかける。中国語の詞には大地に木が置かれ、それが強い意志、奥深い懐を持った人間の象徴として歌われる。感性と意志、日中文化の差異を見るようで興味深い。

やがてこの歌は人口に膾炙し、「大きな木」はあるべき教師の姿に置き換えられる。やがて9月10日の教師節(教師に感謝する日)に歌われるようになり現在に至っている。教師節は、党中央書記局の書記として文教を担当していた習近平の父親、習仲勲が教育部門からの要望を受け入れて建議し、1985年、全国人民代表大会で正式に制定された。文化大革命期、知識階級として迫害された教師の地位を向上させ、教育の復興を図るのが目的だった。当時、習仲勲の上司に当たる党中央書記局のトップ総書記は胡耀邦である。

習仲勲は文革後、胡耀邦の尽力で名誉回復し、一線に復帰した。二人は幾多の苦難を経て、異なる意見を許容し、圧力ではなく指導や教育によって人を導こうとする理念を共有していた。習仲勲が建議した教師節に、胡耀邦を追悼する歌が歌われるのは、偶然のめぐり合わせとはいえ、実にしっくりくる。これも縁なのであろう。

(長沙から北京までの機内にて)




生誕100周年を迎えた胡耀邦故居は小雨が降っていた

2015-11-21 04:07:26 | 日記
胡耀邦が生まれ育った湖南省瀏陽中和鎮は、同省の省都・長沙から100キロ。長距離バスで瀏陽市まで行き、そこからまた別のバス乗り場で乗り換えて中和鎮まで。長沙から瀏陽まではほぼ1時間おきにバスがあるが、中和鎮までは1日に計4本とのこと。帰りの便も考えると、「1日がかりになる」と聞かされ、タクシーをチャータすることにした。毛沢東故居のある韶山には高速鉄道の駅があり、長沙からも1日観光バスが出ており、かなり観光化されているが、それとは雲泥の差である。


生誕100周年の当日だが、カウントダウンの表示が「0日」になっているほかは、格別のにぎわいはない。近辺の農村から来たと思われる観光バスが数台停まっていたほか、マイカーが50台ほど並んでいた。外国人を含めすべての来訪者に開放されており、入場は無料である。秋の紅葉と小川の清水を楽しみながら散策できるようになっている。


土産店にもほとんど胡耀邦グッズは並んでおらず、地元特産の漬物や飴などが売られているだけだった。似ていない生誕100周年記念肖像画があったが、買っている人はいなかった。改装していた陳列館を楽しみにしていたが、24日にならないと一般開放はしないとのこと。どうも23日に指導者が着て盛大なセレモニーをやるらしい。20日は北京の人民大会堂で、習近平をはじめ常務委員7人が顔をそろえた記念座談会に重点が置かれ、地元はそれに続いてということなのだ。

故居の先、噴水のある大きな池を望む高台に何棟か新しい建物が並んでいた。まだ一般開放はされていない。「胡耀邦芸術館」の看板がかかっているものもあった。これから少しずつ整備が進められるのだろう。本人の名誉回復と同時に、規模も拡張していくというわけだ。だが毛沢東故居のように過剰な商業化が進むことは故人も親族も望んでいないだろう。もっとも知名度の低い胡耀邦ではそこまでの集客力はない。ただ忘れられていくのも悲しい。山里の風景を守りながら、若者が集う宿泊施設や学習施設に生まれ変わるのが、共青団を率いた胡耀邦にふさわしいような気がする。

故居入り口の巨石に赤い字で「廉」と大きく刻まれていた。やはり商業化とは程遠い。利益ばかりがもてはやされる社会に対する頑固な一文字だ。「今の党員に最も欠けているものだ」と語りかけているように感じた。赤い色が色あせないことを望む。

視察記の詳細は29日の講演会にまとめて行いたい。『胡耀邦文選』がこの日発行されたが、長沙市内の新華書店にはまだ届いていなかった。国内の一部報道を見る限り、多くの期待できそうにない。習近平演説も彼にしてはあっさりしているように見えるが、これについても日を改めて分析してみたい。