行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

金沢兼六園で和服を着ていた若い中国人観光客グループ

2015-11-17 14:16:00 | 日記
先週末、金沢に行った。兼六園に着くと小雨が降っていた。モミジの赤や緑が雨に打たれ、鮮やかな彩色の対比を浮き立たせていた。ハートの模様をつけた鯉は見つからなかったが、池の中で鯉が気持ちよさそうに泳いでいた。精緻を極めた赤松が端正に雪吊りされていた。

兼六園の名が中国の古典『洛陽名園記』から取られていることを初めて知った。宏大と幽邃、人力と蒼古、水泉と眺望、相矛盾する三組の美を兼ね備えた名園にあやかったのだ。大きさを追い求めれば深さを忘れる。人の手が入ってしまえばせっかくの古びた趣が損なわれる。池をたくさん作ってしまえば眺めの楽しみが奪われる。中庸と呼ぶべき工夫だ。

おやっと思ったのは、若い男女5、6人の中国人観光客グループが、貸衣装屋で借りてきた和服を着て歩いていた光景だ。せっかく小京都と呼ばれる古都に来たのだから、服装も古風に合わせようということなのだろう。着こなしは慣れていないが、いかにも楽しそうだった。もともと和服も中国から伝わったもので、呉服の呼び名を持つ。彼らは、庭にも服にも母国の文化が息づいていることを体感できただろうか。歴史と現代の邂逅を兼ねた情景は、いかにも兼六園にふさわしいと感じた。

中国人の和服姿で思い出したことがある。湖北省の武漢大学で2009年、名所の桜並木を背景に和服姿で記念撮影をしていた中国人の母と娘が「漢奸(売国奴)」と罵声を浴びせられ、追い払われる騒ぎが起きた。同大の桜並木は一千本以上あり、毎春、多数の行楽客でにぎわう。桜グッズを売る露店まで出ている。武漢を占領した日本軍がキャンパスを傷病兵の病院に転用し、日本から持ち込んだ桜を植えたのが始まりで、国交正常化後、日中友好事業として桜の寄贈が行われた。桜は日本から持ち込まれたが、桜は本来、中国を原生地とすると聞いたことがある。和服も桜も「漢奸」と呼ばれる筋合いはない。

たかだか数年前の出来事だが、今や中国では桜の花見が春の風物詩として認知され、日本への花見ツアーまで人気というから隔世の感がある。

中でも際立っているのが江蘇省無錫だ。1986年、歌手の尾形大作が歌った「無錫旅情」の大ヒットで注目され、1988年からは毎年、日本人有志(現・日中共同建設桜友誼林保存協会)による桜植樹がスタートした。同市政府も整備に乗り出し太湖畔には3万本を超える桜が植えられ、「中日桜花友誼林」と書かれた石碑が立つ。毎春の「国際桜祭り」は1日1万人超が訪れる。昨年からは中国の日本観光専門誌「行楽」が主催する日中お弁当コンテストの表彰式まで行われた。中国に「さくら女王」が生まれるのも時間の問題だろう。何しろ昨年は元日本さくらの女王、工藤園子さんまで参加しているのだから。

日中共同建設桜友誼林保存協会による桜植樹は再来年30周年を迎える。1年早く来年の春、任意団体として発足したばかりのNPO「日中独奏メディア」が主催し、上海でこれまでの歩みを振り返る報告会を行いたいと思う。先日、同会代表の新發田夫妻にもお話をして、スケジュールの調整中だ。同NPO役員の工藤さんにも是非、参加をして頂きたい。来春の花見の楽しみがまた一つ増えた。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿