行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【独立記者論3】夫婦で老人ホーム入りした銭理群氏へ

2015-11-01 20:00:49 | 独立記者論
元北京大教授の銭理群氏が7月、自宅を売却し、夫婦で北京郊外・昌平の老人ホームに入ったことが中国で大きな話題を呼んだ。銭氏は1939年1月、重慶生まれ。76歳だ。魯迅研究で知られる一方、毛沢東思想の研究も行い、国内では発行できないが和訳『毛沢東と中国 ある知識人による中華人民共和国史』(上・下巻 2012年 青土社) の著書がある。

「そうだったのか」

と思いついたことがある。実は1月15日、私は北京市の五環路外にある銭氏の自宅を訪れた。一昨年夏に続き2回目の訪問だった。銭氏の著作と取材の成果を取り入れた拙著『習近平の政治思想』(勉誠出版)が出たので、謹呈のために表敬したのである。銭氏は日本語を解さないが、手に取って喜んでくれた。だが前回、お茶を出してくれた夫人の姿はなかった。壁面いっぱいの書棚に並んだ本がひもで束ねられ、「引っ越しの作業中」とだけ聞かされた。実はあれが自宅を引き払う準備だった。夫人の健康状態が思わしくなく、一大決断をしたのである。

銭氏の表情は相変わらずにこやかだった。私は拙著のテーマについて、習近平政権を「紅と黄の正統」として解釈しようとしたと話した。「紅」は革命二世代の紅二代として説明を要しない。私が「黄(huang)」は皇帝の「皇(huang)」ではなく、黄土と格闘する農民の「黄(huang)」だと説明すると、うなづいていた。私が、毛沢東は皇帝になったが習近平はまだわからないと言うと、銭氏は「引き続き観察する必要がある」と言った。確かに感じたのは、いまだに現在の社会に対して興味を失っていないことだった。

老人ホームでも複数の新聞に目を通し、読書、著作を続けている。北京紙『新京報』の取材に対しては次のように語っている。

「今は自由な著作の状態に入った。以前とは違い、私はあらゆる功利的目的から解放され、肩書を気にすることもなく、気がかりもなく、生計を考えることもなく、公表するかしないかも考慮する問題がない。完全に自分の内心の必要から表現をすることができる。もちろん、非常に強い社会観察の意識はあり、現実から逃避することもできない。今は最もよい学術の状態だ」

銭氏夫妻には子どもがいない。老人ホームの費用は月額2万元(約38万円)だ。だれにも真似できるわけではない。

だが、老後をいかに過ごすか、社会の老人介護観念や制度について議論を巻き起こした。中国はかつての日本同様、両親を老人ホームに送ることを「不孝」とみなす伝統観念がある。社会保障制度が不十分な農村では、老後のために男児を育てるという意識が強い。一方、若い夫婦が子どもの養育を自分たちの両親に委ねるケースも多く、老人は家族で介護されるよりも、引き続き家族を支える役割も担わされている。老人にとってはそれが残された貴重な生き甲斐である場合もある。不動産が高い現状にあって、老人が所有する家は二代目、三代目の生計を支える不可欠な財産であり、老人と子どもたちがそれぞれ経済的に独立することを困難にしている。

だが銭氏のケースは、特異ではありながら、中国でも来るべき少子高齢化社会に備え、老人がいかに独立、自立して生きていくかという問題を投げかけている。

銭氏は学生時代に迎えた文化大革命期、主体的に毛沢東の理想主義を崇拝し、革命への参加を求め続けた。多くの知識人は文革後の劇的変化を巧妙にやり過ごし、改革開放の時代風潮に忘却の安逸を求めたが、銭氏の良心は素通りを許さず、覚醒の中から脱出を試みた。銭氏は同書で「毛沢東時代に対する清算と批判は、苦痛に満ちた自己清算と自己批判であり、同時に自己救済である」と述べている。毛沢東が「人の精神をコントロールし、人心を征服し、人の思想に影響を与え、改造し、専攻を人の脳まで浸透させ、脳内で現実化する」ことを望んだと論断し、困難で苦痛に満ちた知的清算に後半生を費やした。

もしかするとその営みはまだ終わっていないのかも知れない。だとすれば銭氏にとって老人ホーム論議は意味をなさない。より自由で独立した時間と空間を求めた結果に過ぎないのである。中国メディアが、意図的かどうかは別にして、老人介護問題にのみ焦点を当て、自己救済を求める銭氏の精神を語ろうとしないのはピント外れも甚だしい。私にはそう思える。いずれ老人ホームを訪れ、以前と変わらぬ、あるいはさらに研ぎ澄まされた談義をしたいものである。