独立記者の挑戦 中国でメディアを語る

27年間の記者生活を土台に、国境を超えた普遍的な価値を追求する

デマ報道に振り回された側の感想

2017-11-29 18:13:31 | 日記
昨日は朝から大学内は大騒ぎだった。『鳳凰科技』というネットメディアが、「李嘉誠が汕頭大学から撤退 基金会事務所が看板を下ろした」と題する記事を流したからだ。地元・潮汕出身の李嘉誠は基金会を通じ、同大に80億香港ドル近くを投じ、複数の付属病院を含めれば、故郷への支援は200億香港ドルにのぼる。もし、「撤退」が本当であれば、地元にとっては大変なニュースだ。

『鳳凰科技』は香港の大陸系メディア『鳳凰ニューメディア』が運営している。



記事の概要は、

李嘉誠は一貫して直接、大学の学部に資金援助をし、「資金は大学を通じて、各学部に配分する」という大学側の要求を拒んできた。大学は「学部が教授や教師を招き、また、学部の活動はまず大学の許可を得なければならない」との方針で学部の首根っこをつかみ、双方がこの問題で意見が一致しなかったため、李嘉誠は撤退することになった。

という簡単な記述だ。あとは6月末の汕頭大学卒業式で李嘉誠が行った記念スピーチの内容を、取ってつけたように付け足しただけである。全体で400字あまり。当事者である大学や李嘉誠基金会、李嘉誠本人からのコメントが一切なく、記事内容の重要性と著しくバランスを欠いている。だが、李嘉誠のネームバリューからたちまちネットで拡散し、大学関係者は各所からの問い合わせに忙殺された。私も知人たちからの質問攻めに遭った一人である。

私を含め新聞学部の教師たちは微信(ウィー・チャット)のグループチャットでこの報道について議論し、大学側が速やかに説得力のあるコメントを発表し、デマの拡散を防ぐべきだと提案した。すでに香港で転載されているとの情報提供もあった。学生の心理に与える動揺も大きい。後手に回ると打ち消しの効果が薄れ、予期せぬ結果を招くこともあり得る。これは現代メディアに対応する際の常道だ。

第一報から約3時間後、大学が声明を発表し、すぐに上海の有力ネットメディア『澎湃新聞』が伝えた。夕方には新華社も同内容の記事を配信し、事実上、政府までが事後処理に乗り出した。

大学声明の概要は以下の通りだ。

「『鳳凰科技』の報道は事実に反する。李嘉誠はこれまでたびたび、汕頭大学に対する支持は彼の生命の限界を超越したものであると表明し、李嘉誠基金会は引き続き汕頭大学の改革発展を支持している。ネットにおける虚偽の言論に対し、汕頭大学は法的手段に訴える権利を保持する」

基金会も続けてメディアの取材に応じ、「このニュースを見て不思議に思っている。基金会は2017年の海外慈善機構登録及び事務所に関する新規定に応じ、中国国内に複数ある事務所を深センに一本化した。李嘉誠は多くの人が知っているように、汕頭大学に対し生命を超える誓いを打ち立てており、基金会では汕頭大学に対し特別に、独立したプロジェクトを行っている」と明言した。

同大では確かに以前、李嘉誠が率いる企業グループから取った「長江」の名を冠する新聞学部と芸術学部については、基金会から直接、資金提供が行われていたが、2012年に規範化され、大学が統一運営することになった。たとえば、私の教授としての採用も、学生たちを率いた日本取材ツアーも、すべて学部が申請し、大学の審査を経る手続きに従っている。最初の記事にあるような対立は、1年前に来たばかりの私でさえデマだとわかる。よほど稚拙なミスか、でなければ悪質な故意である。

火のない所に煙は立たぬ、という。記者ばかりでなく、多くの人が「ではなぜこんなわかりやすいデマが流れたのか」と勘繰る気持ちはよくわかる。私はそれを判断する十分な材料を持ち合わせていないが、所詮大したことでないことはわかる。偽ニュースが指摘した事実の核心部分が全くの見当外れだからだ。

李嘉誠の家族は1930年代末、日本軍による戦火を避け、潮州から香港に移り住んだ。海外で裸一貫から財を成し、故郷に錦を飾るのが華僑にとって最も尊ばれる徳である。特に教育や医療への支援は高い評価を受ける。

香港市民からは決して慕われているとは言えないが、潮汕地区には、祭壇に毛沢東ではなく、李嘉誠を飾ってある家もあるほどだ。李嘉誠が「生命の限界を超越した」支援をしているのは、決して大げさではない。彼の人生そのものが大学や病院に凝縮されていると言ってもよい。そこからの「撤退」は自己否定に等しい。だから、事情を知る人たちはすぐにあり得ないことだとわかる。

色眼鏡をかけた野次馬は、李嘉誠が大陸への投資を欧州に移した件を想起し、いよいよ全面撤退かと勘繰る。習近平政権による過剰なイデオロギー統制によって、とうとう李嘉誠の大学まで自由を奪われたのかと想像を膨らませる。だが実情を知れば、そんなことはあり得ないと容易に理解できる。この中に身を置いていても、会議はほとんど開かれないし、授業への干渉も全くない。来学期は人工知能に特化した授業を増設すべく申請したが、難なく認められた。基金会は今後8年間、さらに20億香港ドルを大学に投じると言っているのだ。

確かに、大都市の主要大学では、教師たちが習近平思想を学ぶ学習会に辟易としているとの話を聞く。教材もますます「左」に傾いているという。だが、ここでは、少なくとも私は全く感じない。中国は広く、雑多なので、一つの価値基準でみようとすると間違う。銀座で爆買いをする都市の中産階級もいれば、地下のタコ部屋でその日暮らしに追われる出稼ぎ農民もいる。

色眼鏡を取り外すには、常識に基づく想像力、実態を知ろうとする努力、人間社会に対する深い洞察が求められる。人工知能では代替のできない作業だ。頭の中での妄想からはろくなものが生まれない。

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「No=不」を聞くべきか「Yes=是」を聞くべきか

2017-11-25 18:02:56 | 日記
担当クラスの授業時間と学内の行事が重なり、二コマ分を別の時間帯に振り替えなければならなくなった。学生数は36人。授業に関する連絡はすべて携帯の微信(ウィー・チャット)のグループチャットを使っているので、早速、候補の時間帯を三つ挙げ、「不都合な時間を教えてほしい」と書き込んだ。授業中の場合もあるので、すぐに反応がこない学生もいるが、たいてい2時間もあればみなのところに知らせは届いている。

素早い学生は瞬時に返事がくる。

「三つともOK」
「水曜の午後ならOK」
「私も同じ意見」
・・・・・
・・・・・
・・・・・

みなの返事は例外なく「都合のいい時間」を伝えてくる。「不都合な時間」を聞いたはずなのに・・・と考えているひまもなく、次々に書き込みが続く。多くの意見が一定の時間帯に集約されていくにつれ、やがてレスポンスが途絶える。自然に大勢が決まってしまったのだ。

「では水曜日の午後が多いので、その時間帯に決定します」

2時間ほどの余裕をみて、補習授業の時間を決めた。異論も出ない。36人の都合を集約するにしては、実に効率の良い意思決定だった。

だが、考えた。質問を正しく理解せず、自分勝手に解釈する問題点はとりあえず置いておく。例外なく「希望の時間」を伝えてきた以上、理解力以上の、理解の仕方にかかわる文化的な差異があると考えられる。

私が「不都合な時間」を聞いたのは、欠席者を可能な限り少なくしようとの配慮からだった。それが公平で公正だと判断した。おそらく日本人の社会ではこうした意見の集約をするのではないか。宴会の日時を決める際、少数であれば希望日をすり合わせるが、人数が多くなると、欠席者の数でバランスをとるように思う。気の利いた幹事であれば、すぐに日程表を作って、「●」「×」を書き込んでもらうスタイルも一般化している。その場合でも、「×」の数によって日程を決めるのではないか。

もしかすると、私はいかにも日本的な発想をしたのではないか、と感じた。

どうも中国の学生には、「都合のよい時間」を聞くべきだったようだ。何としてもその時間にしてほしいと思う学生は、我先にと特定の時間帯をアピールしてくる。それに同調するものはすかさず追随の意思を表明する。特段の意見がない者は、大勢に従う。もともと授業に気が進まない学生、都合が悪ければ幸いだと思っている学生もいるに違いない。そうした者は進んで意思表示をしないだろうから、あえて意見を聞いてもしょうがない。みなもこんな共通認識を持っているような気がする。

だから、私が希望者の多い時間帯を補習時間に決めた際、何の異論もなく、話し合いはスムーズに流れていく。続けて教室変更の案内をすると、「OK」の返事や「了解」を示す絵文字が相次ぎ返ってくる。

日本ではこういう場合、どのようにしているのだろうか。大教室の授業ではそもそも一人一人の学生から希望を聞いている余裕はないだろう。ネットも携帯もない自分の学生時代を振り返れば、学部の掲示板に、休講の通知と振替の案内が一緒に張られていたような記憶がある。

一方的に決定し通知するか、あるいは徹底して全員の意見を聞き、最大公約数を取るか。日本はこの両極端のどちらかではないか。中国方式はどうもその中間を選んでいるような気がする。ルールにがんじがらめになっている日本の社会と、ルールよりも状況に応じ融通無碍、時にはいい加減に対処する中国社会の違いもあるのではないか。いずれにしてもそれぞれの社会風土、文化にかなったやり方なのだろう。
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中国の授業で日中「和歌」の交歓

2017-11-15 22:44:16 | 日記
日中文化コミュニケーションの授業で、英語学科の1年生女子が「和歌」にについての研究発表をした。てっきり『君の名は。』や『言の葉の庭』など、新海誠監督作品の影響かと思ったら、全く違った。広東省佛山での中学時代、学校の図書館で和歌に関する中国語版の本を手に取った。本に使われていた日本の写真がきれいだったので、内容にも惹かれ、和歌に関心を持つようになったのだという。

彼女が当時の本の1ページを披露してくれた。



大事にしているかわいらしいノートも紹介してくれた。ぎっしり和歌と中国語訳が書き込まれている。ハートマークや赤、青、黄、いろいろな色で文字がかき分けられ、いかにも女の子のノートである。実は、キャラクターや趣向を凝らしたデザインのノートは、日本の「手帳文化」として若者の間で人気なのだ。

「小野小町 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」

「藤原定家 見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮」

見開きのページに、有名な歌が何首もきれいなひらがなを使って書かれている。日本語は勉強したことがないが、50音だけはマスターしたのだという。彼女の発表は、自分と和歌との出会いから始まり、和歌の発展史、中国の詩歌の影響、万葉集と古今和歌集の比較、現代に伝わる百人一首、歌会始、カルタ取り競技にまで至る、幅広いものだった。カルタ取りに関しては、アニメの一部も紹介された。

最後に、彼女が自作の中国語による5・7・5・7・7の歌、いわば中国版和歌を一首、披露してくれた。

「汕大公园」
凉凉秋风起,
卷藏明媚汕大里。
一家老少齐,
奔走卧坐处处觅,
欢声笑语来告密。

直訳すれば、タイトルは「汕頭大学の公園」だが、「公園のような汕頭大学」と言った方がぴったりくる。大学はゲートでのチェックもなく、完全に一般開放されているので、週末や祝日は市内の家族連れでにぎわう。秋の涼しげな風が舞い、校内の豊かな自然を包み隠しているようだ。老いも若きも集まり、思い思いの場所で駆けまわったり、寝転んだりしながらくつろいでいる。歓声や笑い声が聞こえてくると、秋の景色までもが目に浮かぶようだ。

これがおおよその大意である。

次の授業に私は、中国版和歌を日本の和歌に意訳し、黒板に二つの詩を並べた。

「秋の風 学びの庭に 立ち渡り 子らはかけるよ 言の葉乗せて」



中国語は一文字で多くの意味を表すので、直訳するとなると日本語では文字数が足りない。日本語では不要と思われる形容詞も多い。感受性も審美観も違う。「言の葉」には和歌の意味がある。作者の学生自身をも「子ら」に含め、快活な躍動感を表すよう工夫した。出来不出来よりも、5・7・5・7・7による交歓に意味を見出した。各自が中国式和歌を作ることを期末課題にした。佳作は表彰すると約束したが、果たしてどうなるだろうか。
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習近平が安倍に見せた「笑顔」と軍事パレード

2017-11-14 21:40:17 | 日記
安倍晋三首相が11月11日、訪問先のベトナムで習近平総書記と会談した。日本では習近平が安倍と笑顔で握手する場面が注目され、あたかもそれを日本の勝利であるかのように報じるメディアもあった。大本営発表を垂れ流す、かつての自己検閲報道と変わらない。



日本はまともな対中外交方針を持っていないので、日本の成果ではなく相手が変わったに過ぎない。安倍は訪中を約束しながら、習近平は訪日を明言していない。ハイレベル対話再開の見込みも示されず、手詰まり状態は全く打開されていない。

習近平の「笑顔」は余裕の表れだ。何度も指摘してきたが、習近平が権力基盤を固めれば、日中関係は安定する。
(10月17日ブログ http://blog.goo.ne.jp/kato-takanori2015/e/9d6e6973d95aa1d4afffa146f5e524e9)

安倍が集団的自衛権の容認や歴史認識の再定義、そして改憲を通じてアジアに脅威をもたらしているというのが中国側の公式見解であり、それでもなお「笑顔」を演じられるのは、政治的リスクの大きい対日政策で足元をすくわれる憂慮がなくなったことを意味する。トランプ米大統領の訪中が初期の目標を達成し、すっかり自信を深めたのである。「笑顔」は日本を通り越し、米国に向けられていると考えた方がいい。

習近平が目指す「二つの百年」目標は、「反日」どころではなく、日本を超越する「克日」「超日」の思想である。

習近平の権力掌握について先日、大学の同僚と議論をしていて、2015年9月に行われた抗日戦争勝利70年の軍事パレードが話題に上った。





中央軍事委主席の習近平が乗ったのは、全長6・4メートルの黒塗りの国産高級オープンカー「紅旗」だ。吉林省長春の第一汽車が閲兵専用に製造したもので、今年は初めてナンバープレートの位置に国章が置かれた。1959年に初めて閲兵専用の車が製造され、84年、99年、2009年と改良を重ねた、前回は。車の性能がさらに高められてのは言うまでもないが、それ以外、過去との際立った特徴は、総指揮官、宋普洗・北京軍区司令の車両だった。

上の写真を見ると、2台は同じ紅旗だが、明らかに習近平の方が大きい。圧倒的な差を見せつけている。

ところが過去の例では、中央軍事委主席と総指揮官の紅旗の差はさほど目立たない。


(2009年10月、建国60年 胡錦濤主席)


(1999年10月、建国50年 江沢民主席)

議論が分かれるのは、習近平の代になって生じた大きなパレード用車両の格差が、なにゆえなのかということだ。ある者は、習近平が進める綱紀粛正で倹約化が浸透し、主席以外の公用車が簡素化されたとみる。またある者は、主席の権威が高まり、その他との落差を強調するためだったとみる。ぞれぞれに道理があるようだが、いずれにも共通しているのは、習近平が軍をしっかりとコントロールできているとの認識だ。

軍は権限の源泉である。余裕の「笑顔」の源泉も、こんなところにあるのかも知れない。
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「国賓訪問+」トランプ訪中のメディア雑学

2017-11-12 20:51:08 | 日記
メディアの関心はAPECに移ってしまったが、習近平総書記とトランプ大統領の米中首脳会談には、もう一つ、書き残さなければならないことがある。

メディアはある事件を歴史として記憶にとどめる重要な機能があるが、同時に、市場の欲求を満たすため、新しいニュースで上書きしなければならない宿命を負う。技術の進歩はビッグデータを作り出し、あたかもメディアによる記憶の機能を拡大したかのように見える。だが、AIに対する過度の依頼は、人間自身の記憶を弱め、人は上書きばかりに奔走するようになる。飽くなき欲求が、自分とは何かを忘れさせる。

歴史の深みを読み解く能力は衰え、目先のことに振り回される。握手の際に笑顔だったとか、仏頂面だったとか、だれにでもわかる現象を取り上げた、底の浅い報道がこうして生まれる。

だから一つ一つのニュースにこだわる必要がある。今回の「国賓訪問+」によるトランプの訪中について、次の授業でも取り上げようと思っているのが、メディア論からの分析だ。

SNSを巧みに使って大衆人気を得たトランプだけに、訪中先からの情報発信が注目された。日本でも話題になったが、一つは、トランプが孫のアラベラ・クシュナーちゃん(6つ)の動画を習近平に見せたニュースだ。動画の中で、彼女は白いチャイナドレスを着て、達者な中国語で歌や詩を披露した。習近平が彼女の中国語を「Aプラスだ」と持ち上げ、晩餐会で上映されたうえ、さらに、たちどころにネットにも流れ、大きな反響を呼んだ。十分にお膳立てがされたに違いない。

何度もやると政治利用のそしりを受けかねないが、「国賓訪問+」に対する答礼としては、これ以上のものはないほどの効果を上げた。動画の発信力を見せつけた巧妙な演出だった。私の授業でも、映像を用いると、格段に学生の食いつきがよくなる。新聞社も文字だけでは幅広い読者を得られず、動画の発信が不可欠な時代だ。米中両首脳は、見事にメディアの特徴を使いこなした。

もう一つは、お得意のツイッターだ。中国ではツイッターやフェイスブックは遮断されているが、VPNを使ってファイヤーウォール乗り越えることは学生でもやっている。米大統領には子どもだましの規制でしかない。





8日の故宮博物院での歓待には、「メラニアと私は決して忘れない」と感謝を述べ、9日、人民大会堂前での歓迎式典では「本当に記憶に残る、印象的な式典だった」と讃辞を送った。1日何万人も来場者のある故宮を完全貸し切りにし、トランプ夫妻2人だけのために茶会を持ち、京劇を上演した。いくらスーパーパワーの大統領でも、皇帝並みの待遇を受けて感激しないはずはない。ツイッターの発信を見越した中国側のメディア戦術である。

中国外務省の華春瑩報道官が定例記者会見で、「トランプ米大統領のツイッター投稿は中国では違法なのでは?」と問われたときの答えが面白い。

「中国の人々は外部とコミュニケーションを取る十分な手段があり、その方法が各種各様だというだけだ。たとえばある人は微信(ウィー・チャット)を、ある人は微博(ミニブログ)を使い、携帯電話も、ある人はアップルを、ある人は華為(ファーウェイ)を使い、みんな十分な手段があって外部とコミュニケーションを取っている」

直接回答を避けた逃げの表現だが、要するに、自分たちが外交の手段として利用した以上、堅苦しいことは言わないということだ。一方、尋ねた記者の方は、冗談交じりとはいえ、非常にレベルの低い質問だが、そうでもしないと突っ込みようがないほど、周到なメディア対策だったということであろう。

最後に、重要なポイントを指摘したい。故宮博物院は先月から、仮想現実(VR)で「養心殿」を参観できるイベントを実施している。同博物院では引き続き先端科学技術を駆使し、参観サービスの多様化を図る方針だ。国を挙げての科学振興で、様々な分野でバーチャル技術が進化している。

だからこそ、習近平夫妻が直々に案内し、トランプ夫妻が直接足を運んだことの重みがある。繰り返しのきかない経験、コピーのできない時間と空間は、人に上書きのできない記憶を残す。特に習近平がトランプを故宮文物医院に招き、古い時計の修理技術を参観した光景は目を引いた。時間、歴史の重みを体感するには最適の設定だったに違いない。



メディア雑学切り口からも、非常に興味深いトランプ訪中だった。仄聞するに、日本では巨大メディアの大幹部だちが、喜々として首相から会食の招きを受け、権力にすり寄ることを恥とも思わない風潮があるという。残念ながら、こうした風土からは、まともなメディア論の切り口が見つからない。

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こういうことを言うと決まって、「親中派」だとか、「売国奴」だとかレッテルを張りたがる人たちがいる。だが、戦時中、安易な二分法が理性の声をかき消し、国と国民を誤った道に導いた苦い経験を、日本のメディア史は教訓として残している。自分の国を厳しく見るのは当たり前のことだ。私は特定の組織や利益を代弁する立場にはなく、裏も表もなく、自然に湧き出出てくる言葉を吐いているに過ぎない。

裏を見せ 表を見せて 散るもみじ  良寛

咲くを見せ 散るをも見せて 葉が残る 酒仙
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