行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

景山公園から眺めた雪景色の故宮

2015-11-24 12:38:34 | 日記
昨日、景山公園に足を運んだ。故宮の北門・神武門を出てすぐ目の前にある小高い人工の丘だ。明朝最後の皇帝・崇禎帝が北京に攻め入った李自成軍に追われ、首を吊ったとされる槐の木がある。故宮の雪景色を見るのには最適な場所である。寒風が吹き、地面が凍り付いて歩くのも骨が折れたが、山頂にはカメラを持った市民が多数集まっていた。

私には思い出深い公園である。もう30年近く前にさかのぼる。

私は1986年に日本の大学を卒業して1年間、北京で中国語の語学留学をした。学生時代から新聞記者になるのが夢だった。新聞社は新卒と既卒の差別がなく、慌てて就職するする必要がなかった。日本はバブル時代だった。ひっきりなしに大学OBから企業説明の宴席に招かれる浮かれた社会に違和感を覚え、外の世界を見たいと思った。同級生の多くは留学や旅行先に欧米を選んでいたが、人と違うことをしたいと思い、隣国でありながら実はベールに包まれた中国を選んだ。

小平と胡耀邦のコンビが主導した改革・開放政策は1970年末からスタートしたが、まだ高度経済成長の軌道には乗っておらず、人々の暮らしは質素で、考え方も素朴だった。月給はみな50~60元前後で貧しかったが、明日の生活はよくなるという希望に満ちていた。

「赤い疑惑」や「おしん」など日本の一般庶民を描いたテレビ番組が放映され、経済先進国の日本に学ぼうとする姿勢が強かった。路上でも日本人留学生と聞くと人だかりができ、「カラーテレビはどのブランドがいいのか」と質問攻めにあった。大学の内外でしばしば「日本語を話してくれ」とせがまれた。そんな光景がごく普通にあった時代である。日本への留学熱が高まり、1988年には、上海の日本総領事館がビザ発給を求める若者たちに取り囲まれる事件も起きた。

夏休みに一人旅をし、船で大連から上海へ向かう途中、甲板で開かれた余興の歌合戦で、「北国の春」をリクエストされて歌ったこともある。ある時、天津を歩いていて日が暮れ、安価な宿泊先が見つからず公園で野宿をしようとした。治安も悪くなく、私も不安はなかった。そこでたまたま通りがかった警官が私を見つけ、外国人と知って驚いた。豊かな国から来た外国人は「外賓」と呼ばれ、もてはやされていた時代である。警官は知り合いのいる旅館に連絡を取り、従業員寮に無料で泊まれるよう手配してくれた。

テレビのチャンネルを変えるたびに映し出される抗日戦争ドラマには辟易としたが、「多数の日本人は戦争の被害者だ」とする考えは浸透しており、「これからは友好だ」と声をかけてくる中国人の方が多かった。腹を割って歴史問題も語った。いまだに交際の続いている友人もできた。学校が休みのたびに地方を旅し、悠久の歴史、広大な土地を抱えた中国の持つ多様性、底知れなさを感じた。

そんな北京生活の中で、折に触れ自転車をこいで出かけたのが景山公園だった。今は花壇が整備され、2元の入場料を取られるが、当時は全く人の手が入らず、野山を駆け上るような感覚だった。平日は人もまばらだった。山頂に1人で腰かけ、夕日を受けて黄金色に輝く故宮の瑠璃瓦を眼下に一望し、いずれ記者としてこの地に戻ってくると誓った。広大な大地とおおらかな人々が、私を温かく受け入れてくれるように感じられた。

日中の蜜月時代を総書記として演出したのが胡耀邦だった。大の読書家で文化大革命期、北京で幽閉状態に置かれている間、『田中角栄伝』『日本列島改造論』にも目を通し、「日本は戦後の困難を抱えながら、科学、教育に力を注ぎ、急速な経済発展を成し遂げ、工業大国になった。日本の経験は我々が見本として学ぶべきだ」が持論だった(『胡耀邦伝』)。1984年には日本から3000人の青年訪中団を招いた。最も多くの日本人と会った中国の総書記と言ってよい。

作家・山崎豊子の代表作の一つ『大地の子』が胡耀邦の強いバックアップによって生まれたこともよく知られている。胡耀邦は生前、取材協力を求めに訪れた彼女と面会した際、こう伝えた。

「中国の都合のいいことばかり書いて貰っては困る、美しく書いて貰いたいとは思わない、中国の立ち遅れ、欠点、暗い影も、制限なしで、どんどん書いて結構、嘘を書かれることは困る」(「『大地の子』と私」)

これだけ深い懐を開いた中国の指導者は後にも先にも胡耀邦だけである。同作品は月刊『文藝春秋』に連載されたが、胡耀邦故居の収蔵品リストには山崎豊子が贈呈した連載中の同誌1989年7月号がある。山崎豊子は1991年6月、江西省九江市の墓前に同著上中下3巻を捧げた。

肌を突き刺すような寒風に打たれながら、駆け抜けるように過ぎた30年前の記憶をたどった。西の空が茜色に染まってきた。かつての光景がよみがえってきた。