29日閉幕した中国共産党の第18期中央委員会第5回全体会議(5中全会)のコミュニケで、中国共産党が指導する第13期5か年計画の建議が採択され、中国政府が「一人っ子政策」の完全廃止を決定したと公表された。すでに夫婦のどちらか一方が一人っ子の場合、2人目を生むことが許されていたが、今後は無条件に2人目を認めるというものだ。産児制限の基本政策は堅持したまま、急速に進む社会の高齢化に対応するとの判断だ。国の発展にとっての有利不利から政策の導入や廃止が決められるのはやむを得ないにしても、こと出産という個人の権利、幸福にかかわる事柄だけに、制限が大幅に緩和されたことは人権擁護の側面からは歓迎すべきである。逆に、この点から制度改正の言及がないのは残念だ。
1979年から導入された計画出産(一人っ子政策)は、1982年制定の憲法で「国家は計画出産を推進して人口の増加を経済社会発展計画に適応させる」と位置づけられ、国民の義務となった。
高齢化社会は都市部の現象である、と言われる。それは正しくない。正確には都市戸籍人口の現象であると同時に、農村に残留する高齢者の問題である。都市には地方出身の若者があふれている。その分、農村には老人が残されている。この点がわからないと、一人っ子政策廃止の意味が理解できない。
都市部では、両親が共稼ぎをしても一人っ子にかける教育費が高いため、よほど経済的に余裕がなければ2人目は産まない。いい学校に通わせ、習い事をさせ、願わくば留学もさせたい。それがいい仕事を得て、安定した生活を営むために不可欠な道だからだ。普通のサラリーマン家庭ではとうてい2人目は望めない。しかも多くの両親は一人っ子世代であるため、2人目の制限からはすでに解放されていた。
だが、出稼ぎの若者たちは飲食店や工場、建設現場など都市住民の生活を支える仕事に就きながら、田舎の家族に仕送りをしている。都市と農村の経済格差は大きく、農村は社会保障は整っていないため、老人は子ども、特に男児の助けを必要とする。したがって2人目出産の合法化は、農社人口を増やし、会全体の労働人口の確保や農村老人介護の面に資することが期待されていると言える。
社会学を専攻する女性中国人教授と話していて、彼女が「もし一人っ子政策に違反する農民がいなかったら、高度成長を支えた都市部の出稼ぎ労働人口は確保できなかったはずだ」と指摘したことがある。実際、多くの分野において中国の制度はルーズに運営されているが、実態からかい離した一人っ子政策はすでに時代錯誤となっていた。制度廃止は遅きに失した感がある。
もう5年以上前のことになるが、堕胎、不妊手術を定めた地方法規は憲法違反に当たると一人っ子政策を批判していた若い学者に会った時のことを思い出した。彼の名は中国青年政治学院の楊支柱・副教授。名刺の裏には「布票、糧票はなくなったが、人票はなくなっていない」と書かれていた。計画経済時代、衣服や食糧の配給を受けるのに必要だったのが布票、糧票だが、市場経済化でそれらは消滅した。だが、子どもを産むために必要な出産服務証(出産許可証)である「人票」はなくなっていないというのだ。一人っ子政策を反自然的、非人間的だと批判する良心の声は少なくなかった。
2007年、ベトナムと国境を接する中国南部の広西チワン族自治区の特に貧しい玉林市博白県の山間部で、一人っ子政策に違反した農家への非道な一斉取り締まりが始まり、これに反発する農民の大暴動に発展した事件を現地取材した。舗装されていないでこぼこ道で、水牛やニワトリと一緒に素足の子どもたちが飛び出してくるような山奥のへき地だった。谷間にある猫の額ほどの土地に、水稲やトウモロコシ、でんぷんの取れる芋類の木薯、野菜がびっしり植えてあった。
迷彩服に身を包んだ集団が突然、各農家を訪れし、不条理な罰金取り立てや家財道具の没収、強制的な不妊手術を強行した。怒りが限界に達した農民たちが決起し、役所を襲撃して焼いたうえ、公用車、パトカー、バイクを破壊した。最後は武装警察部隊が投入されという大暴動だった。私が訪れたのは鎮圧後だったが、農民たちが周囲を警戒しながら集まり、私に政府の非道ぶりを訴えた。強制的に連行され避妊手術を受けさせられた女性が、「手術後は痛くて歩けなかった」と涙を浮かべて話したのが忘れられない。
街頭で見かけた産児制限の標語も衝撃だった。中国の農村では「少産、優生で一生幸福に」「伝統的な結婚・出産観を改めよう」「地球は一つ 人口を抑えよう」
「男児も女児も同じ」などのスローガンがどこでも見られたが、あの山奥には
「1人目は避妊リング 2人目は不妊手術」
「少なく産めば 一生幸せ」
「リングも不妊手術も罰金も拒否する者は 壊せ!壊せ!壊せ!」
といった言葉が氾濫していた。報道によると、その他地域には、
「たとえ血が流れて川となっても 超過出産は許さない」
「たとえ墓が10増えても 人間は1人も増やさない」
「家が破壊されても 国を滅ぼしてはならない」
「すべき避妊手術をしなければ家は崩れる すべき流産をしなければ家は崩れ、牛もいなくなる」
などのスローガンまであったという。
「経済社会の発展」を理由として非人道的な制度はなくなっても、その制度を運用した人たちの観念は変わらない。五か年の短期計画では変えようがない。どのような国民を作っていくのかという国のあり方にかかわる問題は、先送りされている。「中国の夢」にはこうした根本的な議論が含まれなければならない。多くの国民ももまたそう望んでいると、容易に想像できる。
1979年から導入された計画出産(一人っ子政策)は、1982年制定の憲法で「国家は計画出産を推進して人口の増加を経済社会発展計画に適応させる」と位置づけられ、国民の義務となった。
高齢化社会は都市部の現象である、と言われる。それは正しくない。正確には都市戸籍人口の現象であると同時に、農村に残留する高齢者の問題である。都市には地方出身の若者があふれている。その分、農村には老人が残されている。この点がわからないと、一人っ子政策廃止の意味が理解できない。
都市部では、両親が共稼ぎをしても一人っ子にかける教育費が高いため、よほど経済的に余裕がなければ2人目は産まない。いい学校に通わせ、習い事をさせ、願わくば留学もさせたい。それがいい仕事を得て、安定した生活を営むために不可欠な道だからだ。普通のサラリーマン家庭ではとうてい2人目は望めない。しかも多くの両親は一人っ子世代であるため、2人目の制限からはすでに解放されていた。
だが、出稼ぎの若者たちは飲食店や工場、建設現場など都市住民の生活を支える仕事に就きながら、田舎の家族に仕送りをしている。都市と農村の経済格差は大きく、農村は社会保障は整っていないため、老人は子ども、特に男児の助けを必要とする。したがって2人目出産の合法化は、農社人口を増やし、会全体の労働人口の確保や農村老人介護の面に資することが期待されていると言える。
社会学を専攻する女性中国人教授と話していて、彼女が「もし一人っ子政策に違反する農民がいなかったら、高度成長を支えた都市部の出稼ぎ労働人口は確保できなかったはずだ」と指摘したことがある。実際、多くの分野において中国の制度はルーズに運営されているが、実態からかい離した一人っ子政策はすでに時代錯誤となっていた。制度廃止は遅きに失した感がある。
もう5年以上前のことになるが、堕胎、不妊手術を定めた地方法規は憲法違反に当たると一人っ子政策を批判していた若い学者に会った時のことを思い出した。彼の名は中国青年政治学院の楊支柱・副教授。名刺の裏には「布票、糧票はなくなったが、人票はなくなっていない」と書かれていた。計画経済時代、衣服や食糧の配給を受けるのに必要だったのが布票、糧票だが、市場経済化でそれらは消滅した。だが、子どもを産むために必要な出産服務証(出産許可証)である「人票」はなくなっていないというのだ。一人っ子政策を反自然的、非人間的だと批判する良心の声は少なくなかった。
2007年、ベトナムと国境を接する中国南部の広西チワン族自治区の特に貧しい玉林市博白県の山間部で、一人っ子政策に違反した農家への非道な一斉取り締まりが始まり、これに反発する農民の大暴動に発展した事件を現地取材した。舗装されていないでこぼこ道で、水牛やニワトリと一緒に素足の子どもたちが飛び出してくるような山奥のへき地だった。谷間にある猫の額ほどの土地に、水稲やトウモロコシ、でんぷんの取れる芋類の木薯、野菜がびっしり植えてあった。
迷彩服に身を包んだ集団が突然、各農家を訪れし、不条理な罰金取り立てや家財道具の没収、強制的な不妊手術を強行した。怒りが限界に達した農民たちが決起し、役所を襲撃して焼いたうえ、公用車、パトカー、バイクを破壊した。最後は武装警察部隊が投入されという大暴動だった。私が訪れたのは鎮圧後だったが、農民たちが周囲を警戒しながら集まり、私に政府の非道ぶりを訴えた。強制的に連行され避妊手術を受けさせられた女性が、「手術後は痛くて歩けなかった」と涙を浮かべて話したのが忘れられない。
街頭で見かけた産児制限の標語も衝撃だった。中国の農村では「少産、優生で一生幸福に」「伝統的な結婚・出産観を改めよう」「地球は一つ 人口を抑えよう」
「男児も女児も同じ」などのスローガンがどこでも見られたが、あの山奥には
「1人目は避妊リング 2人目は不妊手術」
「少なく産めば 一生幸せ」
「リングも不妊手術も罰金も拒否する者は 壊せ!壊せ!壊せ!」
といった言葉が氾濫していた。報道によると、その他地域には、
「たとえ血が流れて川となっても 超過出産は許さない」
「たとえ墓が10増えても 人間は1人も増やさない」
「家が破壊されても 国を滅ぼしてはならない」
「すべき避妊手術をしなければ家は崩れる すべき流産をしなければ家は崩れ、牛もいなくなる」
などのスローガンまであったという。
「経済社会の発展」を理由として非人道的な制度はなくなっても、その制度を運用した人たちの観念は変わらない。五か年の短期計画では変えようがない。どのような国民を作っていくのかという国のあり方にかかわる問題は、先送りされている。「中国の夢」にはこうした根本的な議論が含まれなければならない。多くの国民ももまたそう望んでいると、容易に想像できる。