行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

「中国が一人っ子政策を廃止」のニュースで思い出したこと

2015-10-30 09:30:14 | 日記
29日閉幕した中国共産党の第18期中央委員会第5回全体会議(5中全会)のコミュニケで、中国共産党が指導する第13期5か年計画の建議が採択され、中国政府が「一人っ子政策」の完全廃止を決定したと公表された。すでに夫婦のどちらか一方が一人っ子の場合、2人目を生むことが許されていたが、今後は無条件に2人目を認めるというものだ。産児制限の基本政策は堅持したまま、急速に進む社会の高齢化に対応するとの判断だ。国の発展にとっての有利不利から政策の導入や廃止が決められるのはやむを得ないにしても、こと出産という個人の権利、幸福にかかわる事柄だけに、制限が大幅に緩和されたことは人権擁護の側面からは歓迎すべきである。逆に、この点から制度改正の言及がないのは残念だ。

1979年から導入された計画出産(一人っ子政策)は、1982年制定の憲法で「国家は計画出産を推進して人口の増加を経済社会発展計画に適応させる」と位置づけられ、国民の義務となった。

高齢化社会は都市部の現象である、と言われる。それは正しくない。正確には都市戸籍人口の現象であると同時に、農村に残留する高齢者の問題である。都市には地方出身の若者があふれている。その分、農村には老人が残されている。この点がわからないと、一人っ子政策廃止の意味が理解できない。

都市部では、両親が共稼ぎをしても一人っ子にかける教育費が高いため、よほど経済的に余裕がなければ2人目は産まない。いい学校に通わせ、習い事をさせ、願わくば留学もさせたい。それがいい仕事を得て、安定した生活を営むために不可欠な道だからだ。普通のサラリーマン家庭ではとうてい2人目は望めない。しかも多くの両親は一人っ子世代であるため、2人目の制限からはすでに解放されていた。

だが、出稼ぎの若者たちは飲食店や工場、建設現場など都市住民の生活を支える仕事に就きながら、田舎の家族に仕送りをしている。都市と農村の経済格差は大きく、農村は社会保障は整っていないため、老人は子ども、特に男児の助けを必要とする。したがって2人目出産の合法化は、農社人口を増やし、会全体の労働人口の確保や農村老人介護の面に資することが期待されていると言える。

社会学を専攻する女性中国人教授と話していて、彼女が「もし一人っ子政策に違反する農民がいなかったら、高度成長を支えた都市部の出稼ぎ労働人口は確保できなかったはずだ」と指摘したことがある。実際、多くの分野において中国の制度はルーズに運営されているが、実態からかい離した一人っ子政策はすでに時代錯誤となっていた。制度廃止は遅きに失した感がある。

もう5年以上前のことになるが、堕胎、不妊手術を定めた地方法規は憲法違反に当たると一人っ子政策を批判していた若い学者に会った時のことを思い出した。彼の名は中国青年政治学院の楊支柱・副教授。名刺の裏には「布票、糧票はなくなったが、人票はなくなっていない」と書かれていた。計画経済時代、衣服や食糧の配給を受けるのに必要だったのが布票、糧票だが、市場経済化でそれらは消滅した。だが、子どもを産むために必要な出産服務証(出産許可証)である「人票」はなくなっていないというのだ。一人っ子政策を反自然的、非人間的だと批判する良心の声は少なくなかった。

2007年、ベトナムと国境を接する中国南部の広西チワン族自治区の特に貧しい玉林市博白県の山間部で、一人っ子政策に違反した農家への非道な一斉取り締まりが始まり、これに反発する農民の大暴動に発展した事件を現地取材した。舗装されていないでこぼこ道で、水牛やニワトリと一緒に素足の子どもたちが飛び出してくるような山奥のへき地だった。谷間にある猫の額ほどの土地に、水稲やトウモロコシ、でんぷんの取れる芋類の木薯、野菜がびっしり植えてあった。

迷彩服に身を包んだ集団が突然、各農家を訪れし、不条理な罰金取り立てや家財道具の没収、強制的な不妊手術を強行した。怒りが限界に達した農民たちが決起し、役所を襲撃して焼いたうえ、公用車、パトカー、バイクを破壊した。最後は武装警察部隊が投入されという大暴動だった。私が訪れたのは鎮圧後だったが、農民たちが周囲を警戒しながら集まり、私に政府の非道ぶりを訴えた。強制的に連行され避妊手術を受けさせられた女性が、「手術後は痛くて歩けなかった」と涙を浮かべて話したのが忘れられない。

街頭で見かけた産児制限の標語も衝撃だった。中国の農村では「少産、優生で一生幸福に」「伝統的な結婚・出産観を改めよう」「地球は一つ 人口を抑えよう」
「男児も女児も同じ」などのスローガンがどこでも見られたが、あの山奥には

「1人目は避妊リング 2人目は不妊手術」
「少なく産めば 一生幸せ」
「リングも不妊手術も罰金も拒否する者は 壊せ!壊せ!壊せ!」

といった言葉が氾濫していた。報道によると、その他地域には、

「たとえ血が流れて川となっても 超過出産は許さない」
「たとえ墓が10増えても 人間は1人も増やさない」 
「家が破壊されても 国を滅ぼしてはならない」
「すべき避妊手術をしなければ家は崩れる すべき流産をしなければ家は崩れ、牛もいなくなる」

などのスローガンまであったという。

「経済社会の発展」を理由として非人道的な制度はなくなっても、その制度を運用した人たちの観念は変わらない。五か年の短期計画では変えようがない。どのような国民を作っていくのかという国のあり方にかかわる問題は、先送りされている。「中国の夢」にはこうした根本的な議論が含まれなければならない。多くの国民ももまたそう望んでいると、容易に想像できる。

「部分品には部分品の覚悟というものがあるだろう」

2015-10-28 17:47:25 | 日記
使っているノートPC・Surfaceのスタートアップやネットワークのボタンが突然反応しなくなった。不便をしたので購入した新宿の大型電器店に行き、サポートをお願いした。計3人の担当者と接し、非常に貴重な経験をしたので書き留めておくことにした。

最初に出向いたのは昨日の午前中。整理券を取って順番を待ち、故障の状況を説明すると「復元」を勧められ、「これ以上の作業をしてしまうと1万円の手数料がかかってしまう」と言われた。非常にもったいぶった言い方で、余計なことは一切しないという態度である。こちらが顧客であるにも関わらず、あたかも主導権は店側にあると言わんばかりだ。かつて中国の国営商店などはみなこの手のサービスだった。この店でははたぶん厳格な接客マニュアルがあって、それに従って杓子定規な対応がされているのだろうと思った。顧客満足度からすると完全にマイナスである。

やむなく店内で一人で復元作業をしたが直らない。そこでもう一回、整理券を取って相談した。別の担当者だった。復元では効果がなかったことを伝えると、初期化による解決を提案してくれた。こちらが不案内なのを察知し、そのためのショートカットまでデスクトップに作ってくれた。「引き取って同じ作業をすると費用が発生してしまうのでもったいない」というのだった。完全に顧客の立場に立った対応だった。満足度は一気に80%に高まった。

自宅に戻って必要なデータのバックアップを取り、初期化をしたところ問題は解決されたが、同時にワードやエクセルのofficeソフト、セキュリティソフトが抜け落ちてしまい往生した。メールアカウントでofficeのインストールサイトから取り込むというやり方がわからず、翌日、再び窓口に持ち込んだ。すると3人目の担当者が「お安い御用」と言わんばかりにすべての復旧作業をやってくれた。顧客満足度は100%に引き上がった。

もし最初の1人が厳格なマニュアルに従ったとなると、あとの2人はマニュアル違反になるので店の名前は明かすことができない。接客対応をほめてあげたいところだが、矛盾である。そもそもそれほど厳格なマニュアルがないのだとすれば、私は最初の1人で貧乏くじを引いたことになる。いずれにしても、人がルールの奴隷になっているように感じられることが多い日本の社会にあって、ホッとする経験だった。

人生の晩年を迎えた老企業家の家族を描いた川端康成の『山の音』で、主人公の尾形信吾がこう漏らす一節がある。

「閻魔(えんま)の前へ出たら、われわれ部分品に罪はございません、と言おうという落ちになった。人生の部分品だからね。生きているあいだだって、人生の部分品が、人生に罰せられるのは酷じゃないか」

部分品にも少しは隙間があった方が過ごしやすい。もし私なら、主人公にこう言わせたい。

「たとえ人生の部分品であろうとも、部分品には部分品の覚悟というものがあるだろう。部分品が自分の意思を持つことぐらいは許されてもいい。ぎっちり隙間なく部分品を埋め込まれたのでは、閻魔に罰せられても甲斐がないじゃないか」

胡耀邦生誕100周年記念講演会の開催を決定

2015-10-27 19:58:15 | 日記
本日、「日中の未来を考える会」の若者たちと打ち合わせをし、11月29日、胡耀邦生誕100周年記念講演会の企画案をまとめた。11月20日は中国の元指導者、胡耀邦氏(1915-1989)のちょうど生誕100周年である。中国共産党は2015年の「忘れてはならない四つの記念日」のうちの一つとしているが、おそらく日本での記念行事は例を見ないのではないか。

胡耀邦氏は1984年、日本から3000人青年訪中団を招くなど日中民間交流に大きな足跡を残したことで知られる。また今年三回忌を迎えた作家・山崎豊子氏が著した代表作『大地の子』は、胡耀邦氏が直接、山崎氏と面会し、執筆のための事前取材に強力な支援を約束したことが作品誕生の背景となっている。

だが、日中の若者たちにとってこうした歴史は徐々に縁遠いものとなりつつある。日中関係が困難な時期を迎えている今、改めて日中民間交流の歴史を振り返り、学ぶ場を設けることは、新たな未来を切り開く上で大きな意義を有すると考える。若者たちが積極的にこうしたイベントに取り組むことは非常に重要である。まだ法人格は得ていないがNPO日中メディア独創会も共催に名を連ねることとなった。

多くの中国人知識人と交流を重ね、中国における胡耀邦の存在を実感してきた及川淳子さんの講演が楽しみだ。私も「胡耀邦と習近平の父・習仲勲」のテーマでお話をさせて頂く。

ささやかではあるが地道なこうしたイベントが、さらに継続していくことを願っている。

「NPO法人日中メディア独創会」の設立準備を始めました。

2015-10-26 14:53:17 | 日記
2012年は日中の政権交代と同時に、両国関係においても分岐点となる節目だった。領土問題は表層に表れた現象に過ぎない。中国が大国として国際社会に台頭するのに合わせ、日中関係にも質的な地殻変動が起きている。両国を乗せたプレートが大きな軋みを生じ、安定的な状態を描き出せずにいる。この歴史的な転換にあって、軋みを緩衝させる橋を架けることができないか。もとより最初から大きなことができるはずもないが、すでに土台は出来上がりつつある。せめてこの土台を絶やすことなく、発展させることは継続したい。

日中のメディアが国民感情の悪化を助長しているとの指摘は各所でなされている。メディアのみならず、受け手が偏見や先入観にとらわれ、ステレオタイプの発想から抜け切れていない点もある。知らず知らずのうちに、「やっぱりそうだよな」とできあがったイメージを確認するためにニュースを見る姿勢が身に着いてしまっているのだ。メディアには、日系のスーパーや工場を破壊する「怖い」中国、南シナ海の埋め立てを強行し続ける「危険な」中国、自動車の排ガスなどでスモッグのかかった「汚い」、3Kの中国があふれている。この悪循環を断ち切らなければ、次代に対する責任が負えない。

中国には2万社以上の日系企業が活動し、十数万人の日本人が住んでいる。それぞれは点であっても、つなぎ合わせることによって線となり、面を描くことができる。それならば、実際に暮らしている生活者の視点で中国を伝えてみたらどうか。多くの方の力添えを得て2013年8月に『在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由』(阪急コミュニケーションズ)、同年9月に新聞・通信・放送各社の中国総局長や経験者ら計22人の共著『日中対立を超える「発信力」──中国報道最前線 総局長・特派員たちの声』、2014年10月には日中の経済関係者33人による『日中関係は本当に最悪なのか 政治対立下の経済発信力』(日本僑報社)の執筆、編集を務めてきた。「私は『経済発信力』の前書きで次のように書いた。

「それぞれは点であっても、深く掘り下げることによって、相互を結びつける地下鉱脈を探し当てられる。面を上からなでるよりも、深い点をつなぎ合わせて結んだ面の方が、価値のある情報を与えてくれるだろう」

私はこうした出版活動を通じ、現地の声を集約することで様々な情報発信が可能であることを実感した。執筆者のネットワークを土台に、北京と上海で計7回にわたり日中経済・文化講演会も開いた。第3冊目は有志の翻訳スタッフによって2015年には中国語版も発行される予定で、日中の相互理解に対する多くの人々の熱意が結実することになった。こうした活動を通じ、学生や若手社会人で作る「日中の未来を考える会」の北京支部も発足した。

だが一方、在留邦人の多くは企業派遣で任期満了後は帰国しなければならないため、ネットワークの継続維持が大きな課題として持ち上がった。地道に築いてきた人の輪をさらに発展させ、経済や文化など民間レベルでの情報発信力を強化するためには、出版だけではなく常時、簡便に利用が可能なインターネットの活用が不可欠だとの結論に達した。また、より継続的に交流事業を進めていくためには個人的な力ではなく、組織の力が不可欠であることも痛感した。私が読売新聞を退社して帰国し、独立した立場になったことで、日本でより中立的で幅の広い活動をすることも可能となった。

一方、私が29年前、北京語言学院に留学中、同学院で日本語を勉強し、その後、日本留学をした友人に元CCTV記者の李晨生がいる。彼は日本で映像メディア事業で成功し、現在は中国トーハンの社長も務める。『経済発信力』の中国語版を請け負ってくれたのも彼である。彼とは、日中メディア交流について夢を語り合ってきた。「メディア」というと伝統的メディアのイメージが強いが、今やインターネットを通じた情報発信が不可欠となっている。さらに各種メディアを組み合わせた独創的な情報発信も日進月歩の勢いで発展している。

こうして生まれたのが「NPO法人日中メディア独創会」の構想だ。インターネットサイトを通じた中国初の情報発信を中核とし、伝統メディア+ニューメディア+さらに創造的な情報発信を組み合わせ、両国相互理解の促進、強化を目指すものである。これまで築いてきた土台をさらに発展する場にもなる。独は「独立した思考、独自の視点、独特な空間」、創は「価値を創作し、関係を創出し、未来を創造する」を意味する。

本日、東京都庁で受付窓口の担当者と打ち合わせを行い、設立に向けた第一歩がスタートした。まだ若葉マークもついていない卵である。地道に進めていこうと思っている。我々の力は微力であり、多くの方の協力と支援が不可欠である。

どうぞよろしくお願い申し上げます!

苔むす盆栽を見て思った「A rolling stone gathers no moss」と「滴水穿石」

2015-10-25 07:48:33 | 日記


小さな鉢に育てた苔にいい風合が出てきた。10年以上のものもある。学生時代、京都の寺院を巡っていて、ビロードのようなつやを放っていた一面の苔を見た記憶がある。まさに苔衣である。手入れの行き届いた庭ではなく、荒れた林だったように思う。木陰で日は当たっていなかったが、地の力を吸い上げ光を発しているかのようだった。何十年、何百年も前からそこにあったのだ。苔の間を縫って流れる清水はさぞ澄んで冷ややかだろう。

我が家のものははるかに及ばないが、目立たぬように地を這い、黙々と年月を積み重ねてきた営みを教えてくれるのはありがたい。盆栽では主役になり得ないが、欠くべからざる存在である。そこには慎み深さと、年月が刻まれている。

苔と聞いて思い出すのが、英語の授業で習ったことわざ「A rolling stone gathers no moss」だ。転石苔を生ぜず。転がる石には苔が生えない。もともとは伝統を重んじる英国で、「絶えず一緒に落ち着かないでいると大事をなすことができない」という趣旨で用いられていたが、新天地の米国に伝わると、「変化を求め動いていれば、常に新鮮さを保つことができる」との意味が加わった、と聞いた記憶がある。苔むす状態をよいと見るか、悪いとみるかの違いである。苔を愛する者は決して後者の意味では使わないだろう。

地道に忍耐強く物事を積み上げていくことを、「石の上にも三年」「雨垂れ石を穿つ」などという。中国には90歳の愚公が通行に邪魔な山を移そうと土を運んだ故事から「愚公移山」(愚公山を移す)のことわざがある。スケールが大き過ぎるので、「苔むす」を好む日本人にはなじまない。むしろ「雨垂れ石を穿つ」の方がしっくりする。実はこの言葉も典拠は中国の『漢書』だ。中国では「滴水穿石」「水滴石穿」と言われる。

習近平も福建省勤務時代に著した本『摆脱贫困』の中で、「滴水穿石の啓示」と題する文章を書き、発展の遅れた地区でも一歩一歩前進しようとする精神が大切だと訴えている。

宋代の故事がある。湖北省の崇陽県は治安が乱れ、窃盗事件が絶えなかった。張乖崖という県令が赴任し、その対策に頭を悩ました。ある日、金庫から出てきた役人が頭巾の下に銅銭を一枚隠してあったのを見つけ、窃盗の疑いで取り調べた。ところがこの役人は開き直り、「どうせ銅銭1枚だけだ。殴りたければ殴ればいい。殺せやしないだろう」と言い放った。県令はこれを見せしめにしようと決め、「1日1枚でも千日続ければ千枚になる。縄でも木を切り倒せる。水滴でも石に穴が開く」と言って首をはねた。「水滴石穿」である。今から見ればずいぶん残酷だが、乱れた風紀を改めるにはやむを得なかったのかも知れない。

どこか今の反腐敗運動にも似ている。