行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

李嘉誠汕頭大学名誉主席のラストスピーチ

2018-06-29 15:02:04 | 日記
汕頭大学の卒業式は毎年、創設以来の名誉主席である李嘉誠氏の祝賀スピーチが華だ。すでに今回が17回目となる。一昨年はバスケットボール選手の姚明氏、昨年はノーベル文学賞受賞者の莫言氏が特別ゲストとして出席したが、今年はゲストなしの代わり、90歳になる李嘉誠氏が引退し、次男の李沢楷氏に席を譲ることを宣言した。記念すべき卒業式となった。







最後となったスピーチでは、彼が大学の教育理念として掲げている「建立自己 追求無我(自己を確立し、無我を追い求める)」が主テーマだった。目を引いたのは次のくだりだ。

「現代の環境がもたらしている新たな挑戦に対し、旧来の考え方にとらわれていては刷新は生まれない。凡庸なありきたりの道を歩んでいても、資源をいたずらに浪費するだけで、労多くして功は少ない。人と異なる方法を探索してこそ、価値ある変化を生むことができる」

「自己を確立するために肝心なのは、『謙卑、謙恭、謙虚』である。謙卑には反省と激励の役割がある。偽りの、尊大、傲慢な態度に対する予防接種である。思想と知恵を備え、謙虚さを身につけた人には度量があり、遠大で複雑な問題を解決できる。こうした人たちは、自分の観点が決して唯一の有効な選択だとは考えない。謙恭な人は、常に好奇心と開明さを備え、自ら努力することを怠らず、自分自身に打ち勝つことのできる人は充実した人生を送る妙薬を知っている」

「夜、星空を見上げて自分の小ささを知り、長い道のりの中で、しばしば落胆し、無力を感じてきたが、私はまた明日のため戦いの鎧を身に着け、思考し、受け止め、行動し、たゆまず公益を追い求め続け、よりよき未来を求めてきた」

そして、最後の締めくくりは、

「過去の一切を心に刻み、未来を眺めて、私はいつもみんなの将来の成果を期待している。学生諸君、ARE YOU READY?理知と道徳、誠意をもって一生を過ごし、世界のために力を尽くし、尊厳と機会を大切にし、『建立自己 追求無我』、真の勝者となる人生を生きようではないか!」





6月29日、記念すべき1日が終わった。明日、学校を後にし、9月半ばまでの夏休みに入る。北京経由で、まずは北海道大学のサマーインスティチュートに参加する。

集まり参じて人は変われど・・・卒業式の日に

2018-06-29 07:32:19 | 日記
卒業式の当日を迎えた。2年前に赴任したとき3年生だった学生たちが卒業する。初めて日本ツアーに引率した学生もいる。初めて私の紹介でメディアに就職した学生もいる。初めて海外留学の紹介状を書いたのも彼女たちだ。たくさん議論をし、山登りをし、酒もたくさん飲んだ。特別な思いのある卒業生である。











間もなく卒業式が始まる。長らく名誉主席を務めた李嘉誠が引退し、次男の李沢楷に譲るセレモニーが行われる。多くの香港メディアが集まっている。李嘉誠がきっと記念すべきスピーチを残すことだろう。

(続)

【北海道取材ツアー③】現地に報じられた我々の取材

2018-06-22 22:06:38 | 日記
今回の北海道取材ツアーでは、現地発のニュースを発信したほか、昨年にないもう一つの特徴があった。それは複数回にわたり、当地の日本メディアに私たちの取材活動が報じられたことだ。これには大学の先生たちも驚いた。

一つは、帯広、十勝を拠点とする十勝毎日新聞の6月5日付紙面。



前日の6月4日、「十勝千年の森」をデザインした高野文彰氏の案内で森の中を歩いた。高野氏は私たちを非常に熱心に受け入れてくれた。この取材については、学生が文字と映像による入念な編集作業をしているので、完成し次第、改めて紹介したい。

十勝千年の森の所有者は、十勝毎日新聞社で、同社のグループ会社が経営している。紙を大量に使用する新聞社として、森林資源を保護する社会的責任があるという理念に基づく。能勢雄太郎地方部長がカメラマンと取材にきて、私たちの全行程に同行し、記事にしてくれた。

もう一つは、北海道最大手の北海道新聞6月7日付紙面だ。



私たちは5日昼、帯広から列車で函館に入った。スーツケースを引きずったまま、地元で17店舗を擁する最大のハンバーガーレストラン「ラッキーピエロ」に直行し、華僑の王一郎会長に北海道における華人社会の発展を取材した。その後、二手に分かれ、一チームは開業二年目の函館新幹線に試乗し、もう一チームは函館中華会館の調度品を研究している函館ラサール高校の小川正樹教頭から、華人社会と中華会館のかかわりについて話を聞いた。

いずれも印象深い取材だったので、日を改めて報道作品や取材の裏話を紹介できると思う。そして何よりも感謝しなければならないのは、記事を書いた北海道新聞函館支社の田中華蓮記者だ。いくつかの取材のアレンジをしてくれたうえ、最後は札幌に帰る列車の中まで見送りに来て、地元特産の洋菓子を差し入れてくれた。きめ細かい心遣いに学生たちが感動していた。

田中記者は、私にはカレンちゃんと呼んだ方がなじみがある。私が北京で新聞社の責任者をしていたとき、事務所に新聞スクラップのアルバイトに来ていたのが彼女だ。高校から北京の学校に進み、当時は人民大学新聞学院に在籍していた。新聞学院の中では最高峰の大学である。双子で、妹は同じく北京大学で中国文学を専攻していた。父親が北京の魯迅博物館で専属カメラマンを務める田中政道氏で、かなり前からの知り合いという縁も重なった。田中氏の妻であり、カレンちゃんの母親である周寧氏が魯迅の一人息子、周海嬰氏の娘で、つまりカレンちゃんは魯迅のひ孫ということになる。

彼女は夢かなって新聞社に入り、2年目の駆け出し記者として奮闘中だ。本人は言わなかったが、後日、北海道新聞の同僚から聞いたところによると、函館で中国人観光客の乗ったバスで火災が起きた際、取材として現場に駆け付けただけでなく、観光客の中国語通訳として病院まで同行し、消防署から表彰を受けたという。 彼女らしい働きぶりだと感心した。

以下の写真は、函館の居酒屋で彼女を囲み打ち上げをした際のものだ(右列前から3人目が田中華蓮記者)。魯迅のひ孫だということで、記念写真をせがむ学生もいた。北京で会って以来、思いもかけない、忘れがたい再会だった。



北海道の人々の温かさを各地で感じる旅だった。それが2編の記事として残ったことを、うれしく思う。




中国の大学生と作ったAI原則5条(その2)

2018-06-21 22:21:55 | 日記
習近平総書記が昨年10月、第19回共産党全国代表大会の報告で、経済の質的強化を実現するため、製造業の強化とともに、「インターネット、ビッグデータ、人工知能と実体経済を密接に結びつける」ことを柱に据えたばかりである。百度(バイドゥ)、阿里巴巴(アリババ)、騰訊(テンセント)の3大ICT企業(頭文字をとってBATと呼ばれる)などが膨大な資金と人材を投じ、世界最先端のAI技術開発に参入している。

こうした社会の後押しを背景に、高度成長期に育った大学生たちは総じて新技術開発に楽観的、肯定的で、包容力があり、明るい未来を描いている。だから当初、想定したAI原則は「私たちのAIドリーム(我们的AI梦)」と名称を変更した。

一方、中国の伝統文化を根に持つ若者たちは、欧米には見られない、独自の道徳観を持っている。期末論文のテーマを「AI教師に何を感じるか?」としたら、かなりの数の学生が、人間の魅力や仁愛によって人を導く教育は、AI教師には代替ができないと書いてきた。起草の段階でも、AIに道徳観を期待できるかどうかで議論が起きた。AI原則ではこうした伝統文化の要素も重視した。さらには、メディアを学ぶ新聞学院の特色をも加味した。

ロボット3原則は「こうであらなければならない」と義務付ける法規定のようだったが、若者が将来に期待するAIドリームは、断定調、命令調は避け、こうあってほしい願うスタイルにした。こうして、以下の5条と注釈が生まれた。



第1条 私たちは、AIが人類の幸福追求と夢の実現を助けるよう希望する。
(AIは優れた技術によって人類の生活をさらに便利に、快適にするばかりでない。個別的なサービスによって個人の要求を満たし、さらには個人の自己探索、夢の追求をも支え、人類の精神や感情の求めにより多くの関心を注いでくれる)



第2条 第1条を満たす条件のもとで、私たちはAIの発展を支持し、さらに自由な発展の空間を与える。
(AIの発展は、人類がよく問題を解決するのを助ける方向に向かい、人類がAIの成果を享受する前提のもとで、私たちはAIを認め、支持し、相互作用の中でより多くの信頼と包容力を与える)



第3条 私たちは、AIが人類の道徳的価値観を守り、自然と生命を尊重するよう求める。(AIは私たちとともに生存の環境を享受することができるが、それはその活動が人類の利益を侵さないとの前提があり、人類が共有する価値観が最低ラインである)



第4条 私たちは、AIは人類の生活の中で多様な役割を担い、安心感を与えるものだと考える。
(人類のAIに対する欲求は異なるので、AIは、例えば助手や仲間、家族など、多様な役割を担い、人類を助け、あるいは人類に付き添う。技術上の安全を確保する以外、AIは愛すべき非人類の外見を持ち、人間的なサービスによって冷たい印象を取り除き、人類に安心感を与えるものである)



第5条 私たちは、AI研究の本質が人類自身の探求を目指すものだと信じる。これはAI技術の発展によっても変わることはない。(人類とAIは対立の関係ではなく、AIは人類が自己を研究し、人間相互の関係を研究する際の鏡となる。人類がさらによく自己を知り、探求するのを助け、人類の自信を強める。AIはフィードバックによって人類との交流を強化し、人類とともに発展し、進歩する)

米国映画のような人類の敵となるのではなく、ドラえもんのようなかわいい仲間であってほしいと願う声があった。冷たいキャラクターではなく、ぬくもりのある、人に安心感を与える存在であってほしいと望む声もあった。道徳観念に対する強いこだわりもある。そのうえで、AIを受け入れ、ともに暮らし、同じように自然と生命を尊重し、独自の自由な空間を与えてもよい、との発想が生まれた。

最後の第5条は、AIと向き合い、人とAIの相違点を探索することがすなわち、人間の存在、価値を見直し、再認識する契機となるとの認識である。それは自己、自我の追求という大学の目的にもつながっている。学生たちにとって最大の収穫が第5条の発見だった。起草グループの3人からは、有意義な勉強ができたと感想が届いた。彼女たちにはこれから、AI原則「私たちのAIドリーム」誕生記を記事にして公表する重大な任務が残っている。



(完)

中国の大学生と作ったAI原則5条

2018-06-21 22:20:28 | 日記
3月からの今学期、初めて人工知能(AI)に関する授業「人工知能時代のメディア」を始めた。前学期、「現代メディア課題研究」の授業でAIを主テーマにしたところ、学生の強い関心と反響があったので、今学期から独立させた。全16週授業の目標を、「AI原則」の制定に置いた。まずは小グループに分かれ、AI発展の歴史から生活の中のAI、就職への影響、安全リスク、メディアの中などのテーマごとに基礎的な研究をし、その土台をもとにそれぞれの原則を起草した。自薦で3人の起草グループを作り、そこで全体の取りまとめをした。



論議の過程で、「原則」は法規則のようで堅苦しいとの指摘があり、最終的に「私たちのAIドリーム(我们的AI梦)」となった。昨日、最後の授業があり、クラス全員の賛同を得て、「私たちのAIドリーム」5条が誕生した。



言うまでもなく、SF作家のアイザック・アシモフが1950年、作品の中でロボットが従うべきとして示された原則、いわゆる「ロボット3原則」を引き継いだものである。以下が、アシモフの唱えた3原則で、その後、ロボット工学など幅広い分野に影響を残した。

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第1条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
(A robot may not injure a human being, or, through inaction, allow a human being to come to harm.)

第2条 ロボットは人間から与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第1条に反する場合は、この限りでない。
(A robot must obey the orders given it by human beings except where such orders would conflict with the First Law.)

第3条 ロボットは、第1条および第2条に反しない限り、自分自身を守らなければならない。
(A robot must protect its own existence as long as such protection does not conflict with the First or Second Law.)
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すでに昨年2月、米ボストンに拠点を置く学術支援団体「Future of Life Institute(FLI)」が、カリフォルニア州アシロマに各分野の専門家を集め、「「人類にとって有益なAIとは何か」を5日間にわたって議論し、「アシロマAI原則」23条を公表した。この原則 は、AIの研究、倫理・価値観、将来的な問題の3つ分野に関して、安全性や透明性、プライバシーや人間の尊厳の尊重、利益の共有、軍拡の反対までを網羅したきめ細かい規定だ。

最初の授業で私がAI原則の制定を掲げたとき、多くの学生はすぐに意味が呑み込めないようだった。ある学生は私に尋ねた。

「すでに権威のある原則ができているのに、どうして私たちがまた考えなくてはならないのか?」

私の答えは明確だった。

「人間の知能にとって代わり得るAIの開発は、われわれの生活や生き方そのものにかつてないほどの変革をもたらす可能性がある。専門家だけにゆだねるのではなく、すべての人が関心を持つべきだ。そして、すべての人に発言権が与えられるべきだ。われわれがその先例を作ればいい」

議論の過程で何度も繰り返したのは、世の中がどうなっていくか、どうあるべきかを大上段に語るのではなく、私たちがどうあってほしいかを若者の目で率直に訴えようではないか、との呼びかけである。次代を担う若者たちのアピールである。

こんな具合にクラス35人の探求が続いた。

(続く)