明日の授業は2年生の学生2人に、米政治学者リップマンの古典的メディア論『世論(PUBLIC OPINION 1922)』の研究発表をするよう伝えてある。中国では『公衆輿論』(上海人民出版社 閻克文・江紅訳)と訳されている。輿論の前にあえて公衆をつけたことについて、訳者前書きは「輿論の主体は公衆であり、輿論は常に公衆の輿論である」としか書いていないが、実に重要なポイントを押さえている。
リップマンは同著で、「人々の脳裏にあるもろもろのイメージ、つまり、頭の中に思い描く自分自身、他人、自分自身の要求、目的、関係のイメージが彼らの世論というわけである。人の集団によって、あるいは集団の名の下に活動する個人が頭の中に描くイメージを大文字の『世論』とする」(岩波文庫、掛川トミ子訳)と述べ、バラバラのイメージを「public opinions」と、集団としてのまとまりを持ったイメージを「Public Opinion」と書き分けた。「公衆」はまさにその集団を強調した但し書きである。
学生の発表に続け、授業ではpublic opinionが日中でいかに訳されたかという原点を振り返ってみたいと思う。まずは1844年に編まれた英中辞書『衛三畏英華韻府』がある。
編者は、ペリーと一緒に黒船に同乗し、日米の通訳を務めた米宣教師のサミュエル・ウェルズ・ウィリアムズだ。中国に半世紀近く滞在し、帰国後はエール大学で最初の中国研究者となった。彼はpublic opinionを「衆論」と訳した。
日本でよく活用された独宣教師、ロブシャイドの『英華字典』(1866)は「衆意、衆心」、それを増訂した独哲学者、井上哲次郎は「衆意、衆心、衆論、衆議」と幅広く用語を拾った。1884年のことである。それに先立ち、福沢諭吉は『文明論之概略』で、民主主義における公正な議論の重要性を訴える中で、次のように書いている。
「唯世に多き者は、智愚の中間に居て世間と相移り罪もなく功もなく互に相雷同して一生を終る者なり。此輩を世間通常の人物と云ふ。所謂世論は此輩の間に生ずる議論にて、正に当世の有様を摸出し、前代を顧て退くこともなく、後世に向て先見もなく、恰も一処に止て動かざるが如きものなり」
福沢は「輿論」と言わず「世論」と言った。大文字の輿論(Public Opinion)に対し、社会風潮の左右され、移り気で、付和雷同する小文字の世論(public opinions)を想定したのだろう。そこにはJ.Sミルが『自由論』で指摘した多数者による暴政を批判する姿勢が貫かれている。空気に流れやすい日本の社会風土に対する警戒でもある。
大海に浮遊するかのような不安定で、空を流れる雲のように分散的な集団を群衆と呼ぶ。これに対し、社会の重要事項について、議論を通じた独自の見解を持ち、理性に従って行動する人々の集まりは公衆である。公衆の輿論とは、リップマンのいう大文字のPubilic Opinionにほかならない。
思えば「衆議」は現在の日本の国会にその名を受け継いでいる。理性的な議論を通じ、大文字の輿論を形成する場となっているか。残念ながら建物の中にいる議員に多くを期待できない現状においては、pubilic opinionsこそが原点に立ち返って自省し、新たに生まれたインターネット空間を有効に利用した議論のあり方を模索すべき時である。
リップマンは、「人と、その人をとりまく状況の間に一種の疑似環境が入り込んでいる」と述べた。我々は、自分が見聞きし、経験したもの以外の世界については、自分が持っているイメージが呼び起こす感情しか持つことができない。だからこそ相手を知るのは実に骨の折れる作業となる。だが既成のステレオタイプに安住し、他者に従属し、服従する安逸に逃れたとたん、仮想のインターネット空間はたちどころに現実の環境を支配しようと乗り出す。そうなればもう精神の奴隷になるしかない。
リップマンは同著で、「人々の脳裏にあるもろもろのイメージ、つまり、頭の中に思い描く自分自身、他人、自分自身の要求、目的、関係のイメージが彼らの世論というわけである。人の集団によって、あるいは集団の名の下に活動する個人が頭の中に描くイメージを大文字の『世論』とする」(岩波文庫、掛川トミ子訳)と述べ、バラバラのイメージを「public opinions」と、集団としてのまとまりを持ったイメージを「Public Opinion」と書き分けた。「公衆」はまさにその集団を強調した但し書きである。
学生の発表に続け、授業ではpublic opinionが日中でいかに訳されたかという原点を振り返ってみたいと思う。まずは1844年に編まれた英中辞書『衛三畏英華韻府』がある。
編者は、ペリーと一緒に黒船に同乗し、日米の通訳を務めた米宣教師のサミュエル・ウェルズ・ウィリアムズだ。中国に半世紀近く滞在し、帰国後はエール大学で最初の中国研究者となった。彼はpublic opinionを「衆論」と訳した。
日本でよく活用された独宣教師、ロブシャイドの『英華字典』(1866)は「衆意、衆心」、それを増訂した独哲学者、井上哲次郎は「衆意、衆心、衆論、衆議」と幅広く用語を拾った。1884年のことである。それに先立ち、福沢諭吉は『文明論之概略』で、民主主義における公正な議論の重要性を訴える中で、次のように書いている。
「唯世に多き者は、智愚の中間に居て世間と相移り罪もなく功もなく互に相雷同して一生を終る者なり。此輩を世間通常の人物と云ふ。所謂世論は此輩の間に生ずる議論にて、正に当世の有様を摸出し、前代を顧て退くこともなく、後世に向て先見もなく、恰も一処に止て動かざるが如きものなり」
福沢は「輿論」と言わず「世論」と言った。大文字の輿論(Public Opinion)に対し、社会風潮の左右され、移り気で、付和雷同する小文字の世論(public opinions)を想定したのだろう。そこにはJ.Sミルが『自由論』で指摘した多数者による暴政を批判する姿勢が貫かれている。空気に流れやすい日本の社会風土に対する警戒でもある。
大海に浮遊するかのような不安定で、空を流れる雲のように分散的な集団を群衆と呼ぶ。これに対し、社会の重要事項について、議論を通じた独自の見解を持ち、理性に従って行動する人々の集まりは公衆である。公衆の輿論とは、リップマンのいう大文字のPubilic Opinionにほかならない。
思えば「衆議」は現在の日本の国会にその名を受け継いでいる。理性的な議論を通じ、大文字の輿論を形成する場となっているか。残念ながら建物の中にいる議員に多くを期待できない現状においては、pubilic opinionsこそが原点に立ち返って自省し、新たに生まれたインターネット空間を有効に利用した議論のあり方を模索すべき時である。
リップマンは、「人と、その人をとりまく状況の間に一種の疑似環境が入り込んでいる」と述べた。我々は、自分が見聞きし、経験したもの以外の世界については、自分が持っているイメージが呼び起こす感情しか持つことができない。だからこそ相手を知るのは実に骨の折れる作業となる。だが既成のステレオタイプに安住し、他者に従属し、服従する安逸に逃れたとたん、仮想のインターネット空間はたちどころに現実の環境を支配しようと乗り出す。そうなればもう精神の奴隷になるしかない。