行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

世論調査の「誤差」が生む自由な思考の余地-2

2016-09-30 10:06:37 | 日記
世論調査と選挙結果についいて、私は一つの仮説を立ててみた。学生たちの思考に刺激を与えるためだ。身近に選挙を経験していない分、中国の学生たちは身を乗り出すように関心を示してくれる。近年、日本の国政選挙の50%しかないことにも、彼らは驚きの声を上げる。そのことに何の疑問も持たない日本の学生たちと議論をさせれば、きっと相互に得られるものがあるはずだ。

話が逸れたが、私が授業で示した仮説は以下のようなものだ。



世論調査には、どのような形にせよ、一定のアナウンス効果(公告效应)が生まれる。負け犬効果も勝ち馬効果もその一部である。それをさらに詳しくみれば、有権者が世論調査を目にした後、投票結果にどれほど変更の可能性があると考えるか、つまり結果の予測可能性が投票率に大きく影響してくることは、合理的に推測できる。もし投票によってほとんど変わらないと思えば、自分の一票の価値が相対的に低下すると認識するはずだ。これは低い投票率となって表れる。

また、設定された議題(agenda)=争点が明確であり、かつ重要である場合、有権者の関心は高まり、世論調査がさらに議題設定を強化することによって、投票の行動は促されることになるだろう。7月の参院選は、選挙権が18歳以上に引き下げられた最初の選挙でありながら、投票率は前回比マイナス2.09ポイントの54.70%にとどまった。「改憲勢力三分の二」(読売を除き)というメディアの議題設定が、有権者の関心から大きく遠ざかっていた結果である。

さらに見逃すことができないのは、国民的性格や時代的背景を持った大衆の心理状態も無視できない。国によって、あるいは一国でも時代の風潮によって、判官びいきに傾いたり、大衆迎合に向かったりする。現在の日本をみれば、コロコロ変わる短期政権が相次ぎ、近視眼的な政治術、浅薄な選挙術に国民が辟易としている。こうした社会において、政治的無関心、あるいは政治への嫌悪、不信が顕在化するのは当然だろう。世論調査はそうした社会心理を映し出す鏡の役割を果たすことで、選挙結果にも影響を与えることになる。

話の内容はおおむね以上のようなものだが、授業のまとめとして「誤差」という概念について語った。世論調査には、サンプル数などによって確率論でいうところの誤差が生じる。2,3%の差は有意とはみなされず、「ほぼ同じ」としなければならない。世論調査結果後の予測可能性も、調査結果と投票結果の誤差に対する評価である。将来の予測に対して誤差があるからこそ、不安であるか、希望であるか、いずれかの心理作用によって人の動機が生まれる。世論調査の結果が精密になればなるほど、人々から動機を奪ってしまうのは皮肉ではないのか。



われわれの思考においても同じことが言える。将来の予測が困難だから、不可知だからこそ、そこに自由で独立した思考が生まれるのではないか。ある人が、置かれている状況に矛盾を感じ、乗り越えようとするとき、自分が思い描く見取り図と、周囲の環境に落差=誤差を感じる。当然のことだ。それだからこそ、我々は思考を繰り返し、答えを探そうと努めなければならないのではないか。なんでもわかったよようなふりをしている者は、えてして不測の事態にうろたえるのだ。

自分の体験をもとに、以上のような結びの言葉を語った。「よい国慶節を!」と締めくくると、クラスの学生たちが拍手をしてくれた。長期休暇が待ち遠しいだけだったのか。またの機会に聞いてみようと思う。(完)

世論調査の「誤差」が生む自由な思考の余地-1

2016-09-30 09:11:15 | 日記
授業で、世論調査と選挙の関係について論じた。「世論」が本来、大衆の情緒、人気に近い浅薄な意味を帯びた概念で、理性的な議論に基づく「輿論」が、当用漢字から外され「世論」に取って代わられたことによって、その概念もまた失われたとする指摘は、佐藤卓己著『輿論と世論』などの著書に詳しいのでここでは論じない。

中国では「輿論調査」と同時に、最近ではしばしばネットで行われる「民意調査」の用語も使われる。こちらの方が、用語が不当に蒙った歴史から解放され、より使い勝手がよいように思う。後発のメリットである。

フランスの社会学者P.ブルデューがかつて「世論なんてない」と唱えたケースもあり、そもそも輿論や民意なるものが存在するのかという議論はあるが、それはまた別の話としよう。私は、世論の存在に懐疑的な立場を取りながら、いかに世論を形成していくかという努力を重ねることに意義を見出す立場である。



これはメディアによる報道の流れを私なりに図式化したものである。記事作成は取材から始まるのではなく、あらかじめ「世論」を踏まえたテーマの設定、取材の視点、方法などが決められる。議題(agenda)は最初に決まっているのだ。その上で、取材対象をいかに伝えるか、加工と編集が行われる。メディア論では「ゲートキーパー」の機能と呼ばれる。

だから報道は複製=コピーの技術である。事実をありのまま完全に復元することは不可能だ。テレビの画面でさえ、映されていない現実の存在によって、視聴者は騙されていることがある。法廷で争われているのが法律的事実であって、実態的事実ではないと同じである。人間が複雑な心理過程を経て犯す犯罪は本来、刑法の定義にピタリと当てはまるようにはなっていない。法によって事実を加工するのである。

では、これを踏まえ、世論調査はどういう流れをたどるのか。日本は専門の調査機関ではなく、報道機関である新聞、テレビが行う点で特異だ。GHQ時代の世論調査による〝民意民主主義”を引き継ぎ、メディアによるチェック、批判を受けない聖域としての地位が与えられている。



メディアは、報道の流れと同様、事前に議題の設定を通じ、ゲートキーパーの役割を買って出る。そして調査の結果がさらに議題設定の作用を補強する。報道機関が調査機関となることによって、議題設定は自作自演の様相を呈する。

これが選挙の結果にどう影響を与えるかは、多くの研究があるが、大衆の民意がつかみどころのないものである以上、明確なものは存在しない。世論調査で劣勢の候補に投票する「負け犬効果=underdog effect」も、大勢に準じようとする「勝ち馬効果=bandwagon effect」も、検証が困難な後付け理論の嫌いが強い。どっちの結果になっても、言いようがあるのだ。評論家の飯の種でしかない。(続)

天安門城楼の毛沢東肖像画が掛け替えられた

2016-09-29 17:30:14 | 日記
中国の建国記念日にあたる10月1日の国慶節を前に9月27日、天安門城楼に掛けられた毛沢東の肖像画が取り外され、新しいものに取り替えられた。外された絵は改めて修繕され、来年のこの時期に復活する。毎年行われる恒例の行事で、夜中、1時間近くをかけて行われる。縦6メートル、横4・6メートル、重さは1.5トンもあるので、クレーンで持ち上げる大掛かりな作業となる。



毛沢東の肖像画が常時掲げられるようになったのは、文化大革命が始まった1966年以来だ。それ以前は、メーデーや国慶節など特定の記念日に限定されていた。



当初、毛沢東の顔がわずかに右を向き、左耳だけが描かれていた。しかも左目が若干上に向いていたことから、「耳と目に入るものが偏ってしまう」との批判を受け、翌1967年の国慶節から、今に伝わる正面の像に変えられたとの逸話が残る。以来、半世紀にわたり天安門広場の歴史を見続けてきた証人である。

文革終了後、荒廃した社会の秩序回復もまた、毛沢東の権威にすがるしかなかった。鄧小平が掌握した政権は、毛沢東思想を継承することに正統性を置いた。鄧小平は1980年8月、イタリア人女性記者、オリアナ・ファラーチのインタビューに対し、天安門に掲げられた毛沢東の写真は「永遠に残していく」と断言した。そしてそれは現在に至るまで堅く守られている。紅二代の習近平政権はより一層、原点回帰の性格を強めている。肖像画はますます実際の重量以上の重みを増しているのだ。

歴史をたどれば、天安門城楼に最初に毛沢東像が掲げられたのは建国前の1949年2月12日だ。北京(当時は「北平」)解放祝賀式典において、朱徳や林彪、聶栄臻、葉剣英の元帥と並んで、中心に置かれた。



同年7月7日には、「七七抗日戦争」(盧溝橋事件)12周年の記念行事で、朱徳とともに掲げられた。



建国の式典に先立ち、国家や国旗を定めた1949年9月21日の第1回人民政治協商会議第1回全体会議で、周恩来をトップとする準備委員会が発足し、同委員会で10月1日の式典当日、天安門に毛沢東像を掲げることが決まった。当時は軍服姿だったが、翌年から人民服に変わった。国民党時代は同じ場所に蒋介石の肖像画が置かれていたこともある。毛沢東の次があるのかどうか。今のところ見えてこない。







木の名前は「洋紫荊」(ハナズオウ)と判明

2016-09-28 16:29:10 | 日記
微信(ウィー・チャット)で学生たちが議論を交わし、話題の木は最終的に「洋紫荊」(ハナズオウ、学名Cercis chinensis)と判明した。落葉低木で中国南部やインド、インドシナ半島に分布する。学内にも多数見られる。新聞学院は外国語学院と同様、9割方が女子学生で、こういう時にも彼女たちが力を発揮する。コミュニケーション能力は女性に軍配が上がる。





その名の通り、春先には紫、または赤い花をつける。きっと苦難を経たあの木はより一層鮮やかな花を咲かせるに違いない。来年を楽しみに待つことにする。たくましい根があってこそ、美しい花が開くのである。

人もものも、名前を与えられることによって受け入れられ、認められる。

微信でクラスの学生たちにお礼を言い、最後にこう書いた。

“它终于拿到名字,等于拿到大家的认同了,现在不是陌生人了。所以我也要要赶快记住大家的名字!”
(あの木はとうとう名前が見つかった。みんなに認められ、もうストレンジャーではなくなった。だから私もみんなの名前を早く覚えなくてはならない)


「樹木に太陽が必要なように、我々には等しく光を照らすメディアが不可欠なのだ」

2016-09-28 14:46:53 | 日記
台風は福建に上陸後、勢いが弱まったようだ。学内には明かりが差し込んできた。学生の研究発表は上出来だった。2012年の北京暴雨災害とつい7月に起きた河北省の洪水災害について、ニュース報道の角度から比較分析を試みたものだ。いずれも100人前後の被害が出た水害だ。大都市と農村でどれだけ情報量や情報伝達の落差があるのかを明らかにした。

携帯を中心とする個人の情報発信があり、それを新聞やテレビなどの主流メディアが追いかけ、政府が対応に追われる。一連の流れはあらゆる自然災害報道においてすでに定型となっている。だが、個人にせよメディアにせよ、数量とレベルにおいて劣る農村は、情報においても劣勢を強いられる。しばしば、被害現場が忘れ去られ、政府の謝罪や被害を救ったヒーローが話題を奪っていく。死者は数字の中に埋もれてしまう。

一方、都市部のメディアには被害者の詳細が報じられ、町の記憶として刻まれる。それは生命に対する尊重でもある。もとより命の重さに違いはないが、メディアを通じ差異が生じてしまう。その差異は、将来の防災にも投影されるに違いない。格差の拡大再生産が繰り返される。

朝、地を這い、やがて天に向かう木の話を書いた。授業でも、学生の発表後、この木の話をしてみた。太陽と水があればまっすぐ伸びていくことができる。人もまた同じではないか。生い立ちが異なっても、学校での教育やメディアによって得られる栄養が人を育てていく。樹木に太陽が必要なように、我々にも教育やメディアが不可欠だ。教育やメディアが人を正しく導いていく。それほどメディアは大事なのだ。だから太陽と同様、等しくみんなを照らさなければならない。





撮ったばかりの写真を学生たちに見せてみた。葉はちょうど手のひら大で、ハートの形をしている。とうとう木の名前はわからなかったが、きっとだれかが調べてくれるに違いない。名無しの権兵衛ではかわいそうだ。