リスペクトコラムです。
長くJ2でご一緒し、今季はJ3で頑張られた群馬さん。2年でJ2復帰を果たされました。おめでとうございます。J3に降格したら、なかなかすぐに上がってこないケース見受けられましたが、比較的早い時期に戻れましたね。また、湯もみ娘サポーターがCスタで観られるのはうれしいです。
【布先生が教え子と交わした熱い抱擁。群馬J2昇格の裏に市船の師弟関係。】
〔「君のような選手が必要だ」〕
「今から18年前の2001年。当時、中学3年生だった渡辺は千葉県のウイングスS.S.習志野でプレーしていた。そんな渡辺に熱い視線を送っていたのは、市立船橋高校の監督を務めていた布だった。
「当時から身体も大きかったですし、ウイングスでボランチなどをやっていて、彼の真面目なパーソナリティーが非常に魅力的だった。昔から上手い選手ではなかったですが、中学生の時から声を出して真面目に戦っている姿を見ていたし、リーダーシップもある。上手い、下手ではなく、絶対に市立船橋でやれると思っていた」
〔錚々たる先輩に囲まれた1年生。〕
「試合の出場こそ難しかったが、それでも布は1年生の渡辺を常にAチームに帯同させた。それは、布が渡辺に送った『将来は彼らのようにお前が柱となれよ」というメッセージでもあり、彼自身もそれをしっかりと感じ取っていた。」
「しかし、布はこの年の高校選手権優勝を置き土産に退職。翌年にU-16日本代表の監督に就任した。師弟関係はわずか1年で解消になった。」
〔背番号5をつけて成長、プロの道へ。〕
「その後、渡辺はすくすくと成長を続けた。2年で不動のレギュラーの座を掴み、先輩・増嶋とのコンビで高円宮杯全日本ユース(現・高円宮杯プレミアリーグファイナル)で優勝。その増嶋から背番号5とキャプテンマークを引き継いだ3年時では、インターハイ準優勝、選手権準優勝という成績を残した。翌年、ベガルタ仙台に加入し、プロキャリアをスタートさせた。仙台で10年、モンテディオ山形で2年過ごした後、山口へ移籍。そこで2年目のシーズンを迎えていた2018年、布はJ3群馬の監督に就任していた。」
「『夏くらいに、布先生から「もし来年、群馬がJ2に上がったら力を貸してほしい」と電話をもらったんです。教え子なんて数多くいるのに、なぜ俺に声をかけてくれたのかが不思議だったし、嬉しかった』その年、群馬はJ3で5位で終わり、J2昇格を果たせなかったが、渡辺も去就について不穏な空気が流れ始めていた。」
〔「先生と生徒だった関係は取っ払って」〕
「渡辺は中学時代と同じように布の誘いを受け、群馬へレンタル移籍を決断した。同時に厳しい言葉をかけていた。『ただ、お前が来るからと言って、スタメンで使うとは思うなよ。ちゃんとした競争がある世界だから、お前がちゃんと正当に(ポジションを)勝ち取らないと。俺とお前が先生と生徒だった関係は取っ払ってやってほしい』その言葉には、教え子への愛情が詰まっていた。」
〔リーグ戦全試合フル出場。〕
「開幕戦からCBとしてレギュラーの座を勝ち取ると、リーグ34試合の全試合にフル出場。勝てない時期も、昇格圏内から遠のく時期もあったが、布は渡辺をずっと使い続けた。彼もその期待に期待に応えるべく、すべてをチームのために注ぎ込んだ。最終節の福島戦、その2人の思いが結実する。J2昇格がかかった大一番で、均衡した試合を動かしたのが渡辺だった。」
〔宝物となった群馬での1年間。〕
「昇格決定から3日後の12月11日、布監督の退任が発表された。またしても2人の師弟関係は1年間で幕を閉じた。布はそれを察していたのだろうか。福島戦後のミックスゾーンで渡辺を呼び寄せ、こう言った。
『まさか教え子と一緒に戦えるとは思わなかった。1年間、本当にありがとう』 師弟関係は実質2年間。だが、すべて渡辺の人生において重要なセクションだった。」
引用:NUMBER WEB
【「怖いっす」師弟関係は市船時代のまま…群馬のJ2昇格に貢献したチームリーダー渡辺広大が明かす舞台裏】
〔恩師を男にするという目標を達成できたことに安堵〕
「昨年J2昇格を逃した群馬は今季、J2の山口からレンタルで渡辺を獲得。市立船橋高出身の渡辺が1年次まで、同校の監督を務めていた布啓一郎監督(今季限りで群馬の監督を退任する)との縁があっての獲得で、布監督は高校でキャプテンを務めた渡辺を群馬のキャプテンに据えた。そんな布監督について渡辺は『怖いっす。僕だけです。直立不動でピシッとしているのは。』」
「しかし、その恩師への信頼は絶大だ。 『口数は多くないですが、選手のトラップとか細かいところをしっかり見ています。毎日ピリピリした中で練習できています』と布監督の洞察力の鋭さを語る。『僕らは甘さや未熟さがかなりあるなかで、研ぎ澄まさせてくれたのは監督です。練習も一切手を抜かせてくれません。いろんなチームが週4日で試合に持って行きますが、ちょっと(負荷を)下げる日があるのですが、僕らはそれがありません。ずっと気持ちを入れてやっています。ベテランの我々はきついですが、若い選手は常に集中力を持ってやれていましたので、慣れるしかありませんでした』とハードなトレーニングを振り返った。そして昇格決定。」
引用:サッカーダイジェスト
これらを見ると、布監督の存在が大きく、それを補完したのが市船時代の愛弟子の渡辺選手であったことがよくわかります。渡辺選手は昨日の発表で、山口さんから完全移籍で群馬さんに来ますね。布さんは2015年から3年間J2岡山のコーチを務めていますが、その間どんな実績があったのかは不明。2018年から2年間群馬さんの監督を務め、今年見事J2復帰を果たされました。その昇格の立役者の布監督は今季で退任。来季は山雅さんの監督をされるそうですが、J1復帰まで導いていけるのかな。
一方の群馬さんの新監督は、2002年から2003年にザスパ草津で選手兼任監督を務め、JFL昇格を成し遂げた奥野僚右氏が就任するそうです。奥野氏は2012年より2013年まで、山形さんの監督を務めています。さあ、どうなるのか。運営会社にもJ2復帰に合わせて動きがありましたね。
【「草津」との別れ…J2復帰のザスパクサツ群馬、運営会社名と所在地を変更へ】
「ザスパクサツ群馬は25日、運営会社の名称を「株式会社草津温泉フットボールクラブ」から『株式会社ザスパ』に変更すると発表した。変更日は来年2月1日。また本店所在地を群馬県吾妻郡草津町から群馬県前橋市に移転するという。
クラブは変更の目的を『今後「県民クラブ」としてより一層、充実・発展していくため』と説明。Jリーグ加盟当初は『ザスパ草津』として親しまれ、13年から『ザスパクサツ群馬』に改称した経緯を持つが、ついに運営会社や所在地からも『草津』の名が消える形となった。」
引用:ゲキサカ
ホームタウンを群馬県全域で運営を行う中で、クラブ発祥の地「草津町」をリスペクトしながら、今後「県民クラブ」としてより一層、充実・発展していくとしています。今季、苦しい経営を強いられましたが、クラブとしても成長を続けており、スポンサー収入の増加で20年1月期は赤字を解消する見通しだそうです。一方J2やその先のJ1での戦いを見据えて、練習環境やスタジアムの改修などの課題も待ち受けるとあります。
「草津」の名前が徐々に消えていっていますが、県民クラブとしては通らなければならない道かもしれません。この流れで言うと、鳥栖さんも、「サガン」としているクラブ名に「佐賀」を入れる流れがそのうち出てくるかもしれませんね。1県1クラブで県庁所在地以外のホームタウン名がついているところは、あとは鳥栖さんと八戸さんで、県民クラブを追求するなら、県名か県庁所在地市を付ける事になると思います。
とにもかくにも、群馬さんお帰りなさい。群馬さんといえば、2017年のJ3降格危機の時に経営サイドの話題が出ました。その時話題になったtonan前橋ですが、今季、「プロのクラブを目指すのではなく、アマチュアクラブとして地域貢献・地域密着を目指し、子供たちから大人までに愛されるスポーツクラブを目指す」として、Jリーグ百年構想クラブから脱退されています。つまり、群馬県は群馬さん一本になったという事。これからも頑張って欲しいですね。
J3群馬関連⑨:https://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20171211
〃 ⑧:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20171113
〃 ⑦:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20140427
〃 ⑥:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20130413
〃 ⑤:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20130207
〃 ④:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20100311
〃 ③:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20090520
〃 ②:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20051022
〃 ①:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20051020