kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

ご葬儀

2009-01-24 | Weblog
今シーズン初雪です。

犬のように庭駆け回るタイプのまっちゃん、
積もらなくても、降りしきる
浮かれています。


葬儀は誰ものか?

時々悩むことがあります。

以前にも書きましたが葬儀で身内が姿は、

以前に比べ見なくなりました。

生前悔いの無い付き合いだったので、

気持ちの整理が付いているという家族もあると思いますが、

一説では生活体系の違いで同居が無く、

共に同じ時間を生きていない為に思い出が少ないとか、

自宅で看取ることが少なくなって、

病院での最後に命の終わりを実感できない人達が増えたとか、

一目を気にして涙を拭えないとか・・・

とても複雑な感じです。

特に自宅での葬儀を葬祭場に移した頃より、

一つのイベント化したようで、

当家の意向を加味することより、

お手伝い頂く町内や葬儀屋さんのなすがままだったり、

当家の日程よりも火葬場や式場の都合で、

早いうちの火葬を余儀なくされ、

お別れを悲しむ暇もなく流れて行く時間に、

人事のように追われる数日に、

涙に暮れる時が無いのが現状のようです。

慣れない事を慣れない広いホールで進んで行くことに、

何か人事のような感じでお別れがあるように思えてなりません。

そんな傾向に菩提寺として出来る限りのお別れを進めています。

最近の我が寺での葬儀は亡くなって直ぐの葬儀をせず、

せめて身内の心の整理と各方面の連絡の時間に、

枕経は直ぐにいただきますが、

通夜まではせめて1~2日は明けて、

事を運んでも良いのではないかと助言させていただいています。

当人の生きた時間に関係なく、

亡くなったとたんに早々にお別れをし火葬にするなんて、

私だったら淋しいですね。

せめて知り合いや関係者の方々と

お別れする時間を作ってくれないものかと思います。

「死んで終わり」の人生ではなく、

亡くなってこそ命の尊さや繋がりを伝え、

そして残された家族や知人にとって、

命を大事にする機会を与えてくた遺言儀式として、

もう一度葬儀は誰のものか?考えてもえたら良いですね。

例え疎遠になった家族があろうとも、

来て頂くのも大変だろうとも、

残された者が勝手に考え

誰も呼ばずに荼毘にする事だけはしないでほしいと願います。

亡き方も残された方も

多くの人達の支えがあって生き延びているのですから・・・



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