残念ながら未だアカデミー作品は見ていません。
映画館での希望以上の音量に対応出来ないので、
いつもDVDを借り、自宅の小さな画面で見ています。
その小さな箱も長年の劣化(ブラウン管)により、
夜のシーン等は判別不能になるので地デジ対応に向けて
未だに家族会議中です。
連日の「おりびと」報道に世も浮き足立ち、
今まで関心の無かった、またあえて避けていたヒト達も、
こぞって見ている姿に日頃『生と死』は共にあることを
記している私はとても喜んでいます。
時々 このブログでも書いていますが、
ヒトの一生は長さではなく、
おくられる者が
おくる者に如何に
命の尊さ、愛しさ、儚さを伝えられるか?!
だということだと思うのです。
そんな中、今回の映画を切っ掛けに
希薄に感じられる家族の絆をもう一度結び直す
機会が与えられたのではと思っています。
お互いの命の在り方を語る時間を持っているヒトは
日本では10%にも見たないとか・・・
いつも記するように『死』は特別ではありません。
ヒトの数だけ生き方の違う人生ですが、
ヒトは命の屍を乗り越え、立ち止まり、振り返り、
この世に生きた証しを、命をつないだ軌跡を残し、
そして、終点の見えない旅の果てには、
自分自身に『有り難う』と言える人生であって欲しいと思います。
自宅以外で亡くなるヒトが80%の今、
家族に看取られる人生だけが幸福ではなく、
おくられるヒトの命が、生き方が、
おくるヒトの心にどう根付くのかではないでしょうか。
映画「おくりびと」が目指す生き方の先に、
必ず自分自身が「おくられる」身であることを教えてくれている
そんな気がするのです。
そして納棺師が家族を整える最後の役目であるのならば、
人生最後の儀式を託された僧侶はどうするべきなのか?
改めて記したいとおもいます。
コングラッチュレーション!!
何時の時代もヒトが模索する出来事に目を向け、
例え一つの描写としての作品ではありますが、
見る者になにか思い起させる力がこの作品にはあるようです。
来月にはもうDVDとして発売とか?!
大きな波が引いた後にじっくりと見たいと思います。
映画館での希望以上の音量に対応出来ないので、
いつもDVDを借り、自宅の小さな画面で見ています。
その小さな箱も長年の劣化(ブラウン管)により、
夜のシーン等は判別不能になるので地デジ対応に向けて
未だに家族会議中です。
連日の「おりびと」報道に世も浮き足立ち、
今まで関心の無かった、またあえて避けていたヒト達も、
こぞって見ている姿に日頃『生と死』は共にあることを
記している私はとても喜んでいます。
時々 このブログでも書いていますが、
ヒトの一生は長さではなく、
おくられる者が
おくる者に如何に
命の尊さ、愛しさ、儚さを伝えられるか?!
だということだと思うのです。
そんな中、今回の映画を切っ掛けに
希薄に感じられる家族の絆をもう一度結び直す
機会が与えられたのではと思っています。
お互いの命の在り方を語る時間を持っているヒトは
日本では10%にも見たないとか・・・
いつも記するように『死』は特別ではありません。
ヒトの数だけ生き方の違う人生ですが、
ヒトは命の屍を乗り越え、立ち止まり、振り返り、
この世に生きた証しを、命をつないだ軌跡を残し、
そして、終点の見えない旅の果てには、
自分自身に『有り難う』と言える人生であって欲しいと思います。
自宅以外で亡くなるヒトが80%の今、
家族に看取られる人生だけが幸福ではなく、
おくられるヒトの命が、生き方が、
おくるヒトの心にどう根付くのかではないでしょうか。
映画「おくりびと」が目指す生き方の先に、
必ず自分自身が「おくられる」身であることを教えてくれている
そんな気がするのです。
そして納棺師が家族を整える最後の役目であるのならば、
人生最後の儀式を託された僧侶はどうするべきなのか?
改めて記したいとおもいます。
コングラッチュレーション!!
何時の時代もヒトが模索する出来事に目を向け、
例え一つの描写としての作品ではありますが、
見る者になにか思い起させる力がこの作品にはあるようです。
来月にはもうDVDとして発売とか?!
大きな波が引いた後にじっくりと見たいと思います。
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