kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

自灯明・法灯明

2006-01-16 | Weblog

お釈迦様の教えに

「自灯明・法灯明」いうものがあります。

簡潔にいうと 『法(佛の教え)を拠り所とし、

自分自身を灯火として歩みなさい』ということです。

佛の教えとは、一般的に一宗教の教義であると考えますが、

そのようなことではありません。

人間が人間として生きていく為の指針と 私は考えています。

他宗の教義が どうであるかは分かりません。

(ここでは論議致しません。)

お釈迦様は 「私のいうことを守りなさい。」などとは

決して言ってはいません。

たくさんの教えを残していかれたことは 事実ですが、

最終的には あるがままに生きることを 身を以て残されました。


「ほとけさまは何処に 何処にいらっしゃる?

春は 花咲く枝のもと

夏は 水辺の草の陰

秋は 空往く雲の上

冬は 窓打つ雪の中

何時も 何処かで見ていて下さる

何時も 何かを教えて下さる

佛様は あれ あれ あそこに いらっしゃる」


何時の時代も 変わらぬものは

「人にされて嫌なことは 

    してもいけないし、させてもいけない。」

ということなのです。

人生を ある人は 運命と言い。ある人は思し召しいう。

それが 例え 必然的なこととはいえ、こうして人として

生きていることは、紛れもない事実なのです。

その事実に 感謝しようではありませんか。

「有り難う」この思いを胸に・・・

法を、自分自身を灯火として。。。



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5 コメント

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そうですね~ (袋田の住職)
2006-01-16 21:07:59
お釈迦様のことば

重く受け止めなければ・・・

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本当に・・・ (kasaru _2005)
2006-01-16 22:19:26
住職さん 

 今まさに 寺のあり方、僧侶の存在が

問われているのだと思います。
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自灯明・法灯明 (Yu)
2006-01-17 23:07:38
ご無沙汰していました。Yuです。

お元気そうで何よりです。



さて、「自分自身を灯火とする」とは、kasaruさんがずっとおっしゃってきたことですね。



「自灯明・法灯明」はお釈迦様が倒れられた時にお弟子様に語られた言葉だったと記憶していますが、私はその本当の意味をまだ全然理解していないと思います。があえて、質問をさせて下さい。



強い人はいいですが、自分自身を頼りにしたくてもできない弱い人間は、どうやったら強くなれるのでしょうか?



また、この世は一人では生きて行けず、自分のできないこと、欠けていることを周りの人たちが助けてくれ、また私たちは人に優しくしたりされたり、愛されたり愛したりして生きていると思います。ある程度は人を拠り所としても良いのではないでしょうか?



的の外れた質問かもしれませんが、簡単にお答え頂ければ幸いです。
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遅くなりました。 (kasaru _2005)
2006-01-20 14:38:42
Yuさん こんにちは

 「自灯明」は己を強くすることとは 違います。

 強い・弱いの判断は夫々の持っている【ものさし】

が計ること。

 自分は助け・助けられして生かされているということが

わかれば それでOKです。

 人は人の間に生きています。

 「法と自分だけを頼りに 生きていく」ということではありません。

 Yuさんがそう感じてしまったら 私の表現力の足りなさからです。ごめんなさい。

 どんな自分をも愛する心(自分をさげすみ、罵倒し

追い込むことはいけません

 その心を養い、気づかせて下さるのが「法灯明」です。

 Yuさんも ことばに振り回されること無く、例目に見えずとも 側に慈悲の愛があることを忘れないで下さい。

 このことが 先逝かれた多くの人たちの心だと思います
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遅くなりましたが (Yu)
2006-01-23 00:21:38
こんばんは、Yuです。お返事が遅くなりました。



う~ん、私の人生の経験値が足りないせいか、↑今回のkasaruさんのお答えは正直言って難しくてよく分かりません。



とりあえず、慈悲の愛が側にあることを忘れずに、お釈迦様の教えを指針として生きて行くことが大事なのだということだけ覚えておきます。



いつも親切にお答えありがとうございます。
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