何が本当の幸せか?
人には夫々自分の「物差しを持っている」
ポケットに収まるくらいの長さ。
鞄からはみ出すくらいの長さ。
巻き尺のように可能な限り測れる長さ。
常に持っている人。
机の引き出しの奥底にしまい込んでる人。
誰かに預けている人。
なかには 物差しの存在を知らない人もいる。
幸せの尺度は 物差しの長さによる。
「隣の芝生は青く見える」昔から良く言われていること。
どんなに隣の青さをうらやんでみたところで、
自分の芝が青くなったり、フサフサになることはない。
時が来てフサフサになっても 次は手入れで悩む。
悩みは 尽きること無く 自分で「よし!!」としなければ
永遠に幸せを追いかけ、見失うことになる。
例えば 美味しいワインも 一口で幸せな気分になる人、
ボトル半分まで飲んで はじめて満足の人。
何事においても 幸せと感じる気持ちは
自分以外の何ものでもなく
まして 人から強要されるものではない。
美味しいと思ったお裾分けも
口や体調に合わなければ 幸せな気分からは離れてしまう。
でも 頂く側もお裾分けの気持ちをいただくことで
しあわせな気分になれることはあると思う。
しあわせの物差しは 常に自分にあり、他人を計るものにあらず。
でも 自分のしあわせの物差しを貸し出すことOKですかね?
私は こうして多くの方との交信に
この上ない幸せを噛みしめている。
私は かなりのおせっかいなので
物差しを上手く活用出来ない人の為に
量れない部分を助ける物差しの製造を決意。
ひとりでは 限界があるので 物作りが嫌いでない方
御一緒にいかがですか??
経験不問。気が向いたとき。残念ながら奉仕活動もしくは
趣味的に・・・ ダメ?かな~~
その気持ち!!
ナイスです。素敵です。
私が発信していることも、なんだかんだいって俺の趣味かもしれませんしね。(笑)
「物差し」、確かにありますよね。
ただ、その「物差し」の長さは、そ
の人の器の大きさともいえると思い
ます。
僕も持っているとは思いますがうま
く使えて(長さも形もまだよく分か
らないです)いないです。
どちらかというと他の人の「物差し」
と見比べてどうだろうって思うのが
やっとというとこでしょうか。
やはり人に預けているんでしょうね。
しっかりとした自分の「物差し」・・
持ってみたいですよ。
何時も熱いメッセージ読ませていただいております。
物差し自体は大変重宝して、無くてはならないものですが、
使い手がキチンと用途に合わせ 使いこなせるようになれば
ですね。
いろんな物差しを持ち、使い分けれれば 物差し探しも
楽しくなります。
「宇宙の真理」大いに結構だと思います。
宇宙の真理と言わしめる己をお持ちなら、何事も
楽しめると思います。
ただ 現実 物差しは転がっています。
使い方一つで凶器にもなり得るもの。危険ではない
使い方をお知らせしたい!そう思っています。
人間はきっと「物差し」探しの旅人かもしれませんね。
一つの物差しにこだわると 気に入ったものが見つかるまで、
永久的に歩かなければなりませんが、その度に量れる物差し
を持ち合わせていれば、何とか乗り切れたりするものです。
ほかの人の物差しを拝借!!良いと思います。
ちゃんとお礼を言って返却することを忘れずに