若者と言われる者たちが先導し動き始めた法案反対デモ。
幾度となくニュースで目にし、
彼らのHPも覗いてみた。
言っていることは間違っていないとおもう。
主張と行動が伴っているかと聞かれれば、
いまの日本で一般人が法を盾に立ち回る官僚や政治屋を相手にするには、
この方法しかないのであろうともおもう。
正当に法廷という公の場でさえ、
御都合主義の法律に守られ肝心なところが見えない、
聞こえないシステムになってしまった今、
署名を何万人分も集めなければ聞く耳を持たない
味方にさえ見放されてしまっているこの日本で、
声をあげ、意見を述べる行為に私は意見する資格がないのかもしれない。
デモ行進の群衆の中に見つけた
きちんと意味はわかっていないのだろうが、
行進する幼子の姿を見ると、
何もせずにこうして傍観者としての自分が弱虫に思えてくる。
聞いた声に応えるべきなのか?
誰にも聞かれず「その通り」と言ってみても何も変わらない現実。
何をすることが自分にとって感じることなのか・・・
正解は人の数だけあって、ないようなもの。
しかし、これまで誤魔化し続けてきたツケは
どこかで誰かが払わなくてはならないことを
国民はよ~~~くし知っているはずだ。
24時間休みなくうごめく人と金にうんざりしていても、
立っていることさえ対価交換しなければ進めない現実。
一時的にもてはやされる「おもてなし」や「助け合い」も
必要とされるのは人ではなく、お金である。
いつの間にか感動する心が失われている時勢に、
一瞬でも動かされる行為は人を活気づけるには必要なのかもしれない。
誰も傷つけず、理路騒然とことを運ぶ姿を見れば
私も弱虫の称号を返上できるかもしれない。
守るべきものがある中での決断は
そう容易いものではない現実を受け入れている毎日だ。