kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

罪を償うということ

2013-03-01 | 考える事
「言うは易し、行なう難し」

本当にことわざは今も昔も変わりなく、

人の有り様を上手く表現していると

感心いたします。


被害者支援の勉強をしてみて、

わかる世界があり、

私自身も被害者として当事者になっていても

幾つか乗り越えられた自分がいると、

苦しい胸の内の記憶は薄らぎはじめています。


ニュースでは理不尽な事故が多すぎて、

どうするべきがわからなくなっています。

間違いなく言えることは、

犯した罪は償なわなければならないということです。


今の日本の法制度では

被害者の納得いく解決に至っていないケースも多々あり、

加害者に手厚い囲いが出来ている

そんな感じを受けるのは私だけなのでしょうか。。。。


自己欲求の末の犯罪は

誰一人 胸を張って生きていけない現実を突きつけます。

今回のように異国の地で

思いもよらず遭遇した事故の犠牲となるケース。

只 ただひたすらに前に向かって

生きている人生を奪れるケース。

どんな命も奪われていいなんてことはありませんが、

人の命を奪った人間の命をどう考えるのか。



加害者の家族もまた被害者になりうることが多く、

何一つ良い事がない道を

進むことになる人生を選んだ者は

どんな暮らしをしてきたのだろうか?

情状酌量の余地を残し言い渡される判決。

戻らない命には誰が酌量してくれのだろうか?


大切なヒトの命を奪った人物を

当事者や家族が刑を決められないことは

理不尽ではないのか?


身勝手な欲望の犠牲者に成り代わり進む

法の裁きに誰が救われるのか?


罪を償うということの意味を他人事とせず、

真剣に向き合うことが大事であると

切に感じています。