kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

自殺は・・・

2012-07-18 | Weblog
善・悪で問うことは出来ないとおもいます。

しかし、いじめは絶対に『悪』であることは間違いありません。

私もいじめられ経験者として多くを語ることは避けますが、

当時 どうやって死のうか。。。そればかりを毎日考えていました。

そのことで親に言うこともなく、自殺することは考えても、

相談することは両親に対して心配かけたくないと子ども心におもったものです。

幸いにも今こうして多くの人たちとの接点の中で暮らすことが出来ている自分に

「あの時死ななくて良かった」と心から思っています。


今だから話せることや声に出すことが出来ますが、

当時は色んなものの狭間で自分自身はどこにもありませんでした。



「死」を選ぶことの基準は人夫々です。

だからといって死を容認することも、納得することも

今となっては認められることではないと思っています。


自殺は「殺人」です。そう「人殺し」ということです。

他人を殺せば刑罰に処されますが「自殺」は刑はありません。

そんなことも当時は考えもつかなかったんですね。


今回の一件は

自殺という行為の裏側に潜む事実を露見させ、

信実を追求することは残されたもの使命であることを再確認させられています。

一連の報道は大きな転機となるはずです。

一昔前なら黙殺された事柄も、今は真偽の大差はあるにしても、

ツィッターやフェイスブックなどダイレクトに動く波が、岩を動かしました。


例えパフォーマンスであるとしても、

警察の捜査の映像や報道は今まで何度も声をあげてきた人々の、

溢れんばかりの思いが報われていると信じたいものです。


これから因果関係の有無を論じる裁判が始まります。

今までにも沢山の未来ある命が、自殺という形で消えていきました。

その度に「いじめ」問題を世の大人たちが論じてきましたが、

いっこうに改善される気配はなく、

今の教育現場の問題点も表面的な評論家の人たちがまことしやかに話すだけで、

何一つ変わってはいません。


新たに柔道やダンスを取り入れる動きをするまえに、

取り組むことは山ほどある学校生活。


当事者たちは裁判などという姑息な手段にもちこまず、

正正堂堂と今回の事件に向き合い、

自分自身のためにも信実に目を向けてもらいたいものです。


人にされてイヤなことは

してもいけない

させてもいけない