kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

僧侶の役目?

2011-05-08 | Weblog
こんな夢を見ました。

私は何処かの(自坊ではない)寺の手伝い僧として庭を掃いておりました。

数人の他の役僧さんたちも居て

落ちてくる葉っぱをセッセと片付けているのです。


ちょうどご法事の檀家さんが見えて

そのうちの親戚の方が家族でおはぎを作ってきたと

ご本尊様へのお供えとして預かりました。

法要後おはぎの入れ物をお返ししなくてはと

控え室にってみると

今からおはぎを食べようとする人たちと、

何かただならぬ気配を漂わせて

帰り支度をしている方とがあり、

玄関先で一人の年配の男の人に呼び止められ、

こんなことを聞いてくるのです。

「失敗したようなおはぎをみんなに食べろと持ってくるのは

如何なものか?!

普通はそんな物は持って来ないだろう!

あんたはどう思う??!」と・・・


どうやら話を詳しく聞くと持ってきたおはぎがどうも

美味しくないと言ったところ、

作った人が「もしかしたら失敗したやつかな?」と

言ったというのだ。



どんな風に美味しくないんですか?と訪ねると

〈甘み〉が足りず物味も素っ気も無いという。

私は入れ物を返すかどうかを知りたかっただけなので

まだお下がりを頂いてはいなかったので、味はわからないが、

今まで私が教えられた経験を話していた

自分の台詞はこうだった(*注*あくまでも夢の中の話)


『美味しいか、美味しくないかということは

個人の主観になり、千差万別 好みの違いがあるとおもいます。

甘いのが好きな人がいれば、

余り甘くないのが好みの人もいる、

中には甘いのは好きだが体調の管理で

甘さを控えなくてはならない人もいるかもしれない。

そういう夫々の事情に合わせて作るということは

結構大変なこと・・・それでも今日の親戚の法事に合わせて

一家がみんなで手作りのおはぎを持ってきてくれたことは

何よりの御供養で、大変素敵なことだとおもいます。

確かにおはぎを所望したわけではないのに、

食べろと言われても確かにこちらの都合もあります。

しかし、自分の口に合わないということを

あたかもそこに居るひと皆が

その物を否定しているような言い方は好ましくないのでは?

そういう時は最初から手をつけないか、

食べてみて口に合わなかったのなら、

黙って持ち帰る、もしくは私はもう少し甘みがあった方が好きかな?

そんな会話をしてみては如何でしょうか?

きっと持ってきてくれた人も

あ!そうか!とおもうかもしれないし、

やっぱり!とおもうかもしれませんよ。

あなたの発言一つでその場が地獄にも極楽にもなることを

気づいてくだされば、お寺での法要も意味があるのですね。


その後のその方の反応は目が覚めてしまってわかりませんが、

僧侶とはその人の持つ潜在意識や考え方を引き出し、

後押しし、共に生きる時間を有意義なものにして欲しいと

伝え続けることなのだと感じました。


夢の中の話ですが、何だか自分自身も考えさせられる夢でした。

続きがみれれば良いんですが・・・