kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

本当の意味は・・・

2006-09-26 | Weblog

「国旗掲揚・国歌斉唱は強要するものではない。」

司法での判決が出た。
何の違和感もなく今まで歌ってきた私

もっと真剣に考えなくてはいけなかったのでしょうか?

控訴する方針・・・と東京都の石原知事。

思想の自由と愛国心の狭間に揺れる国旗に罪はありません。

日本という国は 

「日本!!」という主張がヘタクソなような気がするな~~。

オリンピックやワールドカップのような時には、

「日本!!日本!!日本!!」と

声の限り応援するものの、学校の国旗掲揚には難癖がつく。

国旗とは何時・如何なる状況においても国を象徴するものだと

私は思ってきました。

その時、その感情の変化に伴い、立場があやふやなになることは、

クーデターの起こっている国でもそうあることではありません。

白地に赤い丸は どこに出しても恥ずかしくない、

美しく シンプルかつモダンなものだと思っているのは

私だけ??

この期に及んでも「思想の自由」を理由に大の大人が、

子どもたちの前で立たず、歌わずボイコットする姿は、

これから日本!!という国を背負って立つ後人には、

どのように映るのでしょうか?

個人の思想、信仰の自由と、公共の場での自分の立場を

混同してはいけないような気がします。

色々な考えがあることは重々承知。

国としての明朗な意味をキチンと示唆せず教育してきたことが
ここまで問題を大きくしたのかもしれません。

日の丸・君が代は戦争を思い出す・・・

そういう思いも無視することは出来ません。

しかし、自分の家の家紋を見て先祖のしてきた行為に、

胸を痛め家紋を外す人がいるでしょうか??

それとこれとは違う!!確かにそうですが、

本質はなんら変わりません。

己の感情だけで大騒ぎすることをせず、

キチンと本来の意味にキチンと向き合うことこそが、

大人と言われる所以です。

国旗としての役割、国歌としての機能は今や

世界中の人が承知していることです。

今後は国が国としての指針をキチンと教育することが、

中途半端な争いを生み出さずに済む方法かもしれませんね。

戦争を思い出す・・・ということなら

戦争体験者の存在も、記念館も、強いては天皇も、全てのもを、

拒絶する覚悟でいるのでしょうか?

象徴的存在の意義をもう一度考えてみます。。。