8月は 原爆投下・終戦記念日と
各地で、各メディアで戦争の話しが盛んになる。。。
本来は平和の象徴として 常に「戦争」という無意味なことは
絶対してはいけないと 伝えても良いと思う。
数日前 ふと誰かの声が聞こえて目が覚めた 時計は午前3時半。
慌てて書き留めた・・・
[ 僕は 〈ホッ〉としていたのかもしれない。
沈んでいるのが、太陽なのか 自分なのかもわからない中で、
もうこれで誰も傷つけずに、殺めずに済むんだと・・・
自分の生まれてきた意味を静かに頷いた。
愛する人を守りたい!その思いだけで
迫り来る死の距離を受け入れた。
決して望んだことではなかったが
この命が明日へと繋がっていると信じていた。
もし 僕に明日を観ることが出来るなら
愛する人は笑っているのか? それだけを見届けたい。
幾度となく襲いかかる恐怖に 自分自身を見失い、
ただ 一転を見つめる・・・
心を殺してまで守り抜いた国は 今 何処に・・・・]
今も人ごとのように捉えられている戦争に、
いつの時も平和の名の下に 日本が加担していることを
わかっているのだろうか?
争いからは何も生まれない。
悲しみと絶望の暗い影を人知れず背負うになるだけで、
誰がHappyになるのか?
戦争は過去の事ではない、今も何処かの国で
生きたい!!命が散っている。
日本でも例外ではないのだ、
いじめで自殺も、家に火をつけるのも、刺し殺すのも・・・
戦争にかわりは無い。
しかも奇襲攻撃となんらかわりは無いのだ。
守り抜こうとして散った命の重さを 思い出してほしい。
簡単に人を殺める世の中を 無視してまで築く社会に
本当の未来はあるのだろうか?
もう一度 この8月に『命』を考える。。。ことを
改めてしてみたい。
今 生きている命は まぎれもなく
生き延びた命なのだから・・・