『目には目を・・・』
そんなことばがあります。
人が人を殺め、人が人を裁く。。
答えのでない大きな迷路に入り込み、
常に心は天秤のように揺れ動いています。
確かにどんな言い訳をしようとも してはならない
人の道があります。
その道を示し、教えることが 産まれた時から関わる
大人の使命なのです。
明確な道を伝えず、本能のままに動く人という生き物を
野放しにしておいて、間違った道を歩いたお前が悪い!!と
どうして言えるでしょうか?
以前に大人の定義を交錯してみましたが、
人道的支援と叫ぶ一部の人間に 果たして
人道を分かっているのでしょうか?
軌道修正を望む声は もはや 少数派になり
次の時代には 軌道のズレさえも感じず
流されていく そんな 悲しい時代になるのかもしれません。
当事者が発する ことばの重みを
伝えることは大切であると思います。
しかし、メディアからの情報だけで動く人たちには、
あおるような表現は芯に語るべきことなのか?
本当に考えるべきはなんなのか?
罪を追求すると同時に、罪を作り出す背景を
他人事ではなく考えて欲しいとおもいます。自分事として。
加害者も被害者も 我々みんなで作り出しているということを
感じなければ 裁くということは 仇討ちと変わらず、
世で起こっている争いとなんら代わりはないと思うのです。
確かに
お前はやられた者の悲しみが解るのか!!と言われたら
分かりません。しかし 分かりたいと思います。
側で一緒に泣きたいと思います。
考えるべきは 失われた命の尊さ、無くした家族の思い・・・
そして殺めた人の生き様なのではないのでしょうか。
中田選手の引き際の話題も大事ではありますが、
議論すべきはなんなのか?
日本の放送局はもう少し考えたほうが良いとお思います。
もっと考えるべきは スポンサーかもしれません。。
視聴者かもしれません。
人がヒトを裁く!
常に 考えて、考えて、いかなければならないと思うのです。