手術の後、丸2日は身体を起こさなかった。
辛うじて、2日目の夕食時(流動食)に、ベッドを起こしたくらい。
じ~っと寝ていてシンドイのは、腰の仙骨の辺りが痛くなる事。
始めは、エアクッションを左右に入れ替えてもらっていたけれど
丸い円座クッションを探して来てくれた看護師さんがいて
これで夜の睡眠が長く取れるようになった。
傷を抑える腹帯の縫い目が、ピタッと腰の骨の所に当たるのがNG だと判明。
傷口の消毒の際、若いお医者さんに、「先生も巻いてみなさい」と
看護師さんが突っ込んでいたのは笑えた
“出来るだけ足を動かして早く歩きましょう ”の主治医の言葉に
内心、焦りを感じていた
術後3日の午前中、お母様が虎キチという看護師さんの助けを借り、
ベッドの上で起き上がってみた…。
身体がガッチガチ なのにビビッた
麻痺足は細くなってるし…。
リハビリのPTの先生に、時間が空いていれば病室に来て欲しいと頼んだ
こんなんじゃ、歩くのはおろか、「家に帰れないぞ」と思った
PTの先生が直ぐに来てくれて、麻痺手足の関節を動かしてくれた。
「これだけ動くから大丈夫 」
単純な私は、さっきまでの不安を消すべく、看護師さんに支えられながら
病室の入り口まで歩いた(まず、靴下を履き、装具を着け、靴を履いてから)。
ここからは、俄然元気が出て(マジ、単純)、足のシュポシュポも、
オシッコの管も取ってもらったのだった
次は一人で杖をついて廊下まで行った。
「よっしゃぁ~ 」と気合が入ったのはいいんだけど、
反動が来たのよね…
PTの先生に言われていたんだわ。「動きすぎると(麻痺の)緊張が強まる」って。
退院してから入院前のように動けなくなるとヤバイって危機感があったから
公衆電話の所にも、トイレにも装具で歩いて行ってみたんだけど
「転ばないように 」って頭があるから
健側がガチガチになっちゃって、首の辺りに神経痛が出ちゃった
だから、装具での歩行は最小限にして、車椅子で動き回る事にした。
神経痛も、気付いたら治まっていた
傷も順調に回復し、暑苦しい物は長くつけずに済んだ
自分で思うには、片麻痺だったが故に、傷の痛みを重荷に思わず
動けたんだろうな、って。
婦長(師長)さんも、「普通の人もあそこまで早く動けない」と
ビックリされていたし…。
5回目の手術も、こうやって乗り切れたのだった
辛うじて、2日目の夕食時(流動食)に、ベッドを起こしたくらい。
じ~っと寝ていてシンドイのは、腰の仙骨の辺りが痛くなる事。
始めは、エアクッションを左右に入れ替えてもらっていたけれど
丸い円座クッションを探して来てくれた看護師さんがいて
これで夜の睡眠が長く取れるようになった。
傷を抑える腹帯の縫い目が、ピタッと腰の骨の所に当たるのがNG だと判明。
傷口の消毒の際、若いお医者さんに、「先生も巻いてみなさい」と
看護師さんが突っ込んでいたのは笑えた
“出来るだけ足を動かして早く歩きましょう ”の主治医の言葉に
内心、焦りを感じていた
術後3日の午前中、お母様が虎キチという看護師さんの助けを借り、
ベッドの上で起き上がってみた…。
身体がガッチガチ なのにビビッた
麻痺足は細くなってるし…。
リハビリのPTの先生に、時間が空いていれば病室に来て欲しいと頼んだ
こんなんじゃ、歩くのはおろか、「家に帰れないぞ」と思った
PTの先生が直ぐに来てくれて、麻痺手足の関節を動かしてくれた。
「これだけ動くから大丈夫 」
単純な私は、さっきまでの不安を消すべく、看護師さんに支えられながら
病室の入り口まで歩いた(まず、靴下を履き、装具を着け、靴を履いてから)。
ここからは、俄然元気が出て(マジ、単純)、足のシュポシュポも、
オシッコの管も取ってもらったのだった
次は一人で杖をついて廊下まで行った。
「よっしゃぁ~ 」と気合が入ったのはいいんだけど、
反動が来たのよね…
PTの先生に言われていたんだわ。「動きすぎると(麻痺の)緊張が強まる」って。
退院してから入院前のように動けなくなるとヤバイって危機感があったから
公衆電話の所にも、トイレにも装具で歩いて行ってみたんだけど
「転ばないように 」って頭があるから
健側がガチガチになっちゃって、首の辺りに神経痛が出ちゃった
だから、装具での歩行は最小限にして、車椅子で動き回る事にした。
神経痛も、気付いたら治まっていた
傷も順調に回復し、暑苦しい物は長くつけずに済んだ
自分で思うには、片麻痺だったが故に、傷の痛みを重荷に思わず
動けたんだろうな、って。
婦長(師長)さんも、「普通の人もあそこまで早く動けない」と
ビックリされていたし…。
5回目の手術も、こうやって乗り切れたのだった