碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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『新宿野戦病院』は、20年を経たクドカン「地元ドラマ」の令和進化形か!?

2024年08月23日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

『新宿野戦病院』は、

20年を経た

クドカン「地元ドラマ」の令和進化形か!?

 

宮藤官九郎(クドカン)脚本『新宿野戦病院』(フジテレビ系)の舞台は、新宿・歌舞伎町にある「聖まごころ病院」です。

ヒロインは日系アメリカ人の元軍医、ヨウコ・ニシ・フリーマン(小池栄子)。

英語と日本語(岡山弁)のバイリンガルで、外科医を探していたこの病院で働くことになりました。

当初、新宿・歌舞伎町という「地域限定」の設定から、クドカン作品の『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系、2000年)や『木更津キャッツアイ』(同、03年)のような「地元ドラマ」を連想しました。

歌舞伎町の「異分子」

しかし考えてみれば、ヨウコにとっての歌舞伎町は、生まれ育ったとか、ずっと生活してきたという意味での「地元」ではありません。

聖まごころ病院の院長・高峰啓介(柄本明)の娘とはいえ、歌舞伎町に入り込んできた者であり、いわば「異分子」です。

ところが、その異分子が周囲に影響を及ぼし、変えていく。

その構造は、同じクドカン脚本の朝ドラ『あまちゃん』(NHK、13年)を思わせます。

一般的な朝ドラのヒロインたちは、さまざまな体験を重ねることで成長し、変化していく。

だが、『あまちゃん』の天野アキ(能年玲奈)は、ちょっと違いました。

東京から、母・春子(小泉今日子)の地元である北三陸にやって来て、成長はしたかもしれませんが、基本的に当人の本質は変わらない。

むしろアキという「異分子」に振り回されることで、徐々に変化していくのは周囲の人たちのほうでした。

それは北三陸の人たちも、戻った東京で出会った人たちも同様です。

その様子が想起させたのは、文化人類学者・山口昌男が言うところの「トリックスター」でした。

いたずら者のイメージをもつトリックスターは、「一方では秩序に対する脅威として排除されるのであるが、他方では活力を失った秩序を更新するために必要なものとして要請される」(山口『文化と両義性』)からです。

アキが北三陸に現れた時、地元の人たちにとっては「天野春子の娘」という〝脇役〟にすぎませんでした。

また、アキはアイドルを目指して上京しましたが、本当に待たれていたのは「可愛いほう」のユイ(橋本愛!!)であり、「なまってるほう」のアキは、いわばオマケ(笑)でした。

ところが、いつの間にか、人々の中心にアキがいた。

「トリックスターは脇役として登場しながらも、最後には主役になりおおせる」(山口『文化記号論研究における「異化」の概念』)のです。

降臨した「トリックスター」ヨウコ

ならば、ヨウコもまた、歌舞伎町という地元に降臨した、稀代のトリックスターなのかもしれません。

日系アメリカ人っぽい英語と、岡山生まれの日本人である母親(余貴美子)から受け継いだ岡山弁が入り交じるヨウコの語り。それはクドカンらしい〝発明品〟です。

見る側を引き込む、独特の迫力と不思議な説得力があります。

「(英語で)私は見た。負傷した兵士、病気の子供。運ばれて来るときは違う人間、違う命。なのに死ぬとき、命が消えるとき、(岡山弁で)皆、一緒じゃ!」

続けて、「(英語で)心臓が止まり、息が止まり、冷たくなる。(岡山弁で)死ぬときゃ、一緒。それがつれえ。もんげえつれえ」

もんげえつれえ(すごく辛い)からこそ、「平等に、雑に助ける」。

「Yes」か「No」の判断が難しい時も、英語の“Yeah”と日本語の”いや“のちょうど中間を狙った、「イヤ~」で乗り切っていく。

そんなヨウコの存在は、チャラ系医師の高峰亨(仲野太賀)をはじめ、患者も含めた周囲の人たちを少しずつ、だが確実に変え始めています。

クドカンが30代で書いた「池袋」「木更津」、40代の「北三陸」、そして50代での「新宿・歌舞伎町」。

『新宿野戦病院』は、20年を経たクドカン「地元ドラマ」の令和進化形と言えるのではないでしょうか。