ゼミの学生たちに、「最近、ハマっているもの」を挙げてもらったので、私も自分のソレを紹介しました。
それは、小熊英二さんの新著『社会を変えるには』(講談社現代新書)。
ここ数年で読んだ本の中でも、ベスト5に入る快著です。
新書なのに分厚く、1300円もします(笑)。
しかし・・・・
いま日本でおきていることは、どういうことか?
社会を変えるというのは、どういうことなのか?
歴史的、社会構造的、思想的に考え、
社会運動の新しい可能性を探る大型の論考
・・・・という、うたい文句に間違いはありません。
私が学生たちに薦めたのは、この本を読むことで、「今、自分がどこ
に立っているのか」を認識することができる、からです。
彼らには、読むだけでなく、ブックレポートが課せられました。
大学のゼミという「場」だからこそ、自分ひとりなら「読む予定のなかった本」を、半ば「強制的に読まされる」という“幸福”を、体験
できるのです(笑)。
<今日の特別ふろく>
2011年7月に、全国の書店で無料配布された、イースト・プレス発行の小さなリーフレットに、小熊さんの次のようなエッセイが掲載されていました。
今回の新著を読んで、あらためて思い出したので、ここに転載しておきます。
読んでみてください。
「生きる」ことと「自由」と
慶應義塾大学環境情報学部教授
小熊英二
小熊英二
人間にとって「生きるということ」は、なかなかやっかいだ。食べて寝れば、とりあえず生きていられる。動物はそれでいい(よくないという説もあるけれど)。しかし人間は、それだけでは「生きている」という気持ちがしない。
それは人間が、社会をつくって生きている生物だからだ。「社会」というのが、家族であったり、村であったり、会社であったりするのだけれど、他人とのかかわりのなかで役割をにない、他人から必要とされているという実感がなければ、人間は「生きている」という気がしない。
ところが最近、それがむずかしくなってきた。社会のかたちがゆらいできたからだ。家族も、村も、会社も、かつてのようにしっかりした存在ではなくなってきた。社会がゆらいでいるから、人びとはそのなかで、はっきりした役割を感じることができない。それで人びとは、不安になり、いらいらしている。
どうしてそうなるのだろう。それは人間が、自由になりたいと思うからだ。家族や村や会社にしばられたくない。役割が決まっているのなんてまっぴらだ。根を断ち切って翼をもちたい。ほんとうは、根を断ち切ったら「生きている」ことはできなくなるのだけれど。
昔の人は、こういう問題をわかっていたから、人間が自由になることを禁じていた。それで、宗教やおきてで人間をしばったり、身分や性別で役割を変えられないようにしていた。ところが百年か二百年前から、それはいけないことだ、人間はもっと自由にならなければいかない、とされるようになった。
それはなぜだろう。そのほうが豊かになることがわかったからだ。人間は自由になりたいと思ったとき、その願いを燃料にして、とてもよく働く。家族から独立したい。村から出て行きたい。そういう願いは人間の努力をかきたてる。
一生が奴隷の身分だと決まっている人間は、鞭でたたかれなければ働かない。けれど、働けば未来を選べると思っている人間は、自分の意志で死にそうになるまで働く。
だから、どんどん人間を自由にすれば、どんどん世の中が豊かになる。この百年か二百年、そう思って人間は働いてきたし、政府もそれを勧めてきた。それはいまでも続いている。これからも続くかもしれない。人間が自由の不安定さに耐えられなくなるまでは。
こういう流れのなかで、あなたはどう生きたらいいだろう。いまさら誰も、はっきりした答えは与えてくれない。自分で自由に考えるしかない。
自分で考えるためには、本を読むのもひとつの方法だ。いろいろな人が、いろいろな考えや、社会の仕組みを理解するための視点を、本に書いている。いい本を選べば、人が何年もかけて考えたことや、調べたことを、読むだけで知ることができる。私はそのために本を読んでいる。あなたもやってみたらいい。
(「よりみちパン!セ」特別描き下ろしエッセイより)
