碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

オリンピックのテレビ観戦

2012年08月09日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載しているコラム「言いたい放談」。

今回は、やはり寝不足でも見ている(笑)、オリンピック中継について書きました。


テレビ観戦の夏

私自身の記憶にある一番古いオリンピックの映像は、小学校四年生の時に見た昭和三九(一九六四)年の東京大会だ。三波春夫の「東京五輪音頭」は今でもソラで歌える。次のメキシコ大会はカラーテレビで見た。

それ以降のオリンピックは正確な順番も言えないが、それでも毎回テレビの前にいた。そして、今回のロンドンもデジタルテレビの大画面にくぎ付けだ。

とはいえ、二〇一二年の今、すでに私はオリンピックについてさまざまなことを知っている。それは単なるスポーツの祭典ではない。テレビをはじめとするメディアによって劇的に演出された“メディアスポーツ”である。マーケティング戦略が駆使された “世界最大のイベント”だ。

また、トップクラスの選手にもドーピングなど薬物に依存する者がいる。そして“平和の祭典”であるはずのオリンピック開催中も、世界各地の紛争や戦闘は止むことがない。

しかし、それらを承知の上でも、四年に一度という舞台に世界中から選手が集まり、全身で走り、投げ、跳び、泳ぎ、舞う姿は、見る者に何かを訴えるチカラをもっている。

「人はオリンピックに何を見ようとするのか。たぶん、私はスポーツにおける<偉大な瞬間>に遭遇したいと望んでいるのだ」(『冠』)という沢木耕太郎さんの感慨は、私たちの胸の内にもある。
     
(東京新聞 2012.08.08)