◇“役者5人”の“アンサンブル”と“ハーモニー”
今回の舞台について、筆者があらためて教えられたことがあります。それは “役者の肉声” の素晴らしさです。そして、その “素晴らしさ” は、「効果音」や「BGM」との適切なコラボによって倍加されるということです。
この「効果音」や「BGM」のポイントは、「音量」(ボリューム)と「タイミング」でしょう。それらの秀逸な「プラン」(アイディア)や「オペレーション」(操作技術)は、「台詞」を通して発せられた “役者の肉声” を余情豊かに伝えるとともに、“無音” すなわち「台詞」も「効果音」も「BGM」も入らない “silence(静寂)” を、いっそう “魅力的な 間(ま)” とするものです。そして、その “魅力的な間(ま)” は、次の「台詞」や「効果音」そして「BGM」を、さらに魅力的にしています。
「舞台」進行中は、いかなる “一瞬” であれ、それは「芝居(物語)の一部」です。「観客」は、いつ「場面」が転換するのか、また “どのような形” で「台詞」や「効果音」や「BGM」が入るのか、一切知りません。舞台の “一瞬一瞬” に “眼に映り耳に聞こえるもの” を “そのときの総て” として受け取るだけです。
たとえそれが、「舞台裏の物の落下音」であっても、自分の耳に “聞こえる” 以上、「観客」は無意識のうちにその意味を探ろうとするでしょう。細心の注意が要求される所以です。
つまり、“観客の耳に入るもの” は、総て「SOUND(音)」です。そして、それら「SOUND」の究極こそ、“役者の肉声” と言えるでしょう。その意味において、今回の「効果音」や「BGM」の「プラン」や「オペレーション」は、“役者の肉声” をよく活かすものでした。余分な「効果音」も「BGM」もなく、また「音量」の抑制がよく効いていたからです。そのため、今でも筆者の耳の奥に、「5人の役者の声」が鮮明に残っています。
能書きが長くなりましたが、以上のことを念頭に個々の “役者の声” に触れてみましょう。
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〈少女デコ〉役の「平川明日香」嬢――。声質が特に乙女チックということはないのでしょうが、巧みな “発声” と “台詞回し” でした。可愛らしさの中にも、観客の心を掴む力強い訴求力を秘めていました。それは、「頭のてっぺんから足のつま先までデコ」になりきった” 完璧主義の所産でもあるのでしょうが、しかし、“余情豊かでリズミカルな演技” が伴っていたからこそのものでしょう。ついでに言えば、手や指先の小さな仕草にいたるまで、丁寧な演出そして演技がなされていたと思います。
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〈主人〉と〈医師・浜口〉役の「小松泰輝」氏――。舞台開始当初は、緊張気味のような感じがしたのですが、〈浜口〉役に入った頃には、何とか自分のペースを掴んだのではないでしょうか。それでも、実力を発揮しきっていないような “もどかしさ” が感じられました。筆者の思い違いであればよいのですが……。もうしばらく見守ってみたいと思います。
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〈看護婦・ヒサエ〉役の「宮地桃子」嬢――。19歳でありながら、練達した「台詞回し」と「演技」。どことなくデカダンの雰囲気が漂う “をんな” の表情に、“凄み” ある「台詞内容」。 “伸びのある肉声” とあいまって、その存在感は半端ではありません。それでいながら、“女性としての艶や危うさ” のようなものも充分醸し出していました。これまでの舞台では演じなかった役柄を是非見たいものです。
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〈入院患者・シムラ〉役の「秀島雅也」氏――。その “野太い低音の肉声” は魅力的な響きと味わいがありました。看護婦〈ヒサエ〉との絡みの演技は秀逸でしたが、それを支えたのも “コミカルな自然体” であり、観客を引き付けて離さない卓越した台詞回しや演技でしょう。それに加え、やはり “男の色気を秘めた声の野太さ” でしょうか。ひょっとしたら今回の〈シムラ〉役は、“うってつけ”の役柄かもしれません。そんな気がします。 ともあれ、役者向きの声の持ち主のようです。本格的な「ナレーション」などにも、魅力を発揮する人かもしれません。
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〈オケラ〉役の「吉田瞭太」氏――。オーソドックスな成年男子の声とでも言うのでしょうか。清潔感のある穏やかで聞きやすい声でした。氏は『Under the Rose』の主役を務めたわけですが、今回の役については、『今までにない役に挑戦したので、戸惑うことが多かったのですが……』と、その “とまどい” を素直に語っています。
◇ 部全体としての“覚悟”の“維新”
「演出」担当の「眞鍋練平」氏は、今回の「公演」にあたって全員で「スローガン」を掲げたことを「稽古場日記」で述べています。その内容は、『自律・団結・維新』であり、“自己を律し、メンバー全員で団結し、新しい演劇として維新を皆様に伝えたい” というものでした。
氏は続けて、『皆を繋げて一つの目標に導くという役目はとても大変でしたが、何度も挫けそうになる中でこの「decoretto」のキャラクター達に、また部員一人一人の中で生まれる「decoretto」に助けられて、ここまで来ることが出来ました。』……と。
これこそ、筆者が繰り返し唱える “覚悟” というものでしょう。もちろん、その “覚悟” は確実に「舞台」に表現されていました。
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最後に、今回の「舞台」で気づいたことを――。「一つ」は、〈母さん〉の「惨事」とそれに続く「火事」の場面の「照明」と「効果・音響」について……。「刺殺」と「出火」という異なった2つの “事件の推移” を明確に示すための「照明」方法があったのでは。また、「炎上を表現する効果音」も何か方法が……。
無論、「照明」や「効果・音響」のスタッフは、百も承知であったのかもしれません。つまりは、「通常の火事場」を描くような “ありきたりの手法” を避けようとして……。そうであることを信じたいと思います。
「二つ」は、〈少女〉と〈モグラ〉とが、モグラのトンネルを抜けて行く場面について――。〈オケラ〉を含めた三者を象徴的に表現する“時空”として、今一つ「照明」と「効果・音響」両面での工夫が……と想いました。
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『この「decoretto」が全員で踏み出す一歩になれたら、そしてその一歩が皆様に伝える事が出来たらいいなと思います。』
……眞鍋氏の “言葉” です。「観客」に充分伝わったことは確かです。と同時に、今回の「舞台公演」が、「同部」として、また「個々の部員」としての成長の一歩となったことでしょう。同部のこれからの “維新” と、その維新が創り出す「舞台」を心待ちにしています。(了)
毎回、何度も一字一句を貪るように読み返しています。いつもながら、花雅美さんの分析力や発想力、そして言葉の表現力において、たくさんのことを教えられています。教えられているというよりも感激であり、驚きであり、恐れとも言えるようです。
そしていつものことですが、自分のボキャブラリーの乏しさを恥ずかしく思います。人生経験の差というものも多少はあるのかもしれません。しかし、やはりそれ以前の心構えであり、それこそ感性の問題なのでしょう。
それに、花雅美さんがいつもおっしゃるイマジネーションの問題なのでしょう。そう思うと、ますます恥ずかしくなります。それでも自分の限界がわかり、またこれからの努力目標がはっきりするため、これはこれでとてもありがたいと思っています。
「役者の肉声は音楽」とは、驚きの表現です。言われてみれば本当にそうですね。そのことを強く思い知らされたのは、花雅美さんが「NHKの女性アナウンサー」について触れられた記事をあらためて読み返していたからかもしれません。
あの記事の中で、加賀美幸子アナウンサー(今はフリーでしたね)が何かの会において詩の朗読をする際、バックに何やら音楽が入っていることを問題にされたものがありましたね。つまり、加賀美さんのアナウンサーとして素晴らしい声質や朗読技術があるのに、あれこれ音楽を入れるなど、かえって邪魔であるという、確かそういう記事だったと思います。
その記事を読んでいる時も納得したものですが、今回、たまたま「役者の声」と「アナウンサーの声」という比較の中で、両者の記事を読み比べたとき、本当にそうだと、つまり「役者の肉声は音楽」だと思いました。
今回の西南大学、機会を見つけて舞台を観に行きたいと思うようになりました。
舞台の「役者」同様、“アナウンサーの肉声は音楽”とはいえ、ここでの「アナウンサー」は、いちおう「NHK」ということにしておきましょう。民放のアナウンサーについては正直なところよく判りません。民放を観ることがあまりないからです。
やはりNHKのいろいろな番組から、“肉声は音楽”ということをうかがい知ることができます。ここでの“肉声”ということは、「アナウンサー」だけでなく、当然、「一般の人々」も含まれているということです。
『小さな旅』などにおいて、そのことをつくづく感じます。ついでに、この番組のBGMの選曲、音量、タイミングなども申し分ありません。
あなたの大学がどのような学校なのかは判りませんが、西南学院大学演劇部から学ぶことは多いと思います。HPの「公演記録」やFC2の「稽古場日記」などに同部の特徴がよく出ており、いろいろ学ぶ点があることでしょう。
1人でテノール,アルト,ソプラノを担当するもよし。3人でテノール,アルト,ソプラノを担当するもよし。
秀理さんのブログを読んで,SEとかBGMもそうですが,役者のセリフの間,そこに音楽の真髄があるように感じました。
そこに演劇を鑑賞する喜びがあるのですよね!?
優れた「舞台」や「映画」ほど、俳優の「台詞(セリフ)」をよく活かすものです。「台詞」が生きているからこそ、俳優の表情や仕草がいっそう活き活きとするのでしょう。
その結果、当然のように俳優同士の会話や絡みの演技もさらに活きて来るというわけです。
そして、「台詞」を活かすものこそ「台詞」と「台詞」の「間(ま)」であり、その「間」を活かすものこそ「効果音・BGM」と言うことになるのですが、しかし最高の「効果音・BGM」は、やはり「沈黙」つまりは「SILENCE(静寂)」ではないでしょうか。
この「沈黙・静寂」があるからこそ、「台詞」という「肉声=SOUND」がさらに活きて来るように思います。
ところで、演奏中のキース・ジャレットの「さまざまな声」も、やはり「音楽」すなわち「SOUND」ですね。