◇“をんな”と“聖母”性を演じ分けた驚愕の“19歳”
では残りの「キャスティング」をみていきましょう。
まず、〈看護婦 ヒサエ〉と〈母さん〉2役の「宮地桃子」嬢――。この〈2つの役〉は “真逆” であり、大いに興味をそそられる「配役」そして「役者(女優)」でした。
前者〈ヒサエ〉は、“サド” 気の雰囲気を持った “コケティッシュ” な〈看護婦〉。自由奔放な “をんな” の “生々しさ” を振りまきながら、男(医者)を腰掛代わりに尻に敷き、歯切れ良く捲(まく)し立てる――。これも “圧巻” でした。”サディスティックな啖呵口調” が壺にはまっており、それでいながら潔さと心地よさを感じさせる不思議な色気。〈主役〉の「平川」嬢同様、役者の “豊かな感性とクリエイティブなイマジネーション” というものでしょう。それに “眼の覚めるような勢い” と “リアリティ” が加わったようです。
〈シムラ〉役の「秀島雅也」氏との “絡み” においても、〈ヒサエ〉は見事にそのキャラを発揮しており、この〈ヒサエ〉と〈シムラ〉の “くだり” において、筆者は何度も “抱腹絶倒” に襲われていたのです。久しぶりに声を出し、腹を抱えて笑っていました。
一方、後者の〈母さん〉は、文字通り “貞潔な母性” を感じさせる慈愛に満ちた「母親」的存在。少年と少女を守り抜くためには、自らの生命をも厭わない自己犠牲的な愛の持ち主。〈女の子〉役(平川明日香嬢)と〈少年〉役(小松泰輝氏)を守り通そうとする姿には、聖母的な神々しさが感じられたほどです。事実、その後二人を守るために命を落とすわけですが、舞台上の姿は、〈ヒサエ〉役と同じ役者とは思えないほどでした。
それにしても筆者が驚いたのは、宮地嬢が十代つまりは “19歳” の乙女であるということです。この年齢で “コケティッシュなをんな” と “聖母的な慈愛に満ちた母親” をきちんと演じ分けたことは驚愕であり、衝撃でした。彼女も平川嬢同様、今回の舞台に賭ける熱い想いは、生半可ではありません。次のように言い切っています――、
『さあ意気込みますよ!……みんなみーんな、デコレットの世界へと引きずりこませていただきます。』
そして言葉どおり、観客を見事に “decorettoの世界” すなわち “ヒサエと母さんの世界へ”と引き摺りこんだのです。
◇久しぶりの抱腹絶倒
4人目は、入院患者の〈シムラ〉に、〈テッシー〉と〈モグラ〉(土竜)の3役を演じた「秀島雅也」氏――。〈ヒサエ〉のところでも述べたように、筆者の “抱腹絶倒” の “源” でした。サディスティックでコケティッシュな〈ヒサエ〉役は、この〈シムラ〉の存在によって盤石なものとなり、両者の “際どい絡み” が、それぞれのキャラクターをより引き立たせたのです。
この〈シムラ〉に漂う “性的プレイの嗜好” は、“decorettoの世界” が、一方的にメルヘンチックな時空へと堕していくことを防いでもいるかのようにも見えました。それはいわば、「無理なく自然に流れていく現実という世界」が、自分にとって正常でも順調でもないとすれば、人は “性的倒錯の世界” に逃げ込むとでも言うかのように。
あるいは、「現実」の「世界は人間なしに始まったが、人間なしに終わる」というミシェル・フーコー的「現実の世界(テーゼ)」に対する「夢の世界(アンチテーゼ)」ということでしょうか。少なくとも「夢」は、「人間なしには始まりも終わりもない」わけですから……。真意はともあれ、そういう “想念” の入り込む余地を感じさせる世界であり、〈シムラ〉の存在でした。
しかし、〈少女デコ〉も〈本屋の主人〉も、〈テッシー〉も〈ヒッキー〉も、そして〈モグラ〉も〈オケラ〉も “そこまでの世界” は望まなかったようです。
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最後は、〈オケラ〉と〈ヒッキー〉役の「吉田瞭太」氏。5人の中では一番地味な役回りですが、〈オケラ〉役は好演でした。5人の役者の中ではもっとも出演機会が少ないわけですが、「学生演劇」というカテゴリーにおける「学生らしい役者」ということが言えると思います。
筆者が観た今回の前の公演は『Under the Rose』ですが、氏はこの舞台で「主役」を演じていました。安定した確実な演技の持ち主であり、安心して観ていられる役者です。
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ともあれ、今回の「役者5人」の「キャスチング」が優れていることは、それぞれの「役者」の「能力」が “優れている” こともさることながら、5人の “組合せの妙” にそのすべてがあるような気がします。(続く)
※次回が「最終回」です。
きっと西南高校演劇部からのサラブレットなのでしょうね。どんな役者さんになるのか,私も一緒にチェックすれば良かった~。
次回の西南には参加します。また誘ってくださいね。
しかし、欲張りな私は“10年に1人”どころか、“1年に何人もの優れた人材の排出”は充分可能だと思います。
演劇に限らず、音楽、文学、美術工芸、建築などの分野においても、真に才能ある人は「何でもないきっかけ」によって“大きく化ける”のではないでしょうか。磨き方いかんによって“光り輝く原石”が、沢山眠っているような気がします。
高校生や大学生は「一夜にして化ける!」。原石がゴロゴロ眠っているという訳ですね。
秀理さんの“原石発掘ブログ”楽しみに読ませていただきます。
磨けば「玉」になるような「原石」はゴロゴロしています。私はそう思います。
第一の問題は、それをいかに周囲の人間が見出すかであり、第二の問題は、見出された「原石」自身が、それから先どうやって「自分自身」を「磨いて行くか」ということでしょうね。
つまり、最終的には、“玉磨かざれば光なし”ということだと思います。
私は、あなたのような方が「一人でも多く増える」ことを密かに願っております。
何度も申し上げることですが、「学生演劇」は優れた「芸術」であり、また「地域文化」です。その素晴らしさを「一人でも多くの方に理解して」いただきたいという気持ちで、この「演劇へのいざない」や「学生演劇の公演案内」の記事を綴っています。
総ての「バラエティ番組」がそうだとは思いませんが、容易に受け入れることができない「番組」や「芸能人]
が増えていることは事実です。
そういう時代であればこそ、私はあなたのような方の出現を心から歓迎するものです。どうか周囲の方々に「学生演劇」を勧めていただければと願っております。
このたびのコメント、重ねてお礼申し上げます。深謝