『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・社員教育の果てに(中―2)

2010年05月29日 20時44分06秒 | ■世事抄論

 S常務は、言葉を丁寧に選びながら話を続けた。
 ――この会社に来て一週間ほど経った日、私は「営業会議」に参加しました。その後、数台の車に分乗して仲介物件を見に行きましたが、そのとき違和感を覚えたことがいくつかあります。

 第一に、何人もの営業担当者の言葉に、“過信”があるように思いました。今の時代、よほどの物件でないかぎり、右から左に売れていくようです。“努力して売る”という姿勢は必要なく、“勝手に売れていく”のでしょう。良し悪しはともかく、時代の流れがそうであることを謙虚に認め、売主・買主双方に対する感謝の気持ちをもっと持たなければいけません。“売ってやっている”など、とんでもないと思います。

 第二に、「物件」を評価する場合、言葉の選択に“配慮”が足りないと思いました。まるで「売れている物件」は「善」、そうでない物件は「悪」であるかのようなニュアンスでした。“ボロ物件”とか“どうしようもない物件”とか。絶対に慎まなければならないと思います。

 第三に、営業担当者の車があまりにも“煙草臭い”ことでした。個人所有の車はやむを得ないかもしれません。しかし、少なくとも「会社の車輛」はすべて禁煙とすべきです。「喫煙者」は、「非喫煙者」が、どれほど煙草によって健康を害され、また不快な思いをさせられているかを真摯に受け止めるべきです。

 以上の三点。もう気付いたはずです。今日、先生がおっしゃった「優しい上品な営業マン」の真逆のケースです。そして、ここではっきりと言いますが、ほとんどの営業担当諸君の実態ではないでしょうか。しかし、これは個々の営業マンの問題ではなく、会社全体として取り組まなければならないと思います。

 その意味において、今日の最後の先生の締めの言葉がとても印象的でした――。

 『“お客様第一主義”は、結局、“我が社ご都合主義”に堕ちていくしかありません。会社人間は誰しも、考えることは同じです。会社(我が社)が存続するために、何はともあれ“お客様”を大切にしなければ。そうでないと、振り向いてはもらえない。

 こう言う“欺瞞”が消えないかぎり、企業としての真の成長も繁栄もないでしょう。……社員にとっては、自社すなわち「我が社」はかけがえのない存在です。しかし、世間一般の人々にとって、「我が社」などどうでもいいのです。つまり、なくなったところで、誰も困らない”のです。……ここから出発しなければなりません』

 “我が社はなくとも誰も困らない”。何と言う衝撃的な言葉でしょうか。これはまさに、現在の“我が社”を象徴しているように思います。にもかかわらず、社員の多くは“我が社”を中心に、世間や物件が動いていると錯覚してはいないでしょうか。我が社”は、そして“わが社の人々”は、お客様に“振り向いてもらう以前”のレベルのような気がします。

 筆者は、自分がレクチャーした内容であることも忘れて、S常務の捉え方の深さに感動していた。社員たちも息をのむ感じでS常務の口元をひたすら見詰め、私が口を開く場面はほとんどなかった。

 いつの間にか日付が変わっていた。S常務の話が終ったとき、張り詰めていたものが少し緩んだように感じられた。だが他の部屋の談笑や歌声、それに酒盛りの様子は、いっときも鎮まることはなかった。

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