その夜、研修会場のホテルに帰館するはずの社長は、他所(よそ)での「夕食会」の後、二次会、三次会と流れて行ったようだ。
翌朝。筆者は、ようやく姿を見せた専務と会長をS常務から紹介された。長男の会長は多少温和しい印象を受けた。だが三男の専務は、一見して“やり手”という雰囲気があった。営業部門の最高責任者であり、なかなかの饒舌家だ。メインバンクから送り込まれた常務に対しては、どことなく冷ややかな態度だった。
午後三時きっかり、すべての研修が終わった。社員たちは、それぞれの営業所に向けて帰り支度を始めた。これから「終業」時間まで、平常通りの業務をするという。専務は誇らしげにそう言いながら、次の煙草に火をつけた。それにしても、三兄弟ともかなりのヘビースモーカーだった。
三兄弟にS常務、そして筆者の五人は、ホテルロビーの「喫茶ルーム」に入った。筆者に対するお礼と労いという意味のようだ。とはいえ専務は、多くの営業マンが、この時期の研修にあまりいい顔をしなかったのではと常務に語りかけた。無論、その言葉は、今回の研修を企画した常務に対する“ジャブ”を意味していた。
専務の言葉に社長が続いた。筆者に顔を向けながら、
――せんせ(先生)。うちの営業連中は変わりもんで。自衛隊の幹部候補生からエリート商社マン、一流校の教師や弁護士レベルの男たち……。おもろいし、それなりに(数字は)あげよりますわ。何やらかすかようわからんゆうんが、ええんと違いますか。好きなようにしたらええ……それがうちの伝統ですわ……。
正確な関西弁の再現はできないが、要するに中心となる営業マンは“型通りの教育”を凌駕したレベルにあると言いたかったのだろう。専務や社長の話しぶりから、三兄弟が昨日の研修の感想を“彼ら”から聞いていたのがよく判った。
――せやけど、常務の言う外部講師の教育も大事や思いますわ。身内だけではマンネリ化しますよって……。
専務はそう言いながらも、S常務を本気で立てる気持などないように思われた。あくまでも講師(筆者)に対する社交辞令であり、講師要請の窓口となった常務に、多少は配慮しているというポーズをとったにすぎない。その証拠に、“社員研修”は、あくまでも“企業利益の健全な処分”の一つであると言ってのけた。
筆者にとって、三兄弟の言動はどうでもよかった。厭味のジャブをとばされているS常務が気がかりだった。だが常務は顔色一つ変えることはなかった。淡々とした対処を見せ、ときには笑みを浮かべながらひたすら聞き役に徹している。“泰然自若”とはこのことを言うのだろうか。役者としての三兄弟、いや筆者を含めた四人との“格”の違いは、もはや疑いようもなかった。
だが、その“格の違い”を真に悟るまでには、次の“一幕”を待たなければならなかった。