参禅者の食事の世話や「作務(さむ)」(※註1)の指導は、三、四人の雲水が担当していた。だが吉田さんの叱責役は、いつも決まった雲水だった。その雲水に対し、何人かの参禅者(私もその一人)は、正直言ってあまりよい感情を持つことができなかった。みんなの想いは、以下のようなものだったろうか……。
……雲水といっても、大学を出たての世間知らずの青年にすぎない。その彼が、何十人もの社員やその家族のために日夜苦闘している五十歳半ばの中小企業の経営者に、あのような言い方をしてよいものだろうか。曹洞宗において、いかに「作法」が重視されるとはいえ、吉田さんは故意に間違えたわけでも、真摯な態度を欠いたわけでもない。
仏道の大きな慈悲心と、何ものにも執着しない禅の奥義からすれば、作法における一所作のミスなど、取るに足らないものだ……。
……歳を重ねるにしたがって、人はどんなに注意しても忘れたり、間違えたりするもの。それは免れることのできない“生老病死”の一局面ではないか。あの雲水には、年配者を思い遣る気持が欠落しているように思う。“叱る”そのことが悪いのではない。問題は“叱る側”の心のありようといえる……。
三泊四日の参禅修業が終わる最後の夜がやってきた。明日の昼頃には、永平寺の山門をくぐって娑婆に戻ることができる……。控室はその空気に包まれ、参禅者全員がささやかな解放感に浸り始めていた。そのとき、吉田さんが連れの若い社員とともに改まった態度で挨拶を始めた。
『叱られてばかりの私に、みなさんは呆れたり、不愉快な思いをされたりしたことでしょう。今回で三回目の参禅となるのに、我ながら作法の憶えが悪いと思います。仕事のことは一回聞けば理解でき、絶対に忘れることはないのですが。それなのに、永平寺に入った途端「駄目人間」になってしまって、叱られてばかり……』
吉田さんは、微笑みながら若い社員の方に視線をやった。
『でも本当のことを言えば、私がここに来る理由は“叱られるため”と言えるでしょう。会社での私は、若い社員や下請けの人をよく叱ります。無論、理不尽な叱り方や憎悪の感情をもって叱ることはありません。それでも、叱った後はいつも反省しています。“本当に叱る必要があったのだろうか”。“叱り方や叱る言葉は適切だったろうか”。“そもそも自分には、人を叱る資格があるのだろうか”……と』
そう言う吉田さんには、作法を間違えておどおどしている「参禅者」の表情はまったくなかった。明らかに「企業経営者」としての威厳と力強さが感じられ、その口調や視線の配り方には風格さえ漂っていた。
『ここで叱られるたびに、私は社員や下請けの人々を叱った自分を想い出し、反省させられるばかりです。今の私を叱ってくれるのは、この永平寺しかありません。ここで叱られなかったら、私は自分というものを深く掘り下げて見つめることは無いのかもしれません。
人は誰であれ、“一方では叱り、他方では叱られる”という“巡り合わせ”、いえ“使命”を担っているような気がします。いつも私を叱るあの雲水にしても、先輩の雲水から叱られていることでしょう。そしてその先輩の雲水も、また別の雲水から叱られているはずです』
『私がここに新入社員を連れて来るのも、惨めに叱られている自分の社長をしっかりと見つめ、“叱ること”また“叱られること”の意味をじっくり考えてもらいたいからです。そしてこの彼が会社に戻ったとき、ここ永平寺で見聞したことをそのまま他の社員に伝える役目を担っています。そのための「同行者」であり、「報告者」なのですから。ある意味では“叱られ役”の私より大変な役目かも知れません』
誰一人、口を開くことはなかった。参禅者の眼差しは、一点となって吉田さんの口元に注がれていた。
“自分はなぜこういう気付きができなかったのだろうか……”
私は、ただひたすら自分の不明と不遜を恥じるほかなかった。(了)