20数年前になるだろうか。不動産流通関係の経営コンサルタントになって間もない頃、関西のある新興不動産会社を訪問したときの話だ。ときまさにバブルの絶頂期。経営指導と社員教育を依頼したいとのことであり、訪問はその打合せと社長にお会いするのが目的だった。30半ばの社長はたった一人の創業から、わずか5年で30名近い社員を抱えるまでになっていた。
著名な建築家の設計による完成直後の社屋は、ちょっと派手な感じがしたものの斬新さが際立っていた。4階建ての「打ち放しコンクリート」であり、非コンクリート部分のドアや窓は、ブラウン系統のパステルカラーでまとめられていた。
敷地の門を入った。ほぼ全面ガラス張りの建物内が素通しに見え、受付に制服姿の二人の女性の姿があった。ガラスの自動ドアが心地よく開き、すっと中に導かれた。受付嬢の制服はなかなかのデザインだった。後で知ったが著名な女性デザイナーのオリジナルという。それなりの女性が着れば、きっと素晴らしく映えたに違いない……と、ちょっと意地悪な想像をしながら、受付嬢に名刺を渡した。
受付嬢が総務部長を内線で呼んだ。部長は1分近く経ってやっと受話器に出たものの、それから10分以上経過しても現れなかった。30秒もあれば、彼の「デスク」から「受付」まで来ることができたはずと思えたのだが……。
二人の受付嬢は、筆者のことにはお構いなくただひたすら喋り続けている。訪問者を待たせているとの気遣いもなければ、お茶が運ばれた記憶もない。お待たせして申し訳ありません、というひと言もなかった。
退屈した私は、フロアの隅にラーメンらしき「どんぶり鉢」を見つけた。3枚か4枚のようだ。正確な数が判らないのは、見ている位置から15、6m離れていたことと、「どんぶり鉢」がきちんと重ねられてなかったからだろう。そのうえ、鉢と鉢の間から使用済みの箸がのぞいている。というより四方八方から突っ込まれていたというのが適切だろうか。
真新しい建物に惹かれた私は、壁や天井、それに家具や照明器具などを眺めた。どれもが洗練されたデザインや色調であり、またソファやイス、それにテーブルなどもそれなりのグレードのものだった。
気づいたとき「どんぶり鉢」のある場所へと近づいていた。そしてごく自然に「どんぶり鉢」の中に視線が行った……と思った瞬間、衝撃的なものが眼に入った。
一番上の「どんぶり鉢」の中に、“10枚ほどの硬貨がそのまま”入っていたのだ。しかも、うっすらと油がにじんだスープの中に、半分浸ったように……。
何とも言えない感情が込み上げてきた。憤りでも哀しみ、情けなさでも歯がゆさでもなかった。虚脱感に似た疲れが一瞬にして全身をめぐった。喋り続ける二人の受付嬢を視界の端にとらえながら、その場に居合わせた自分を半ば責めるかのように、一切の考えを停止しようとして戸外に出た。