S常務は三氏に配慮しながら、“部屋を案内”するにいたった“いきさつ”を語った。
それは、「喫茶ルーム」での支払いの際、「ネクタイピン」がないことに気付いたからという。やむなくフロントで鍵を借りて部屋に向かったところ、ルーム(ベッド)メイクの担当女性が部屋に入ろうとしていたようだ。そのときふと“社員が宿泊した部屋”が気になり、ひととおり見せてもらったとのことだった。
S常務は二番目、三番目と部屋の案内を続けた。最初の部屋ほどではないにしても、乱雑な様子に変わりはなかった。四番目と五番目は、女子社員が使った部屋だった。
――本来、男子が入るべきではないのでしょうが……。
そう言いながらもS常務は、淡々とした表情で部屋に入って行く。その動作はどことなく手慣れた感じを与えた。ホテルの関係者と言っても通用するほどだ。
年配の女子社員が泊まった部屋は、跡片付けも掃除もある程度なされていた。だが若手主体の部屋には、その形跡はほとんどなかった。のみならず、化粧品の混じった複雑な匂いが漂っていた。
S常務は、部屋の隅の「ゴミ入れ」まで進んだ。傍にいた筆者は、おのずとその中を覗き込む形となった。……いくつものサンプル化粧品の空き箱。日用雑貨品の案内チラシに割引券。スナック菓子の空の袋。そしてストッキングが入っていたと思える包装紙。それに加えて、“お化粧”の際に使ったとみられるコットンやティッシュの類(たぐい)……そのときの鮮やかな口紅の色が、今も筆者の脳裏から離れない……。
S常務は黙々とそれらを拾い上げ、傍(かたわ)らのビニール袋に詰め始めた。三氏と筆者の四人は、常務の一挙手一投足をただ眺めているだけだった。といってそれは、“怠慢”を意味するものではなかった。儀式を司る“神職”のような常務の行為に、手伝うことはおろか、声をかけることすらできなかったのだ。それほど、常務の所作には近寄りがたい“風格”と“威厳”が備わっていた。
――ロビーに、“うちの社員”いてへんか?
社長と専務に向かって、ようやく会長が口を開いた。専務がうなずいて1階のホールに向かったものの、すぐに戻って来た。社員は一人も残ってはいなかった。
★ ★ ★
――誰か一人でも片付けよったら、あとに続いたはずやのに……。
ロビーに戻った時、会長が呟いた。『誰か一人』という言葉に、口惜しさを滲んでいた。
ひと呼吸おいた会長はしばらく俯いたまま、懸命に言葉を探しているように見えた。そして再び顔を上げたとき、神妙な面持ちで常務の方に向き直った。
――今度の研修は、わしら三人のためやったんやな……。
思いもよらない言葉だった。だが社長と専務が、ほんの少しうなずいたような気がした。
――この何年か、ずっと何か足りんような気がしてな……。
会長は小さく微笑み、S常務に視線を送りながらそう言った。その柔らかい表情には、常務に対する“ねぎらい”と“謝罪”の気持ちが含まれているように感じられた。
しかし、常務は何事もなかったかのように淡々と耳を傾け、そして微笑むだけだった。