『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・加賀美幸子の『平家物語』/NHK女性アナウンサー列伝抄:(3)

2013年02月07日 19時43分04秒 | ■人物小論

 

  NHKラジオ2「古典朗読」の『平家物語』

  先週2月2日の土曜日の夕方――、筆者はスーパーでの買物を終え、あと数分で自宅に到着するところでした。何気なくラジオの周波数を変えたそのとき、カーラジオの時報が5時を打ち、「NHK文化講座(ラジオ第2)」の「古典講読」という番組が始まりました。何とその案内の「ナレータ―」は、加賀美幸子さんでした。もちろん、第一声ですぐに判りましたたが、ほぼ1年ぶりに耳にする声でした。

  「平日」のこの夕刻、筆者は学校帰りの愛車の中。NHKをはじめ、ニュースや時事系の番組を何となく聞いています。しかし、授業がない「土・日の夕方5時」に、車を運転することも、ラジオを聞くこともありません(自宅でラジオを聞くことは皆無)。

  番組タイトルの『古典講読』……作品は『平家物語』……そして、「朗読者」は憧れの加賀美幸子さん……。ああ! 何と言う幸せな巡り合せ。これを“僥倖(ぎょうこう)”と言わずして、何と言えばよいのでしょう! NHKに、ラジオに、そして周波数にひたすら感謝感激でした。

  筆者は家に帰ることを止め、「番組終了」まで車の中に居ようと決心しました。1秒たりとも聴きもらしたくないという気持ちでした。結果として「45分間」もの“至福の時間”となり、車を停めたまま聴き入っていました。

      ☆

  今回の物語(朗読)の中心は、薩摩の守・平忠度(たいらのただのり)が、「一の谷の戦い」において源氏方の岡部忠澄(おかべただずみ)に討たれる場面でした。……忠度……ただのり……そうです。“無賃乗車”の隠語として呼ばれている“あのタダノリ”です。しかし、彼はなかなかの“歌人(うたびと)”であり、平家一門と一旦「都落ち」した後にわざわざ都へ引き返し、師事した藤原俊成(ふじわらのとしなり)に百余首もの歌を収めた巻物を託したほど。                        

      ☆

  話が少し逸れてしまいました。筆者は前回、次のように述べています。

   『加賀美さんは特に「源氏物語」や「枕草子」といった「古典文学」の「朗読」に、いっそう魅力を発揮されるような気がします。』

  そして、最後の締めくくりとして――、

   『「古典文学」の中でも、ことに絢爛豪華で艶麗耽美な「平安朝の文学」にピッタリでは……と個人的には思うのですが……。』

  しかし、今回の『平家物語』を聴き、力強く“物語の世界”を拡げようとする重厚で奥の深い語りに魅了されました。いやいや。どうしてどうして。戦記物や男性的な闘いも悪くない……。というより、まさに《加賀美歴史観》の“かおり”が感じられたほどです。

  そこで「ネット検索」を試みたところ、我が意を得たりとの結果でした。やはり、ご自身がかなり古典に魅力を感じている様子がよく判りました。古典文学についての「講演」などもやられているようです。

       ☆

  さらに検索を進めたところ、『中原中也の詩の朗読(加賀美幸子)』というサイトを発見。筆者の期待とテンションは急激に高まりました。“ひょっとしたら、あの詩かな……”と秘かに『汚れちまった悲しみに』や『サーカス』などの一節を想い浮かべながらクリックを……。画面が現れ、ヴァイオリンが控えめに小さく短く「♪ゆあ~ん、ゆよ~ん♪」と入り、一呼吸おいて朗読が始まったのです――。

  “汚れちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる”……う~ん。シビれる。筆者は眼を瞑り、加賀美幸子さんの“玉音”ならぬ“玉声”に全身全霊を集中させたのです。

  ところが次にピアノが入り、……“汚れちまった悲しみに、今日も風さえ吹きすぎる”……そして今度は、フルートとピアノのデュエットが入り……しばし、フルートが短いソロを……。そしてガラッと変わった雰囲気の加賀美さんの朗読が……。

  だがその次の一節は『汚れちまった悲しみに』ではなく、他の詩の一節であり、さらに途中でまた別の詩である『サーカス』の一節に変わり……。その後はずっとピアノ、フルートそしてヴァイオリンが交互に、ソロとして、またデュエットやトリオとして、「朗読のバック」となったり、「間奏」となったり……。忙しいこと、忙しいこと……。ゆっくりじっくり、加賀美さんの玉声を味わう……なんてな雰囲気ではありません。

       ☆

  いったいこれは何だろう? 筆者の脳は完全に疑念と不安と混乱に陥り始めたのです。そのような戸惑いの中、“汚れつちまつた悲しみに、なすところもなく日は暮れる……”と最後の一節が流れ、慌ただしかった3分43秒が終了しました。まさしく、筆者の方こそ“なすところもなく”……でした。

  大フアンの加賀美さんの朗読なので、何とか最後まで聴いたし、また聴けたと思います。これが他の朗読者であれば、最初の1分くらいでやめていたでしょう。それにしても、“何と言うことをしてくれたものだ企画・演出者は……”というのが筆者の率直な感想です。

       ☆

  楽器を、バックや間奏に使う必要などなかったのです。もし楽器を使用するのであれば、それは加賀美さんが「朗読」に入るまでの“つなぎ”として、さりげなく必要最小限にとどめるべきでしょう。

  加賀美幸子さんの《朗読》すなわち《声》だけで充分であり、それ以外に何が必要でしょうか。加賀美さんの“声そのもの”が、そしてその声によって織りなされる“絶妙な間の取り方や休止”こそが、ときに音楽であり、楽器であり、メロディであり、リズムであり、そして何よりも台詞であり、地の文であり、詩情であり、自然や情景の描写であり、人物の内面であり、感情の発露であり、意識や思想の表出であるのですから。 (続き

       ★   ★   ★

   ――今回ばかりは、あたくしも全く同感。加賀美幸子さんも、どことなく乗り気じゃなかったみたい。そうよねえ。言ってみれば、加賀美さんの「声の継ぎはぎ」みたいなものでしょ? それにしても、あなたの最後のフレーズの……『加賀美さんの声そのもの”が、そしてその声によって織りなされる“絶妙な間の取り方や休止”こそが……』のところ、とっても素敵よ。懸命に憤りを堪(こら)えている様子がよく伝わって来て……。企画・演出の方って、何をしてらっしゃったのかしら。と言うより、演出なんかこれっぽちも、いらなかったわけでしょ?  ほんとに、それこそ「ああ! 無情」ってとこね。

  ……ん? ああ! 無情……。そうだわ! フランス語で「レ・ミゼラブル」でしょ? そうそう! 今凄い話題ですって! 観に行かなくちゃ。 ……え? 知らないの? 『レ・ミゼラブル』って映画よ。ほら。ジャンバルジャンという主人公が……たった1本のパンを盗んだだけで……。 ねえ? 聞いてる? ……ね~え? あれっ? 眠ちゃったの……?

 

コメント
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