『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・古典朗読の加賀美幸子/NHK女性アナウンサー列伝抄:(2)

2013年02月03日 08時13分27秒 | ■人物小論

 

 ◇「朗読・ナレーション」の名手

  女性アナウンサー以外で「朗読」や「ナレーション」とくれば、まず次のお三方を思い浮べます。声優でナレーターの白坂道子(しらさかみちこ)さん、それに奈良岡朋子(ならおかともこ)さんと市原悦子(いちはらえつこ)さんの女優お二人でしょうか。

  と言っても、白坂さんについてはこの15、6年、その声を聴く機会もなく、また市原、奈良岡のお二人についても、やはりここ10年ほど耳にした記憶がありません。それでも筆者の中では、20年以上前に聞いた白坂さんによる高村光太郎の「千恵子抄」の朗読が鮮明に甦って来ます。

   『……東京には空がないといふ、ほんとの空が見たいといふ。……(中略)……千恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山の山の上に、毎日出ている空が千恵子のほんとの空だといふ。あどけない空の話である。』

  ……『あどけない…空の話である…… 』。最後の一節が流れたあと、印象深い独特の余韻、そして余情がありました。言い足りないような感じで終っただけに、“もっと聴きたい”という気持ちがいっそう強く残ったのかもしれません。もっともこのような余韻や余情は、優れたナレーターや朗読者が、ごく自然に表現していることではありますが。

        ☆

  ◇『おしん』にみるナレーションの威力

   市原さんはNHKの『日本むかし話』の朗読が、また奈良岡さんは、NHKの朝ドラ……そうです。『おしん』のナレーションです。彼女の口から発せられた『おしん……』という台詞の出だしは、物語の進行とは別次元の世界を創り出していたのではないでしょうか。

  わずか「3音」の「おしん……」という言葉にすぎなかったのですが、その後に続く「言葉」すなわち「情景」を簡潔明瞭に、かつ視聴者の自由なイマジネーションを妨げないよう伝えるものでした。

       ☆

  小林綾子演じる子供時代の「おしん」を想い出してください。「おしんの置かれた情況」がいろいろありましたね。辛い出来事……、悲しい場面、嬉しいことや嫌なこと、おしんの心を傷つける心もとない人物の言葉や態度。胸の張り裂けるような哀しみ……。ようやく差し始めた希望の光……。敢然と切り拓いて行こうとする、さまざまな人生の岐路……。

  奈良岡さんのナレーションが優れていたのは、「おしん」に同情して“これ見よがし”的にはならなかったということです。意図的に視聴者の感情移入を抑え、どこまでも “物語の流れ” すなわち「おしん」や両親をはじめとする人物や出来事を淡々と語っていたからです。子供向けの番組であれば、ナレーターは登場人物以上に喜怒哀楽を誇張した口調になるものです。

  とはいえ、ときには視聴者を特定の「登場人物」や「事件」に近づけたり、逆に遠ざけたり、また好意的な感情やその逆の感情をを呼び起こさせたりと、その使い分けや演出は無論、ディレクターによるのでしょう。しかし、その具体的な表現は、ナレーターや朗読者の感性や力量に負うところが大きいのです。

   『おしん』の場合の奈良岡朋子さんがそうであり、他のナレーションや朗読の名手にして同じです。そしてそれら“名手の頂点”こそ、筆者の独断に従えば、加賀美幸子さんであり、山根基世(やまねもとよ)さんということになります。

  

 ◇加賀美幸子のイメージ喚起力

  加賀美さんは「ナレーション」と「朗読」のいずれにも群を抜いたセンスと感性を持っています。ドキュメントやドラマの「ナレーション」であれ、小説をはじめ詩、短歌、俳句、童話等の「朗読」であれ、瞬時に“その世界”へ惹き込む巧みさは“別格”と言えるでしょう。しかもその“完成度はきわめて高い”ものです。

  私見ですが、加賀美さんは特に「源氏物語」や「枕草子」といった「古典文学」の「朗読」に、いっそう魅力を発揮されるような気がします。「古典」に限らず「文学」ジャンルは、伝える側にも受け取る側にも「イマジネーション(想像力)」や「クリエイティヴィティ(創造力)」が求められるわけですが、とりわけ「古典文学」においては、いっそうその要求が高いといえるでしょう。それは、「歴史の事実」として受け止めなければならない「現代史を語るナレーション」と比較するとき、その違いがはっきりすると思います。

  その意味において、加賀美さんの声質、音量、太さ、伸びそして勢い、さらには堂々とした言い回し、そして何よりも“絶妙かつ繊細な休止や間”……。彼女ほどイマジネーションを刺激しながら受け手の創造性を膨らませてくれる「朗読者」はいないのではないでしょうか。「古典の時代には存在しなかった我々現代人」にとって、「古典」は、そして「その文学作品」は、どこまでもイマジネーションとクリエイティヴィティの世界であり、加賀美さんは「その世界」への「導きびと」と言えるでしょう。

    「古典文学」の中でも、ことに絢爛豪華で艶麗耽美な「平安朝の文学」にピッタリでは……と個人的には思うのですが……。(続く

 

コメント (8)
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