そろそろ出かけたいY's部長と私の歩け歩け隊、久々の活動?!ふらーっと高山に行ってきた。
…THEノープラン!
前日の20時ぐらいに結局どこに行く?だの何時にどこ集合だ?とお互いガラケーのショートメールでやりとりしてた状態(笑)結局朝9時ぐらいに部長の家にお迎えになって、私が家でる時に連絡という形になった…ずるずるである(でも楽♪)
部長が知ってた国道41号線じゃない道を走って2時間ちょい、高山市内に着いた。町はずれの駐車場(150円/30分)に停めて、いよいよノープラン街歩き?!
途中看板で面白そうなところに寄るも~定休日とか。まぁ仕方ないとばかり、ひとまずベタに古い街並みを経由して通りを突き抜けてみることに。

空に明るさが合ってしまいもやもやだけど、葉っぱ落ちかけできれいだった木。高山市政記念館という明治28年から昭和43年まで使われてた役場の跡らしい。建物の前だけ見たけれど~展示はともかく(え?)建物見てこればよかったかな?と今更(^^;

高山といえばド定番の高山陣屋。中学校の遠足?以来。
もともとあった屋敷を政治の場所として使ってたそうなんだけどね、その政治の範囲が広すぎてすごかった。高山が江戸幕府の直轄地になって郡代と呼ばれる(多分)偉い人を筆頭に、広い広いお屋敷の中で過ごしていたらしい。
「高山城主金森氏の下屋敷の一つでした。金森氏が上ノ山(山形県)へ移されてからは、徳川幕府の直轄地となり、江戸から代官や郡代がきて、ここに役所をおき飛騨の政治をとりました。
この役所を「高山陣屋」とよび、おふれを出したり年貢の取立てなどをしました。(高山市公式サイトより)」

入ってすぐに「青海波(せいがいは)」というおめでたい柄(部長談)の壁がお出迎え。漢字の八のように末広がりなところからそういう意味なんだろうなと後から調べて知る。
その壁の前には花餅。よく見たなぁ~と思うと、どうやら飛騨地方を中心に雪の深い地区のもので、生花が少なくなるお正月の飾りに使われていたものなんだとか。実家の富山は雪深くはなかったけれど、ばーちゃんちとかで見たことあったよな?

建物の奥の方にある台所にあたる部分の天井をパチリ。古い木造の建物の小屋裏って好きだ!雪の重みに耐えられるように、梁が真っすぐでない木が使われてるのがやはりなぁという部分。まっすぐなのと比べて、屋根の荷重を逃がしやすい造りなのだ。
それにしても木の使い方が贅沢。そりゃ昔はこのような建材だったのだろうけれど、贅沢だなって思う。

部長が気づかれたんだけど、畳のへりでお部屋の格式が違うのも面白い。客間とそうでない部屋(もっと言い方(^_^;))の違いが分かりやすいところ。場所によってはへりすらないところもあった。ふむふむ。

郡代の奥さまのお部屋(だったと思う)からはゆったりとお庭が見える。もう晩秋も晩秋の勢いなんだけど、この写真右側に視線を移すと池もあり…四季のそれぞれの景色が楽しめたんだと思う。

小さな板を重ねた屋根は補修中だったらしい。くれ(榑)板とよばれる板を均一に剥いだものを屋根材として使うのは、これもまた飛騨地方のものだそうな。茅葺きが有名だけど、くれ板を使うのが一般的だったそう。

新しいの乗っけていったら、そこだけ新しくて気持ち悪いことになりそう…と思ったら、どうやら下から新しいのを追加していき、表面の腐ったり痛んだりしたものを落していくという仕組みなんだそうな。ちなみにそうやって落したものは燃料として使われたらしい。無駄は出さないところが知恵だなぁと。
陣屋は政治も警察も色んなのを兼ねていたため、中には昔のお巡りさんの詰め所や裁判所(あれだ、時代劇のお白州ってやつだ)もあり…それこそ時代劇でしか見たことなかったようなものが展示されていた。年貢も取りたてていたので、建物の横にある大きな蔵には米俵がぎっしりだったよう。今じゃそんなに身分の違いなんてないけれど、昔はそれぞれの役職や生まれで色んな苦労があったんだろうなと思ったよ。

正面入り口横の砂も波模様
京都もそうなんだけど、自分が子供の頃に「見るべし!」と思って行くようなところは、実際その年代には全然興味がないというか~まぁその歳だからこそ感じられる何かがあるだろうから修学旅行なんぞで連れていかれるのだろうけど、大人になって改めて見るとまた全然違う視点で見られるんだなぁと思った。復習大事。
復習が出来るってのも、その経験があったこそなんだろうけどね``r(^^;)大人になって見直すのは面白いわ。
…THEノープラン!
前日の20時ぐらいに結局どこに行く?だの何時にどこ集合だ?とお互いガラケーのショートメールでやりとりしてた状態(笑)結局朝9時ぐらいに部長の家にお迎えになって、私が家でる時に連絡という形になった…ずるずるである(でも楽♪)
部長が知ってた国道41号線じゃない道を走って2時間ちょい、高山市内に着いた。町はずれの駐車場(150円/30分)に停めて、いよいよノープラン街歩き?!
途中看板で面白そうなところに寄るも~定休日とか。まぁ仕方ないとばかり、ひとまずベタに古い街並みを経由して通りを突き抜けてみることに。

空に明るさが合ってしまいもやもやだけど、葉っぱ落ちかけできれいだった木。高山市政記念館という明治28年から昭和43年まで使われてた役場の跡らしい。建物の前だけ見たけれど~展示はともかく(え?)建物見てこればよかったかな?と今更(^^;

高山といえばド定番の高山陣屋。中学校の遠足?以来。
もともとあった屋敷を政治の場所として使ってたそうなんだけどね、その政治の範囲が広すぎてすごかった。高山が江戸幕府の直轄地になって郡代と呼ばれる(多分)偉い人を筆頭に、広い広いお屋敷の中で過ごしていたらしい。
「高山城主金森氏の下屋敷の一つでした。金森氏が上ノ山(山形県)へ移されてからは、徳川幕府の直轄地となり、江戸から代官や郡代がきて、ここに役所をおき飛騨の政治をとりました。
この役所を「高山陣屋」とよび、おふれを出したり年貢の取立てなどをしました。(高山市公式サイトより)」

入ってすぐに「青海波(せいがいは)」というおめでたい柄(部長談)の壁がお出迎え。漢字の八のように末広がりなところからそういう意味なんだろうなと後から調べて知る。
その壁の前には花餅。よく見たなぁ~と思うと、どうやら飛騨地方を中心に雪の深い地区のもので、生花が少なくなるお正月の飾りに使われていたものなんだとか。実家の富山は雪深くはなかったけれど、ばーちゃんちとかで見たことあったよな?

建物の奥の方にある台所にあたる部分の天井をパチリ。古い木造の建物の小屋裏って好きだ!雪の重みに耐えられるように、梁が真っすぐでない木が使われてるのがやはりなぁという部分。まっすぐなのと比べて、屋根の荷重を逃がしやすい造りなのだ。
それにしても木の使い方が贅沢。そりゃ昔はこのような建材だったのだろうけれど、贅沢だなって思う。

部長が気づかれたんだけど、畳のへりでお部屋の格式が違うのも面白い。客間とそうでない部屋(もっと言い方(^_^;))の違いが分かりやすいところ。場所によってはへりすらないところもあった。ふむふむ。

郡代の奥さまのお部屋(だったと思う)からはゆったりとお庭が見える。もう晩秋も晩秋の勢いなんだけど、この写真右側に視線を移すと池もあり…四季のそれぞれの景色が楽しめたんだと思う。

小さな板を重ねた屋根は補修中だったらしい。くれ(榑)板とよばれる板を均一に剥いだものを屋根材として使うのは、これもまた飛騨地方のものだそうな。茅葺きが有名だけど、くれ板を使うのが一般的だったそう。

新しいの乗っけていったら、そこだけ新しくて気持ち悪いことになりそう…と思ったら、どうやら下から新しいのを追加していき、表面の腐ったり痛んだりしたものを落していくという仕組みなんだそうな。ちなみにそうやって落したものは燃料として使われたらしい。無駄は出さないところが知恵だなぁと。
陣屋は政治も警察も色んなのを兼ねていたため、中には昔のお巡りさんの詰め所や裁判所(あれだ、時代劇のお白州ってやつだ)もあり…それこそ時代劇でしか見たことなかったようなものが展示されていた。年貢も取りたてていたので、建物の横にある大きな蔵には米俵がぎっしりだったよう。今じゃそんなに身分の違いなんてないけれど、昔はそれぞれの役職や生まれで色んな苦労があったんだろうなと思ったよ。

正面入り口横の砂も波模様
京都もそうなんだけど、自分が子供の頃に「見るべし!」と思って行くようなところは、実際その年代には全然興味がないというか~まぁその歳だからこそ感じられる何かがあるだろうから修学旅行なんぞで連れていかれるのだろうけど、大人になって改めて見るとまた全然違う視点で見られるんだなぁと思った。復習大事。
復習が出来るってのも、その経験があったこそなんだろうけどね``r(^^;)大人になって見直すのは面白いわ。