ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

俳画教室の忘年会

2017年12月08日 | 俳句

 今日はお日様は出たり入ったりと、そんなに悪い天気ではなかったのですが、風が冷たくて何とも寒い日でした。帰宅して洗濯物を取り入れるのに、まだ4時だというのに手が冷たくて、洗濯物もひんやりです。

 昨日は俳画教室の忘年会で、2人の先生を囲んでのランチ。リーズナブルな値段で、ランチにしてはいろいろと手の込んだ創作料理…結構でした。 ランチですから水で乾杯です。少し俳画などのお話しを聞いてお勉強もしましたよ。最後に例年Sさんが棕櫚の葉で手作りされる〝バッタ(?)〟を頂きました。これはもう何匹目になるかしら?毎年貰っているので、いろいろなバッタが我家には飾ってあります。彼は陶芸でも熱心な方で、俳画会員全員にいつもその年の干支を焼いて持って来てくれるんですよ。これも溜まりましたね。今年の干支の〝戌〟はまだなんですが…。今月の教室はまだ2回ありますので、期待しましょう。だってまだ十二支にはなっていませんもの! 

 大先生からは、お煎餅と良縁祈願の〝水琴鈴ふくふく勾玉〟を頂きました。実は先生は「宇部観音千仏寺」のご住職で、そこでも俳画を教えていらっしゃるんです。それで今年度限りでフォユーの教室からは完全に手を引かれて、若い先生(以前ブログに書いた私の俳句のお弟子さん)にバトンタッチされるんですって。ということで、来年度からはお目に掛かれなくなるので、淋しい!

 これも毎年ですが、甘藷を作っていらっしゃる方がいらっしゃって、全員に持って来てくださるんです。これ写真撮るの忘れていました。ゴメンナサイ!以上お土産たくさんの楽しいお喋り忘年会でした。

 明日はダブルの句会ですので、そろそろまた俳句の話に戻りましょうか。それではお楽しみに! 

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永観堂と高台寺

2017年12月06日 | 日記

 今日も寒い1日でした。実は急に冷え込みが激しくなった3日ほど前からエコキュートの調子が悪くなり、お湯が出なくなってしまいました。これは大変です!だってお風呂には入れないし、洗面所や台所の流しにお湯が出ないのですから…。冷た~い水でお茶碗や皿を洗うのはイヤですね。何だか綺麗にとれてないような気がして、ヌルッとした感じ。昔はこれが当り前でしたよね。特に油ものが多い時など…。人間はどんどん贅沢になって、昔の暮しには到底戻れないなあ~ということを痛感した次第。やっと今日の午後修理して貰って、夕食の片付けがとても楽でした。

 午後から健康体操でした。ここは暖房がしっかり入っているので、薄着でも大丈夫!…でした。

 今日は京都の紅葉見物の最後です。化野の念仏寺を出て、今度は昼食場所の永観堂へ向いました。ここ永観堂は浄土宗西山禅林寺派の総本山です。禅林寺というのは、真言密教の寺として863年、弘法大師の高弟・真紹僧都(しんじょうそうず)が清和天皇から寺院建立の許可をもらい、その名を賜ったのだそうです。200年あまり後の永観律師の時代に禅林寺は大きく発展し、恵まれない人々のために奔走したり施療院を建てたりした永観律師を慕う人々に、いつしか禅林寺は永観堂と呼ばれるようになったんですって。この永観堂のご本尊は、有名な「みかえり阿弥陀」と呼ばれています。この阿弥陀様は私たちに「遅れる者を待つ姿勢・思いやり深くまわりを見つめる姿勢・自分自身をかえりみ、人々とともに正しく前へ進む姿勢」を教えて下さっているのですよ。写真はダメなので合掌してきました。

 ここもやはり人・人・人…で、長い長い廻廊を巡ってやっとご本尊に会えましたが、とても疲れました。お昼はここで〝湯どうふ御膳〟をいただきました。

 最後に、東山霊山の山麓にある豊臣秀吉とねねの寺、「高台寺」を見学しました。正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉の菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね)が開創した寺です。当時は徳川家康の援助により寺観は壮麗を極めたというのですが、たびたびの火災に遭い、今日残っているのは開山堂と霊屋(おたまや)、傘亭、時雨亭、表門、寒月台などで国の重要文化財に指定されています。傘亭と時雨亭は茶席で伏見から移建したもの。傘亭は竹が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えるので、その名が付いたそうです。

 写真は①永観堂参道 ②湯どうふ御膳 ③唐門の盛り砂 ④座敷より見える庭 ⑤永観堂の紅葉 ⑥黄色の千両 ⑦高台寺の庭園(小堀遠州の作) ⑧傘亭 ⑨時雨亭

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化(あだし)野の念仏寺

2017年12月05日 | 日記

 今日は部屋にいる限り、日が燦々と差してとても暖かでしたが、一歩外へ出るとなんと風の冷たいこと!午後から句会でしたので出かけましたが、ウツ!ブルブル…でも、教室は暖房が入っていますので大丈夫。

 そろそろ俳句の話でも…と思うのですが、京都の紅葉見物がまだありますので、もうしばらくお付き合い下さいね。今日は化野(あだしの)の念仏寺です。寺伝によれば、化野の地にお寺が建立されたのは、約千二百年前、弘法大師が五智山如来寺を開創され、野ざらしとなっていた遺骸を埋葬してからと伝えられています。その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属しています。

 境内にまつる八千体を数える石仏・石塔は往古化野一帯に葬られた人々のお墓です。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、化野の山野に散乱埋没していた石仏を明治中期、地元の人々の協力を得て集め、極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえて配列安祀されているそうです。この石仏や石塔が肩を寄せ合う姿は、空也上人の地蔵和讃に、

       これはこの世の事ならず死出の山路のすそのなるさいの河原の物語…

         みどり児が河原の石をとりあつめこれにて廻向の塔をつむ 

      一重つんでは父の為二重つんでは母の為…

とあるように、嬰児が一つ二つと石を積み上げた河原の有様を思わせることから、〝西院の河原〟と言うそうですよ。化野の「あだし」とははかない、むなしいとの意味で、「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生れ化る事や極楽浄土に往生する願いなどを意図しているのだと。古典の中でも次のように、人の命のはかなさをあだし野に托して和歌に詠んでいます。

  暮るる間も待つべき世かはあだし野の末葉の露に嵐たつなり    式子内親王

(日が暮れるまでの間も待つことのできる世であろうか。御覧、あだし野の末葉に置く露に嵐が吹きかけている。『新日本古典文学大系』)

  誰とても留るべきかはあだし野の草の葉毎にすがる白露             西行法師

(人は誰もこの世に留っていられるだろうか、いや、いられない。このあだし野の草の葉ごとにすがって付いている白露のように人は儚い存在なのだから。)

 この化野念仏寺を初めて私が訪れたのは、もう20年以上前のことで、第一回の馬醉木若手勉強会でした。とにかく緊張の連続で何がなにやら分からずに過ぎてしまいましたが、この念仏寺だけはとても異様な雰囲気で、なぜか胸を締め付けられるような思いをしたことが今でも忘れられません。今回は2度目ですが、なぜか不思議と優しい気持ちになれて、もっとゆっくりしたいと思ったほどでした。友達に化野に行ったというと、〝霊に引き込まれなかった?〟と聞かれ、彼女は以前引き込まれて具合が悪くなったとかで、もう二度と行かないんですって!ホントかしら…でも私は以前占って貰ったら、たくさんの祖霊に護られているそうですから大丈夫よ。それでは写真をどうぞ。

①念仏寺の紅葉1 ②念仏寺の紅葉2 ③念仏寺の紅葉3 ④念仏寺の参道 ⑤念仏寺の虫塚 ⑥西院の河原1 ⑦西院の河原2 ⑧西院の河原3

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宝厳院の〝獅子吼の庭〟

2017年12月04日 | 日記

 今日はお天気はまあまあ…でも寒い日です。昨日から耳の具合が悪くなり、午前中は耳鼻科へ行ってきました。この耳病とは長年の付き合いで、1歳の時中耳炎になったのがそのまま延々と続いているというやっかいな持病です。だから寒くなって風邪を引くと必ずと言っていい程耳も悪くなります。両耳ともに全く鼓膜がありませんので、仕方のないことなのですが。今だったら手術やよい治療法もいろいろあって、治せたでしょうが、なんせ昔のことですからね。私が耳を悪くする度に母はいつも謝っていました。「子供の時ちゃんと治療しておかなかったから…悪かったねぇ~」と。そういうわけで、60歳過ぎると老化も手伝って聴力がガクンと落ちてしまいました。それでとても苦労をしているんですよ。だから〝何?〟と聞き返したりした時はどうぞご了解を!

 今日は、京都嵐山の「宝厳院」(ほうごんいん)の紅葉です。ここは誰も行ったことがなかったし、観光タクシーの運転手さんオススメのところでもあり、本当に今が真っ盛りの紅葉でとても見応えがありました。今週だったらもう遅かったでしょうね。

 ところで、ここ宝厳院は、臨済宗大本山天龍寺の塔頭寺院で、1461年室町幕府の管領細川頼之公により創建。創建時は上京区にあり、広大な敷地を有した寺院でしたが、応仁の乱で焼失。その後変遷を経て現在地に移転再興されたものだそうです。その「獅子吼(ししく)の庭」が借景回遊式庭園で、江戸時代からの名園なのです。「獅子吼」とは「仏が説法する」の意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴くことによって人生の真理、正道を肌で感じること。これを「無言の説法」というのですって。では紅葉の散策をお楽しみ下さいね。

 ①「獅子吼の庭」の看板 ②宝厳院の山門 ③獅子吼の庭その一 ④獅子吼の庭その二 ⑤獅子吼の庭その三 ⑥獅子吼の庭にあった…??垣(書いてある字が垣だけしか読めなかった~) ⑦羅漢かなぁ~?違うみたい! ⑧人力車(まあどこへ行っても多いこと!)

 

 

 

 

  

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大谷本廟

2017年12月03日 | 日記

 

 今日は宇部市の〝俳句の集い〟で一日忙しく疲れましたので、その報告はまたにしますね。 

 まだ京都の続きがたくさんありますから、その一つ「大谷本廟」の写真を今日はお見せしましょう。次に「大谷本廟」の沿革が書いてありましたので、どうぞ。

 「浄土真宗(じょうどしんしゅう)を開かれた宗祖親鸞聖人(しゅうそしんらんしょうにん)は、弘長2年11月28日(1263年1月16日)、弟の尋有僧都(じんうそうづ)の住坊(じゅうぼう)「善法坊(ぜんほうぼう)」(現在の角坊(すみのぼう))において90歳でご往生(おうじょう)になり、鳥辺山(とりべやま)南辺(現在の本廟(ほんびょう)の「御荼毘所(おだびしょ)」)で火葬され、ご遺骨は鳥辺野北辺の 「大谷」 に納められました。親鸞聖人のご往生10年後の1272(文永9)年の冬、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の末娘である覚信尼(かくしんに)公が諸国の門弟の協力を得て、ご遺骨を吉水の北辺に改葬し、六角の廟堂(びょうどう)を建て、ご影像(えいぞう)を安置されました。廟堂建立の地は、現在の知恩院(ちおんいん)の山門の北に位置する崇泰院(そうたいいん)付近とされています。この土地は、覚信尼公の夫である小野宮禅念(おのみやぜんねん)の所有する土地でありましたが、廟堂建立の翌々年、1274(文永11)年にこの敷地を覚信尼公(かくしんにこう)に譲ったとされています。その後、覚信尼(かくしんに)公は1277(建治3)年から3度にわたって、ここを宗祖の墓所として寄進することを東国の門弟たちに通達し、遠方にいる門弟にかわり直接廟堂(びょうどう)を護持(ごじ)する任に就きます。これが後の「留守職(るすしき)」です。

 この廟堂は「大谷影堂(おおたにえいどう)」とも呼ばれ、後に「大谷本願寺(おおたにほんがんじ)」となり、第8代蓮如上人(れんにょしょうにん)時代の「寛正(かんせい)の法難(ほうなん)」(1465年)により破却されるまで、およそ200年間、諸国の門弟や同行によって護持(ごじ)されてきました。以後、第12代准如上人(じゅんにょしょうにん)時代の1603(慶長8)年、現在地に移転し、この地を「大谷」と呼ぶようになり、今日まで多くの門信徒の方々により護持されています。」

 写真は ①総門への入口 ②総門への参道の紅葉 ③総門の傍の親鸞像 ④読経所からの桜紅葉 ⑤大谷本廟内石窟の説明 ⑥大谷廟内石窟(親鸞聖人が学問をされた所だそうですよ。)

 

 

 

 

 

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〝ジャガイモが車に!〟の車

2017年12月02日 | 日記

  昨日は大安吉日、待ちに待っていた車の納車日です。そう、あの11月12日のブログに書いた〝ジャガイモが車に!〟の車です。本当はもっと前でも好かったのですが、日が悪いからとセールスマンも言うので、この日になりました。車は前のと同じマツダの〝デミオ〟、やはり広島出身のカープフアンなら…ということでもないのですがね。以前はトヨタに乗っていましたが、変えてからもう長いです。

 今回の車は、1年前発売のものだから車検もあと二年残っているし、何といっても走行距離が1100㎞というのが最大の魅力。実は試乗車に使われていた新古車なんです。おまけにフル装備ですから、安全面でも高齢者向き。お天気も良しと、2時過ぎに引き取りに行き、早速帰りに琴崎八幡宮に寄って車のお祓いをして貰いました。

 

 今日娘を乗せると、〝わあ~ぴかぴかじゃあね!いつもこんなに綺麗にしとかんと~〟と、言われてしまいました。その通りですが、いつまで出来ることやら…ウーン、自信はありませんね。明日は宇部市芸術祭の一環で、〝俳句の集い〟という俳句大会です。その選者をしていますので、いろいろ準備をしなければなりません。だから先日の京都紅葉見物はまた明日にでも書きましょう。では、

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思いがけないプレゼント

2017年12月01日 | 日記

 いよいよ12月です。クリスマスのテンプレートに変えました。途端に寒くなったでしょう。ゴメンナサイ!

 昨日、思いがけなく嬉しいプレゼントが届いたんですよ。誰からって? ウーン~内緒にしようかなナンテ、チョットもったいぶってみる。イヤイヤご披露しますよ。ふらんす堂さんより入金をしたお礼に(当然なんですけどね…)素敵な〝蒔絵入りボールペン〟を、領収書と一緒に送って下さったのです。ウレシイ!

 

  第一句集の時は男性の出版社でしたので、ここまで細かな配慮はなかったですね。もちろんこちらも出版なんて初めてのことで、右も左も分からない素人ですもの。本を出すというのはこんなものかと思っていたのですが、イヤイヤ全然違っていました。

 何よりも感心したのは、校正力です。自分なりに十分過ぎるほど目を通して、準備したつもりでしたが…アッ!ホントだと、全く気付かなかったところを指摘して頂いたり、これでいいですか?と疑問を投げかけてくださったりと、とても有り難かったです。お名前は忘れましたが、校正のお二人の方、心からお礼を申し上げます。

 昨日の続きです。26日午後2時に西本願寺に集まり、それからシャトルバスで大谷廟へ。そこで納骨を済まして、夕方ホテルにチェックイン。京都のタクシーを拾うのはやはり大変ですね!写真は西本願寺の樹齢400年の銀杏。黄葉がとても綺麗でした。

 夜は全員で慰労会(?)です。まず母へ献杯をして…おいしい京の会席料理を頂きました。でも何を食べたんだっけ???…アッ!そうだカニの天ぷら、揚げたてで美味しかったですね。他にウーン、デザートの黒糖プリン…あれは黒糖でなく確か黒豆の味だったけど…仲居さんがそう言ったと。もしそうなら〝黒豆〟を「くろとう」と読んだんじゃないのかなあ~ナンテ私は思いましたけどね。久し振りにお酒を飲みました。ビールにシャンペン、日本酒と、二次会ではカクテルも、これで4種混合、チョット酔っ払いました。ゴメンナサ~イ!続きはまた明日、お休みなさい。

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