ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今日は〝波郷忌〟

2018年11月21日 | 俳句

 今日の山口の最低気温は2度と新聞にありましたので…エエッと思いましたが、宇部の地域新聞によると10度と…、安心しました。でもやっぱり夜は寒いですね。雨が降る度に一日一日と寒さが厳しくなっていくようです。足が冷た~い!

 今日は何も書くことが…ああ、そうだ11月21日は、石田波郷の忌日でした。歳時記を見ると〝大正2年(1913)松山市生れ。本名哲大(てつお)。同郷の五十崎故郷に師事。上京して水原秋櫻子の知遇を得て「馬醉木」編集に携わり、俊英作家として注目される。昭和12年(1937)「鶴」創刊主宰。人間探求派とよばれた。戦後は胸部疾患のため、終生療養生活を余儀なくされたが、そのなかから珠玉の作品を生み、読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞。俳句は生活の裡にあるとし、韻文性を称揚した。昭和44年(1969)没、56歳。墓は東京深大寺にある。〟と、詳しく書いてありました。著者を見ると大石悦子さん。成る程と思いました。馬醉木の同人研修会の講師として来られ、お話を伺いましたが、師の石田波郷直筆の添削を愛おしそうに持って来て見せて下さったのが印象に残っています。

 ところで、俳誌「馬醉木」には、このところ「石田波郷記念 第十八回 はこべら俳句大会」の広告が出ています。波郷が戦後の12年間を過ごした北砂町の文化センターで行われ、来年の3月10日には授賞式が開催されるようです。投句締切は12月10日、波郷を偲ぶ俳句1句と雑詠1句の二句一組で、何組でも可。この北砂町には〈はこべらや焦土のいろの雀ども〉の句碑が建てられているそうです。

 そういえば、今年の馬醉木新年句会で上京した折、友人達と深大寺に行き、波郷のお墓にも手を合わせてきました。その時の話は今年の1月14日のブログ「深大寺から浅草へ」に書いていますので、よかったらどうぞ。

 私は、石田波郷の名前は教科書で知っている程度でしたが、俳句を始めた頃の吟行で松山に行き、波郷の生家を訪ねました。中には入れず外から眺めて、確か椿の花があったような…そんな記憶が残っています。もう随分昔のことですからね~。

 この「波郷忌」は、句集『鶴の眼』の代表句〈吹きおこる秋風鶴をあゆましむ〉に由来して北砂町の書斎を「風鶴山房」と呼んでいましたので「風鶴忌」と、また、句集『惜命』の代表句〈七夕竹惜命の文字隠れなし〉から「惜命忌」とも言われています。更に昭和33年から練馬区谷原町の新居に移り、そこの仕事場を「忍冬亭」と言っていましたので「忍冬忌」とも言われるのでしょう。ここでは最後の句集『酒中花』が編まれたのですが、忍冬の代表的な句は知りません。だからなぜそう呼んだのか?もしかしたらその家には忍冬が咲いていたのかしら…。

 写真は、我家の「冬菊」、ほったらかしにしているのに勝手に咲いてくれます。アリガタイコト!

 

 

  

 


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