今朝はカーテンを開けるとウッドデッキがしっとりと濡れて小雨…どうも昨夜から降っていたようですが、気が付きませんでした。午後には一時止みましたがまたシトシトと…です。
今日の朝のトップニュースが、ついに新型コロナウイルスの感染者が山口にもでたと…。(コラ、なに喜んでんの! イエイエ、とんでも…) 中国地方ではこれが初めての人だという。そのためか今日は講座の中止の連絡がつぎつぎと、それを今度は伝えるのに電話の掛けっぱなし…。主人は主人で私は私の携帯で、おまけに固定電話が入れ替り立ち替わりと鳴り、そのためにしっかり半日は潰れてしまいました。とうとう四月始めの開講式まで取り止めの連絡が…。このコロナウイルス狂騒曲はいつになったら最終楽章が聞けるんでしょうか。とにかく1日も早いことを願っています。
さて、昨日は天気予報では暖かで4月並みの気温とか…、確かに言っていたような気がするのに、なんだか背中がゾクゾクとして、こりゃヤバイ! 本当にまた風邪をブリ返したのかしらと思ってしまいました。それでも午後からは俳句教室でしたので出かけると、外はやっぱりお日様が照っていて、暖かな日でしたね。
朝のラジオ体操も今は主人一人で出かけていますが、昨日すぐに戻って来て、〝ああ、今日から2週間休むというのを忘れとった。〟と。フ~ンと、あっちもこっちもコロナのお陰で中止が…・
でも、昨日はまだこの教室は中止の連絡が来なかったから大丈夫だと、出かけました。でも先日の話からすれば欠席者が多いだろうと思ってましたら、一人だけ欠席。なんだかんだ言ってもやっぱりみんな俳句が大~好きなんですね。ヨカッタ!
ところで、兼題の〝蘖〟(ひこばえ)はやはり難しかったようで、なかなかこれといった句がありませんでした。その中で、〈蘖や考の出征写真出づ〉という句が目に留まりました。
この句には3点入っていましたので、採った人に選評を聞くと、〝きっとお父さんが戦争に征って亡くなられたんだと思い、哀しいけどその軍服の写真が蘖とぴったり合っていて…〟と。他の2人も同じよう。〝まあ、そのように受止めるのが妥当でしょうか。では作者は?〟と聞くと、〝は~い。そうなんですが、実は父は戦死したんじゃないんです〟と。〝それじゃ、なんで???お父さんの若いときの軍服姿が格好良くって?〟〝実は…そうなんです〟〝じゃあお父さんは長生きされたのね〟(大笑)
これは偏に「考」という漢字にあるんです。俳句を始めると、初心者はよく「亡き父」とか「亡き母」を詠みます。ところが字数が制限されますので字余りになることが多く、そこで、こういう場合は便利な漢字があるのよと教えるんです。亡くなった父母のことを「考(ちち)」と「妣(はは)」と。そうすると大抵ビックリして、これはいいことを知ったと、今度はやたらに使うようになるんですね。(笑)
この場合もそうで、すでに亡くなった父だから「考」を使ったのでしょう。しかし、それは出征写真を撮ってから50年以上も過ぎてのことなんです。ここは若い頃の父の写真が出てきたということだけですから、「父」でよかったんです。そうすればそういう間違った鑑賞は防げるでしょう。作者もそういう風にとられないかと気にしながら作ったらしく、だから〝誰も採る人がいないといいのに…〟と願っていたんだそうです。(笑) そうするとKさんが、〝ああ、私と同じような人がいるんだわ。まるで私が詠んだみたい〟と最初思ったんですよ、と言いだして…。やっぱりこういう哀しい実体験は当の本人が詠むべき句材なんで、なんぼ創作だからといっても詠むのは遠慮するべきでしょうね。時々こういうお涙頂戴の句を詠んで、点を貰おうとする人がいますが、自分の身内を殺してまでいい点を貰おうと思っちゃいけませんよ。知らずに〝お母さん亡くなられて大変でしたね〟と言うと、〝いや、ぴんぴんしてますよ〟と言われたことがあって、もうビックリ! 〝なぜ?〟と聞くと、〝その方がドラマチックでいいでしょ。だから…〟と。〝じゃあ、せめて自分の母ではないように詠まなくっちゃね! いくら創作だといってもそんな句は、私スキじゃないわ〟と言ってしまったことがありました。
今回の句は、それを狙ったのではなくて、あまり深く考えずに〝考〟を使ってしまったということですから、念のために。また、他にとびっきりの迷句もでてましたが、それはここに披露するのは止めておきましょう。
写真は、梅の花。もう殆ど終りに近いですが、我が家の豊後梅と上小野で見た八重の紅梅。
俳句には興味はありますが、さっぱりです。
いつも〝つれづれの動画日記〟愉しく拝見しています。「千客万来」のボケ亭はよかったですね。写真もキレイだし、挿入のセリフも面白くってつい笑ってしまいます。
私のブログもお役に立ってよかった!
俳句も表現ですから、動画や写真などとコラボするといいかも…
考、妣は知っていましたが使ったことが
有りませんでした
これからもきっと使わない措辞だと思います
( ´艸`)でもお話、勉強になりました
有難うございました
三月集 「身ほとり」拝見しました
佳い句が揃ってますね
そちらにもついに…心配ですね~
こちらは、まだ出ていませんが、色々なサークルなど中止になっています。
テレビのニュース番組を見ていたら、東北、そちらの地方は何故感染者が、出ないのかと言うのは、
検査する人がいないから、検査機関がないからとの事でビックリしました。
検査したら出るということでしょうか(^^;
「考、妣」読み方さえ知りませんでした(/ω\)
句は作れませんが、勉強になりました。
足、お大事にね。
亡くなった父母のことを「考(ちち)」と「妣(はは)」と。
蘖(ひこばえ)もそうだな。
高橋治が蕪村春秋を描いた。俳号は台水。その中でこの世には蕪村を知っている人と知らない人の二種類あると。
自らが明治以降の俳句を選んだら圧倒的に蕪村が多かったと。その意味で知ってる人と知らない人を分けている。思い切った分類であるが
小生は区分けすると、与謝蕪村を知らない部類に入るだろう。
知っていると言うことは認識している、認識とは物事を見分けて本質や意義を理解することとか。ただ単に知ってることより、より深く識別することであろうな
物事には知ってることと知らない事では段違い、知らなければ話しても理解できないんだな
「考(ちち)」、「妣(はは)」、蘖(ひこばえ)もそうだな。知らなければ分からないな。
時代は中島みゆきだったな。中島みゆきも独特な作り手、歌い手だな。
しかし名作と言われた、なぎら健壱のフォーク大全には載っていない。フォークソングの奔りにはまだ世に出ていない。
歴史には現れていない。フォーク大全とはフォークの抵抗としての歴史なんだな
福岡の片田舎から出てきた海援隊の武田鉄矢が、「白い一日」で真っ白な陶磁器がと歌ってる、作成している小椋佳の歌を聴いていやになっちゃったと語っていたが、理解できるな。白い一日も曲はいいんだがな。それでフォークから足を洗ったと
時代はあるな。
寝るが極楽 起きるが地獄 浮世の馬鹿は起きて働く
そして、口ずさんだ後には大きな溜息を吐くと
深夜ラジオで語っていたのは、五木寛之の父親のことなんだな。一旗揚げようと満州へ行って、ようやく地元九州にたどり着いた。命からがらだな。
五木寛之も帰れた人は丈夫な靴を履いていたと。それ故以後も靴、車にも凝ったな。
五木寛之の時代では、寝るが極楽・起きるが地獄どころではないな。生存するのは継続するのは精一杯だったろうな。
五木寛之自身も早稲田の頃は野宿もしたが、どこで寝ようが、寝るときは広い空を見上げる環境であったと。
青春の門は、まさに門だろうな。夏目漱石にも「門」はあったがな
まあ、五木寛之も晩年になって宗教染みてきたが、倶会一処は良いな。
いつしか箱根の仙石原の近辺の寺を歩いていたが、「倶会一処」と描かれた墓石に出会ったな。まあ、宗教だろうな
出征か
昔の軍人と言えるかな、軍服姿は格好が良い、凛々しいんだな。モノクロ写真もあろうが、見てみると男なんだな。
学生時代の応援団員の姿は恐ろしかったが、大人になってみると、可愛らしい顔をしているんだな。団旗をもった大学の応援団員も可愛らしく、あどけなささえ見える。
戦前の軍服姿は皆が皆、凛々しい者ではないが、中には崩れた顔もあるだろうが、皆しっかりとした姿に見えるんだな。あれは何だろうな
そうだな。昔の本は重かった。立花隆などは2階の書棚は立派にしたと、重量に耐えられるようにしたと。
右翼の上智のフランス帰りの、フランスでは10年じゃフランス小咄は分からなかった。20年経って面白さが分かったとのたまっていた渡部昇一は、塀の中に書棚を作った。それほど本は書籍は辞書は重いな。
電子辞書にしたか。持ち運びには軽くて便が良い。紙の本でも藤原新也。手に取ると軽いんだな。
昔のエロ本並に軽い。書いてあることは重厚であるが、重さ、重量は無い
創作はするなと。俳句の世界だろうな
高橋和巳の憂鬱なる党派だったかな、邪宗門だったかな、五木寛之の戒厳令の夜だったかな。
まあ、邪宗門にしても戒厳令の夜にしても戦後の一時期の蜂起だな。一種の実験。
こういう世界、ああいう考えをしたためている。現実には無理無理だから、虚構として描いている。また大学の卒論を虚構で描いてみたいと
事実は小説よりも奇なりと語ったアナウンサーがいたが、虚構の方が一層真実味がある場合もあるんだな。作り話の方が民を煽る、訴えることもあるな。迫真の演技もある。俳優の業は一瞬の業もあるな
まあ、17文字では現実に即する方が良いかな。嘘だと飛び立ってしまうし、先が見えなくなることもあるな。
蕪村春秋でも蕪村が写実的であったと
ところで、〝三月集 「身ほとり」拝見しました〟とありましたが、ころころさんは「馬醉木」の方ですか? ビックリするやらうれしいやら…
私のブログも読んで頂いて、感謝です。私も「ころころの毎日が俳句・ハイク」をいつも拝見していますが、ころころさんのブログでしょ。違いました?
これからも宜しくお願いしますね。
佳い句が揃ってますね
今やもう感染者のいないところの方が少ないのでは? 北海道ではあんなに増えているのに、東北では…検査機関がないからですって! それ本当ですか?
そんなことはないと思うのですが、こんな事態ですから熱と咳が出れば、みんな病院へ行くでしょう。だったら検査すると思いますよ。ただすぐ傍にあるかどうかということでしょうが。
宇部は医大があるのですぐに出来ますが、田舎の方では無理かも。そうすると何もなければいいのでは…
足はもうボチボチです。ちょうどいい具合になにもかも中止になって、じっとしておくしかないので、安静が守れます。アハハ…
コロナ狂騒曲はますます佳境に入ってますが、そちらの方は…。とうとう山口…下関ですが、感染者が出ましたから、こちらはまるで戒厳令が下ったみたいです。あらゆる集会が中止になって…これじゃあ街は活性化どころか「死の街」となって、商店街もさっぱりでしょう。
でも、宇部は石炭産業が落ち目になって、商店街はもう早くからシャッター街になっていますから、どうってことないかも。
〝物事には知ってることと知らない事では段違い、知らなければ話しても理解できないんだな〟と…
その通りですね。何でも知っている方が奥行きがでますし、そんな人の方がそりゃあ魅力的ですもの。でも、事によっては知ることが幸か不幸かというものもありますよね…だからナントも言えません。
だってコロナウイルスなんか知らなければ…、ここまで騒がなければ、みんないつものように呑気に過ごしているにちがいませんから。肺炎はいつでもどこにでもありますし、〝肺炎ワクチン〟もありますので、こんな状態にはならなかったでしょう。新型で正体が見えない…ただそれだけで怖れられているんです。
また、自分の死期を知った方がいいかしら。私はきっとダメ。知らないから呑気に生きている。たとえ癌ですと言われても、〝あと3ヶ月です〟なんて知りたくない! でも、これは聞くところによると、言われなくても本人には分かっているようだと。
ヘンな話になりました。ゴメンナサイ!
当然知識はあった方がいいと思います。知っていれば見る目も広がりますし、特に俳句の鑑賞には何でも知っておかないと、とんだ間違った捉え方をしてしまいますから。それで失敗したことが何度かありましたもの。
本の話…私、遅読だから時間が掛かってなかなか本は読まないのですが、辞書を引くのは大スキです。いろんなことを教えてくれますし、芋ずる式にどんどん興味が湧いてきます…無人島に流されるとすれば、私は電子辞書を…ああ、だめですね。これは電池がいるから…やっぱり紙の辞書かな、広辞苑とか…
小説はやはり虚構の世界じゃないと面白くない…中には事実だけで面白い人生もあるでしょうが…そのとおりですね。
俳句に創作はむかないと、基本的に私は思っていますが、それは余りにも短い詩形だからと…。実体験だけを詠むのがいいとも思ってはいませんよ。〝あり得る嘘〟はいいが、〝あり得ぬ嘘〟は詠むなと教えられてきました。生きている母を死んだというのは〝あり得ぬ嘘〟だからよくないということなんです。
蕪村…見習いたいんですが、私はどっちかというと一茶の方がいいなあ。あんな俳句が詠みたいのですが…ムリ、ムリ…と、だれかが…
二番煎じということがあるが、間違えちゃった
枕で、仕方がないので訂正します
高橋治の蕪村春秋で俳句の選句をしたのは、自らでなく正岡子規であった。訂正します
写実主義を唱えたのは、子規だったな。
小生も勘違いはある。いつしか五木寛之がとある百貨店で老眼のせいだろうな何をかは忘れたが間違えてしまったと
そして若いころあれほど通っていた風月堂のフウを風だと思っていたと
風の中が百なんだな
まあ、そういうこともある
教育とは国家が管理したがる
田舎の婆さんなどは、戦争前に教育など受けなかったから、戦争協力者にはならなかったと
まあ、知らないことも良いがの
まあ、訂正ついでに暇に任せて書くか
生き字引という人がいた。昔は電算機などないから恐ろしく物識りもいた。生きてる字引なんだな
文芸評論家に平野謙がいた。文壇の生き字引と言われていた。出ははっきりしないので、戦争協力者とも言われたことがあったが、とにかく物識りだった
司馬遼太郎もサンケイ新聞の頃は生き字引と言われていたと。
産経新聞は、前身は産業経済新聞、フジサンケイグループに属している。その中で司馬遼太郎はあの人に聞けば間違いない、安心だと言われていた。
産経新聞の中でも、かみさんんもそうだったが、出が右翼系だから、その中での生き字引だったと
司馬遼太郎は物識りだが、考え、思想も持っている
酒に酔える者と酔えない者がいると
酒に酔えない者は酔うことが分からないと
思想もそうだと
思想に酔えない者は思想に酔うことが分からないと
昨今のパソコンあるいはテレビでも物識りがいる
クイズなどは、良く知ってるんだな
林修などは、よく知識を持っている
しかし、知ってる事と知ってる事が点と点になってる
点と点が結びついて考え、思想にはなっていない
あるいは、テレビのことだ、内面に秘めていることもあろうかな
しかし、テレビで使うと言うことは、点在しているからなんだな
ビデオを見ていたら、林学というのがあると
森も人の手を入れなければ朽ち果てると
軽井沢の星野や会津の二期倶楽部などは庭を整備している
明らかに、人の手で作っている
しかし、森が人の手を欲するなら庭も同様かなと思い違いだったかなとも・・・・
「ころころの毎日が俳句・ハイク」は私の
ブログです。2005年からですから
もう15年になりました
初期には書いていますが、私が俳句を知った
20代後半の頃とても刺激を受けた俳人が
福永耕二でした。ご存じの通り馬酔木の主宰が秋櫻子先生だったころの編集長です
当時は「沖」の同人さんからの手ほどきを
受けていましたのでとても「詩情」溢れる
句に惹かれました
自宅には耕二さんの短冊「紋白蝶ほどの汚れの白靴に」と句集 『鳥語』『踏歌』を
持っております
そんな関係から「馬酔木」という文字に
すぐに反応いたしました。
今は便利なもので
三月集など馬酔木の俳誌を読めるサイトもありそこから拝見いたしました
私のブログにあるほとんどの俳句は以前に
お世話になっていた「伊吹嶺」の方々の
俳句です
沢木先生、栗田先生からの即物具象の句ばかりです
長くなりましたが今後とも勉強させて頂きます