ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

木瓜の花

2018年04月03日 | 俳句

 昨日4月2日は、「光太郎忌」でした。詩人、彫刻家の高村光太郎の忌日で、「連翹忌」とも言います。明治16年(1883年)東京に生まれ、アメリカやヨーロッパに留学、特にロダンに親灸。帰国後は北原白秋らの「パンの会」に参加し、大正3年(1914年)に口語詩の成果ともいうべき第一詩集『道程』を出版。また、精神を病んで没した妻への思いをうたった詩集『智恵子抄』は近代日本の屈指の愛の詩集。昭和31年(1956年)没、73歳でした。

  千万の雨滴さざめく連翹忌  飯田龍太

 アトリエの庭に咲いていた連翹を特に好んでいたという光太郎、だから「連翹忌」なんでしょうが、しかし、この頃は桜から木蓮、雪柳にチューリップと、色もいろいろあって、まさに百花繚乱の時ですね。この句は「千万」に追悼の想いを込めたものでしょう。

     道程

  僕の前に道はない
  僕の後ろに道は出来る
  ああ、自然よ
  父よ
  僕を一人立ちにさせた広大な父よ
  常に父の気魄を僕に充たせよ
  この遠い道程のため
  この遠い道程のため

 これはあまりにも有名な詩なので、皆様ご存じのことでしょう。

 この詩は、大正3年(1914)2月9日に作られ、「美の廃墟」に発表。その時は102行の詩だったそうですよ。それを上記の9行の詩にして、同年10月に句集『道程』を刊行。更に同年の12月に長沼智恵子と結婚するんです。改めて最初の長詩を読んでみると、自分の今まで歩んできた人生がいかに自堕落でやくざな道だったか…これは光太郎自身の詩の言葉ですが、もっともっといろんな言葉で言っています…、そんな人生の中に〝生命〟(いのち)の意味を見せてくれたのが父なる大自然だと…。そういう過去と決別して、智恵子と新しい人生の道を歩んでいこうという光太郎の決意の詩だったんですね。

 このところブログが一日遅れです…ゴメンナサイ!本当は今日句会でしたので、その報告をと思ったのですが、またにします。

 写真は〝木瓜の花〟で、晩春の季語。バラ科ですから刺がありますが、好きな花です。名前がいけませんね~、綺麗な花なのにボケなんて!

 

 


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