ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

繍線菊(シモツケ)

2018年06月02日 | 俳句

 今日も良いお天気、明日もおおむね晴れとか…梅雨はいったいどこに行ったんでしょうか。ナンテ言ってたら明後日ぐらいから雨のようです。まだ始まったばかりなのでこれから先どうなるのかは分かりませんが、この調子でいくともしかしたら今年の梅雨は〝空梅雨〟? でも本当にそうなったらこれは大変! 雨というのは降らなくても心配、また降りすぎても困る…本当に厄介な梅雨の時期ですね。

 「空梅雨」も季語ですが、次のような句がありました。

  百姓に泣けとばかりに梅雨旱   石塚友二

 名前しか知りませんが、石塚友二は「馬醉木」の大先輩です。石田波郷が馬酔木同人を辞退して、俳誌「鶴」を創刊した時、その創刊同人として一緒に馬酔木を辞めました。年は波郷より7歳上でしたが、いつも彼の片腕として働き、遺志を継いで「鶴」を守った人なんですよ。

 次のWikipediaの人物紹介を参考にして下さい。 

 石塚友二(いしづか ともじ・1906年~1986年79歳で没)は、新潟県出身の俳人・小説家・編集者。俳誌「鶴」の二代目主宰。本名は友次。農業学校を出て家業の農業に従事したのち、1924年に叔父を頼って上京。横浜で働いたのち、1932年まで神田の東京堂書店に勤める。この間、横光利一に師事したほか、多くの文人と交わる。1935年、沙羅書店を設立、横光利一の『日輪』『覚書』、水原秋櫻子の『葛飾』復刻版、石橋辰之助の『山行』、石田波郷の『石田波郷句集』などを刊行する。

 俳句は当初秋桜子の「馬醉木」に投句。1937年、石田波郷を主宰として「鶴」を創刊、発行編集者となり、のちに波郷が応召された際には代選も務めた。1941年結婚。1942年、自身の結婚を題材とした短編小説「松風」(『文學界』1942年2月号)が第15回芥川賞候補となる。同作で1943年池谷信三郎賞受賞。1944年5月、空襲を受け新潟に疎開。9月、川端康成に勧められ鎌倉文庫に入社、上京。鎌倉稲村ケ崎に仮寓する。戦後復刊した「鶴」では毎号に随筆「日遣番匠(ひやりばんしょう)」を掲載、1969年に波郷が没してより同主宰を継承した。日々の生活を題材とし、私小説的な世界がそのまま俳句となるような句境を開いた。

 とにかくこのところの異常気象は予測のつかないところがありますので、油断は禁物です。被害が何も出ないことをただ祈るのみ。でも〝備えあれば憂いなし〟ですから、常に防災意識は持っていないといけませんね。

 写真は「シモツケ」で夏の季語。漢字で書くと「繍線菊」、読みにくい季語の一つです。山野の日当たりのよい土地に自生するバラ科の落葉低木。最初の発見地が下野(しもつけ・現在の栃木県)であったことに由来する名前だそうです。「下野草」というのも夏の季語で、これは多年草です。花はよく似ていますが、葉が全く違うので見分けがつきます。「シモツケ」は長卵形で先が次第に尖っているが、「シモツケソウ」は掌状に5~7に深裂して八つ手のような葉です。


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