ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

こんな時…〝待ちに待った〟というべき?

2024年01月02日 | 俳句

 いつもは遅くても12月の初めには来るはずの月刊俳誌「早苗」が、1ヶ月遅れの昨日やっと届きました。待ちに待った12月号です! でも、〝待ちに待った〟と言うのは、普通〝長い間待ち焦がれていた〟時に使う言葉ですよね。だったら余程いいものに使わないと…。

 ところが、「早苗」はこの12月号をもって終刊するんですよ。通巻900号という記念すべき時なのに…。考えてみればこれは非常に目出度いことですよね。だって900号というのは単純に計算しても75年という長い年月ですもの。

 「早苗」は、昭和21年5月に創刊され、戦後の物資の無い時代などは合併号などで乗り越え、その結果の900号ですからね。優に77年以上が過ぎているのです。ここまで長く継続してこられたというのは、たくさんの先輩の方々のお陰でしょう。それを私たちの時に閉じなければならないというのは、当然断腸の思いです。特にその出版や運営に係わってきた者達からすれば、自分の手足をもがれるぐらいの辛さでしょう。一応私もその一員として運営に係わって活動してきましたから、単なる寂しいでは済まされません。俳句を始めてから今日まで、言わば私の半生をつぎ込んできたと言ってもいいぐらいのものですもの。

 しかし、それが時の流れだとすれば、どうすることもできなかったのです。個人の力だけではやはり限界がありますからね。でもまだ私には「馬醉木」という場があります。そう、発表する場というだけならいくらでもありますし、こういう時代ですからどこでも喜んで受入れてくれますよ。でもね…結社というのはそう単純なものではないのです。深入りすればするほど、人との繋がりやいろんな催しでの想い出などが積み重なって…言うなら自分の歴史の一部になっているんですよね。

 そういう俳句で培ってきた共同の場を失うということは…本当に淋しいものなんです。もちろん俳句そのものはどこででもできますし、自分一人でもやれます。でもそれは単なる自己満足で終りそうな気がするんです。

 ああ、今さらこんなことを書いても…。実はこの終刊号を待っていた本当の理由は他にあるのです。900号で終刊するにあたって、先般700号記念に編纂した『早苗のあゆみ』の続き、701号から900号までの『早苗のあゆみⅡ』を発刊しようとただ今準備中なんです。そのシメをするために〝待ちに待って〟いたということ。900号の記事を載せれば後は印刷所へ回し、遅くても3月頃には出版できるでしょう。そうすれば「早苗」の記念として皆さんへ贈り、末永く側に置いて想い出のよすがとして眺めて貰えるのではと思うのです。

 出来ましたらその時にまたご紹介しますね。楽しみにしていて下さい。

 今日はまた、JALと海上保安庁の航空機とが衝突して炎上するという大変な事故が…でも、JAL側は全員無事に脱出できたというのでホッとしましたが、海保機に搭乗していた6人のうち機長は脱出できたものの、ほかの5人の方が亡くなられたと。それも、保安機は能登半島地震の被災地支援で物資を搬送するため、新潟航空基地へ向かおうとしていたところだったんですって。昨日の能登半島地震でも初めは死者の数が報道されなくて、ああよかったと思っていたら、徐々に状況が分かってくると亡くなられた方が増えていき、今では57人と…お気の毒でなりません。このような昨日の今日ですから…何だか良くないことの連続で年が明けたというのも何とも不吉な一年間を予感させて不気味ですよね。

 それにしても年頭からそれぞれの被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

 さて、こんな暗い話題ばかりでスミマセン。どこかに明るい話題がありませんかね。心がウキウキするようなことが…あったら教えて下さい。どんなに小さなことでもいいですから…ネッ! では、オヤスミナサイ。

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