今日は、午前中曇りで午後からは晴れ、日も差してきて穏やかな一日でした。
令和二年、早くも五日ですが、この「五日(いつか)」も新年の季語なんですよ。宮中では叙位の日、木造始め(こづくりはじめ)の日だったそうです。この〝木造始め〟とは、建築に携わる人が、新年に初めて仕事をする時に行う儀式で、「手斧始」(ちょうなはじめ)ともいって、これも新年の季語。
実は山口県防府市の防府天満宮では、「手斧始」とは言い方が少し違いますが、同じような「釿始式」(ちょうのはじめしき)という神事が毎年1月5日に行なわれています。いつもテレビや新聞で観るだけで、私は実際には観たことがないのですが、大工の棟梁が神前で古例に基づいて行われるとか。烏帽子・直垂装束の棟梁6人が宮司らの見守る中で、立派なヒノキ材に古式通りの所作・伝法を奉納するのだそうです。今日の15時からでしたが、今年は日曜日ですのできっとたくさんの人が見物に押しかけたことでしょう。私も行ってみたかったなあ!きっと次の句のようだったのでは…。
手斧始烏帽子の大工真顔して 松木呂子
ところで、歳時記の「五日」の項で、「馬醉木」・「沖」の、今は亡き林翔先生の〈黒燦々正月五日の護美袋〉(くろさんさんしょうがついつかのごみぶくろ)という面白い句が載っていました。
こちらでは今年のゴミ出しは明日の6日からですが、この句のときはきっと5日からだったんではと思います。年の初めのゴミ袋、それを〝護美袋〟と、美しさを護るためのものと表現して、更に〈黒燦々〉とは…。やはりゴミといっても新年を迎えたものですから、いつもとは違って目出度さがつまっているように見えたのかしら。そういえば昔は中の汚いゴミが見えないようにと、黒いビニール袋を使っていたような。それがゴミの仕分けが始まって段々と厳しくなり、中に何が入っているのか見えないと仕分けが出来ているかどうかが分からないので、宇部では透明の袋になりました。多少の違いはあっても、今では黒い袋だけはどこも使っていないのではと思いますが…。この句は年末からお正月に溜まったゴミで袋がぱんぱんに膨らんでいて、それに朝日が燦々と当たっている景なんでしょうね。こんな風に詠まれたら〝護美袋〟も本望かな?
確か翔先生は千葉の市川市に住んでいらしゃったので、きっとどこかの団地のゴミステーションがゴミの山だったのを見られて…、もしかしたら先生もゴミ出しをやっていらっしゃたのかも…、なんて考えると面白い。この句を知ってたら聞いてみたのに…ザンネン!
明日は仕事始めの方が多いことでしょうね。学校はいつも7日が職員会議で、8日が始業式でした…もう縁のない世界になってしまいましたが。でも、考えてみればあの忙しさを乗り越えられたのも若かったからで、今の方が…ああ、今もやっぱり忙しいんだった。これはきっと母譲りの貧乏性なんですよ。明日からまたガンバロウ。
写真は、護美袋ならぬ〝ぽち袋〟です。この〝ぽち〟というのは、広辞苑によると、「点」と書いて、〝心づけ。、祝儀。チップ〟をいう京阪方言なんですって。お年玉を入れて子供たちにあげていましたが、それももう昔のこと。いや、孫でもいれば別なんでしょうが…。ちなみに、お年玉は季語ですが、これは違いますからね。年末の高速道のSAで、ご自由にどうぞと言われて、可愛いので記念にいただきました。ホラ、カワイイでしょ!女の子が喜びそう…