ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝雷〟と〝夕立〟

2019年07月29日 | 俳句

 今日の午前中は晴れで、山口の最高気温はナンと34度。しかし、宇部は30度ぐらいでしたが、午後からは曇り。ところが、3時ごろ急に空が真っ暗になったかと思うと、突然〝バリバリッ、ドーン〟という地響きがしました。ビックリして主人に〝今のは…雷よね〟というと、〝どうも近くに落ちた感じじゃの~〟と。すると今度は、ドーッと一斉に大粒の雨が降りだしました。要するに雷雨なんですが、これも夕立になるんでしょうね。だってしばらくすると止みましたから。

 さて、「雷」も「夕立」も夏の季語です。

  はたゝ神七浦かけて響(とよ)みけり      日野草城

  さつきから夕立の端にゐるらしき       飯島晴子

 草城の句は、「はたゝ神」が季語で、激しい雷のこと。「響む」は鳴り響くこと。この句では雷の激しさが〈七浦かけて〉でよく表わされています。この〈七浦〉というのは地名ではなく、7つの入り江、または7と限定しなくても〝たくさんの〟という意味にとってもいいでしょう。入り組んだ湾の全てに行き渡ってゴロゴロと鳴り響く激しい雷なんですよ。とにかくこの句のように簡単に言えそうで言えないのが俳句の難しいところ。名句といわれるものほど単純明快な句が多いですね。結局余分なものを削ぎ落としていかにスリムに、しかも焦点はしっかりと合わせて詠む。その上で心に語りかけてくるものがいいと。そんな句が詠めればどんなに嬉しいことでしょうが。

 晴子の句も平明で、何げなくボソボソッと呟いたような句ですが、奥坂まやさんの書かれた『飯島晴子の百句』の中の、この句の頁を読むと、そうそう簡単に何の苦労もなくできた句ではないということが分かります。参考までにみなさんにも紹介しますね。

 晴子は「私の俳句技法」に、「つくらねばならないという状態に気持を強く集中することが第一」で、そのためには「他力、即ち締め切りが最も有効」「作句に入る前には必ず吟行する」「俳句をつくる必要のないときは、何に出会っても一句が成ったという覚えは唯(ただ)の一度もない」と断言している。

 掲句も、投句のために近所を吟行した際、雨が降ったり日が射したりしていた景を「何とか言葉にしようとして『夕立の端』という言葉を得た」と記すように、一心不乱の精神がもたらした写生句。

 ついでに言いますと、俳句では「夕立」を普通は「ゆうだち」と読みますが、音数の関係で「ゆだち」とも読みます。「夕焼」も同じく「ゆやけ」と。こういう特殊な読み方には慣れるしかありませんので、せっせと使って詠んでみることですね。さあガンバロウ!

 

 

  

コメント
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