ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

表記も俳句の〝身のうち〟

2019年07月15日 | 俳句

 今日は久し振りに朝から太陽の顔が拝めて嬉しい。これで洗濯物が解消します。ああ、アリガタヤ! 

 先日より雨が続いていましたが、それほど強くはありませんでした。一昨夜も大雨注意報がスマホのメールに入りましたので、そんなにヒドいのかしらと心配していたのですが、大したことはなし。あの注意報はナンだったの?という感じ!

 まあ、この程度なら…いや、いや、もう少し降った方がいいかも。ただ長びくと洗濯物が困りますけどね~。

 昨日は投句の締切が本日なので、朝から今月分の句をまとめて、あれこれ推敲していました。そうするとすぐに時間が経ってしまいます。ちょうど雨も降って他のことができませんでしたので、いい具合に俳句に集中することができました。

 ところで、土曜日の午後の俳句教室でのこと。5月に入会して始められたばかりのHさんんの句〈花みかんまごを背おいてまつ電車〉について考えてみましょう。先ずこの句平仮名が多いですね。他の4句にも半分以上が平仮名ばかり…

 これはとても大事なことなんですよ。俳句は意味が分ればいいというもんではありません。第一印象が大事!いうなら〝見てくれ〟がいい方がいいということ。だから表記というのはその印象の決め手になるんです。

 片仮名や平仮名ばかりだと何だか幼稚で軽そう…漢字ばかりだと固くて重そうですね。また、漢字で書けば目に入った瞬間に意味が分りますが、仮名だとさっぱりです。特に上五が漢字だと、意味がすぐに頭に入って中七下五への想像を安易に促します。しかし、仮名だとどこで切って読んだらいいのかとか、最後まで読まないと分からないとか、理解までに時間が掛かかってしまいます。さらに日本語には同音異義語が多数ありますので、どの意味なのかを判定するという手間も掛かります。

 そもそも俳句というものは平明で、〝一読明解〟な句がいいとされています。仮名で書いたばっかりに間違って解釈されるという句も過去にたくさんありましたもの。即ち、表記も大事な俳句表現の一つ、即ち俳句の〝身のうち〟なんですよ。ここを漢字にするか仮名にするかということは、よくよく考えましょう。一言助言するならば、間違われやすいものは漢字がいいし、また、その漢字の醸し出す雰囲気や手ざわり(見た目の触感です)が季語の連想に役立つものなら大いに使いたいものです。

 例えば、藤田湘子の『俳句作法入門』でも、表記について次のように書いてあります。

 「このごろ、薔薇をバラと書くひとがふえましたね」

 「ああ、あれは嫌だね」

 秋櫻子・風生の雑談の中に出て来た言葉である。たしか「馬醉木」四百号の対談がすんで、両巨匠が気楽に話し合っておられたときのことだから、もう三十年以上も前の話である。三十年前のことを今なおなまなましく記憶しているのは、編集者としてその場に居あわせた私が、俳句の表記のおろそかならぬことを教えてもらった、ということを痛切に感じたからであろう。(中略)

 したがって薔薇をバラと書くのを嫌悪した両巨匠のやりとりは、もはやはるかな過去のこと、「そんな感覚、古い古い」といってすませてしまう作者も少なくないと思うが、私は違う。むしろ、そんなことをいう作者のほうが軽佻浮薄、俳句を作ろうと思わぬほうがいい、と忠告してやりたい。

 薔薇と書く。今やむずかしい字の部類に入る。けれども、この漢字を見ていると、あの複雑な花びらのひとつひとつによって容づくられた薔薇という花が、見えてくる。私はまぎれもなくそう感じる。

 では、この句でいうとするならば、せめて〈花みかん孫を背負ひて待つ電車〉ぐらいにはしたいですね。〈花みかん〉は夏の季語で、香りの良い白い可憐な花ですから重い漢字にするよりこのままの方が似合うでしょう。ほら、上掲の句と見比べてみて下さい。ぐっと変るでしょ!

 初心者ですからこれはこのままでもいいと思ったのですが、せっかくのいい句材ですので、私は、〈子を背負ひ始発待ちをり花みかん〉と添削しました。この作者も今は分からなくてもその内この方がいいと思うでしょう。〈孫〉は〈子〉で、〈電車〉も〈始発〉で十分伝わりますし、すがすがしい朝の空気の中に漂ってくる蜜柑(みかん)の花の香り、間近に咲いていれば花の白さも…

 写真は、5月17日の我が家の〝花みかん〟です。今年は花が少なくて…八朔が食べられないかも!

 

コメント (2)
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