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八十七番 寂蓮法師

2014年11月10日 | 百人一首

村雨の 露もまだ干ぬ 真木の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

村雨が通り過ぎて、まだそのしずくも乾かない真木の葉のあたりに、霧がほの白く立ち上っている、物寂しい秋の夕暮れだ。

村雨の 「村雨」は、にわか雨。秋から冬にかけて、急に激しく降る通り雨。「の」は、連体修飾格の格助詞。
露もまだひぬ 「露」は、雨露。「も」は、強意の係助詞。「ひ」は、ハ行上一段の動詞「干る」の未然形。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。
真木の葉に 「真木」は、檜・杉・松などの常緑樹の総称。とくに、良質の木材となる檜をさす。「に」は、場所を表す格助詞。
霧立ちのぼる 「霧」は、細かい水滴が立ちこめて煙のようになったもの。平安時代以降は、春に立つものを霞、秋に立つものを霧と区別するようになった。
秋の夕暮れ 体言止めにより、感動を表す。

寂蓮法師には、この歌の他に、秋の夕暮れを詠んだ代表作があり、他の二人の作品と併せて三夕の歌という。
さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ (寂蓮法師)
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ (西行法師)
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ (藤原定家)


じゃくれんほうし (?~1202)
寂蓮 俗名は、藤原定長 (ふじわらのさだなが)  藤原俊成の甥。はじめ俊成の養子であったが、俊成に実子定家がうまれたため、出家。『新古今和歌集』の撰者の一人となったが、完成前に没した。

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