橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #401≪わかりやすさ≫

2020年09月11日 | EHAGAKI


まだまだ暑さ対策が必要な9月、油断ならないCOVID-19
くれぐれもご自愛下さい


俳句の魅力は、一口にいふと
複雑な対象を極度に単純化して
叙述を節してひと息に表現することにあると思ふ

複雑なものは複雑なまま、多元のものは多元のままに
詠まうといふ新しい方法も今日広く行なわれてゐるし
その方が、 現代の俳句といへるのかもしれないが
俳句独自の魅力は弱まるのではないか

これは
江東区北砂5丁目にある「石田波郷記念館」
に掲げられた一文です

夜10時、テレビの音を消し
ニュース系のラジオを聴きます

ラジオでは問題点や今後の方向性や留意点を丁寧に解説
テレビと同じニュースが同時進行するケースが多々あります

テレビは
「ひつこい程のテロップ」で
時々眺めるだけで充分理解できます

本を見たり(読む程ではありませんが)、
楽器やカメラを触ったり
食事をしたり、この文章を書いたり

テレビに代表される「わかりやすさ」を求める世間

わかりやすい説明
誰が説明している?
解かる?
そのこと、って複雑に入り組んでいますよね
その為に(お医者さんのような)専門家がいますよね

ビジネスにおけるプレゼンが
あらゆる分野に影響しているのでは?

稲盛和夫氏曰く
バカな奴は単純なことを複雑に考える
普通の奴は複雑なことを複雑に考える
賢い奴は複雑なことを単純に考える

ビジネス目線でみると実に正しい、と思えます
いや、思っています

それを同じ土俵で語ってはいけない、ということを承知の上で
しかも
本の要約みたいなこのEHAGAKIを出している
私が言うのもなんですが

複雑なものは複雑なまま多元のものは多元のままに
複雑な対象を極度に単純化するのは如何なものか、と

今回のお題は

「わかりやすさの罪」
武田砂鉄(著)朝日新聞出版 (2020/7/7)

から



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

◆出版社からのコメント

「わかりやすさ」の妄信、あるいは猛進が
私たちの社会にどのような影響を及ぼしているのだろうか

「すぐにわかる! 」に頼り続けるメディア
ノウハウを一瞬で伝えたがるビジネス書
「4回泣ける映画」で4回泣く人たち

「どっち?」との問いに
「どっちでもねーよ!」と答えたくなる機会があまりにも多い日々

私たちはいつだって、どっちでもないはず
納得と共感に溺れる社会で与えられた選択肢を疑うための一冊


【目次】

はじめに
1 「どっちですか?」の危うさ
2 「言葉にできない」
3 要約という行為
4 「2+3=○」「○+○=5」
5 勝手に理解しないで
6 理解が混雑する
7 「一気にわかる!」必要性
8 人心を1分で話すな
9 なぜそこで笑ったのか
10 なぜ笑うのか、なぜ笑えないのか
11 全てを人に届ける
12 説明不足
13 「コード」にすがる
14 ノイズを増やす
15 4回泣けます
16 コーヒーを吹くかもしれない
17 深いって何だろう
18 見せかけの優位
19 偶然は自分のもの
20 わざと雑にする
21 そんなこと言ってないのに
22 自分に迷わない人たち
23 みんなで考えすぎ
24 人はいつもぐちゃぐちゃ
おわりに
コロナ禍の「わかりやすさ」の中で

◆「まえがき」から

本書の基となる連載を「わかりやすさの罪」
とのタイトルで進めている最中に
池上彰が「わかりやすさの罠」(集英社新書)を出した

書籍としては、本書のほうが後に刊行されることになるので
タイトルを改めようと悩んだのだが、当該の書を開くと

「これまでの職業人生の中で私はずっと
『どうすれば分かりやすくなるか』
ということを考えてきました」と始まる

真逆だ

自分はこの本を通じて
「どうすれば『わかりやすさ』から逃れることができるのか」
ということをずっと考えてみた

罠というか、罪だと思っている

「わかりやすさ」の罪についてわかりやすく書いたつもりだが
結果、わかりにくかったとしても、それは罠でも罪でもなく
そもそもあらゆる物事はそう簡単にわかるものではない


◆橋長感想文

「わかったつもりの人」が
「わかりやすい言葉」を使ってなされるネット暴力

「オレでも解る様に説明しろ」と
「説明責任という便利な言葉」を駆使して要求
それに対する中身ではなく
その「態度や言葉尻」を二択で決めてそれを評価とする

この本の主張(たぶん)
「わからないを大事にする」ということは

複雑なものは複雑なまま、多元のものは多元のままに
物事の有様を順を追って考える
自分で考えろ、ということか

「心地よい音」の俳句や文章
何十年後に「あ、そういゆ意味だったのか」
と腑に落ちることがある

それでも良いのでは、と思う

◆2005年12月21日にこんなコトを紹介していました

最良の そして最悪の時代
https://blog.goo.ne.jp/kanbai-banjo/e/db792d5ce23defadea0dc38841dfdc36

2005年から2014年の未来予想です

1994年
アマゾン設立、創業者の夢は「すべてを売ること」
1998年
二人の若者がグーグルを設立
 ・・・
2008年
グーグルとアマゾンが合併 “グーグルゾン”
個人一人一人の人間関係も含めたあらゆる情報網を構築

2010年
あらゆる書物、個人からの情報を用い
コンピュータが自動的に記事を作成
~各個人にカスタマイズされたニュースを配信

2011年
眠れる第四の権力が最後の抵抗をする 
つまり ニューヨークタイムズがグーグルゾンを著作権をめぐり提訴
しかしグーグルソンの勝利に終わる

2014年
グーグルゾンが“EPIC”を公開
ブログの書込みなど様々な記事の人気度に応じて広告収入が発生
フリーランスの編集者が急増

記事・情報は自由に組み合わされる
それは「世界の要約」である 

一方それは嘘が多く、扇情的である・・・
しかし 我々は“EPIC”を選ぶ

ニューヨークタイムズは精一杯の抵抗として
紙媒体のみの情報発信となる 
しかし、進むべき道は他にもあっただろう

当時のリンクは無くなっていましたが、解説がありました

“Google+Amazon=Googlezon”の
出現を予言するムービー「EPIC 2014」を読み解く
https://i.impressrd.jp/l288/e20080411482


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

「わかりましたか?」
「ほっといてくれ」

という心境であります

まだまだ出歩くのを憚れます
ご近所、江東区ゆかりの俳人
「石田波郷」の痕跡をフィルムカメラで撮ろう
と思っている今日この頃です



厳しい時は続きます
皆様におかれましても
心の栄養補給は怠らない様、ご自愛下さい


ではまた