高橋秀実 平成21年 新潮文庫版
(著者名ホントは橋さんなんですが、環境依存文字なので。)
村上春樹の『雑文集』のなかに、この本のために書いた“解説”が収められていて、それでとても興味を持ったので、読んでみた。
この文庫版にも同じ解説「僕らが生きている困った世界」が巻末にある。
そこで村上さんは、ノンフィクションの書き手の高橋秀実の三要素として「1とてもよく調査をする。2正当な弱りかたをする(せざるを得ない)。3それをできるだけ親切な文章にする。」という特徴があるとまとめている。
このなかの「正当な弱りかた」が一つのキーで、それでどうなるかというと「ほとんどの場合(略)結末に結論はない。」ことになる。
世のなかのいろんな問題を、よく調べて考えてみれば、そんな簡単に、こうすればいいとか、こっちが正しいとかって結論は出ないんである。
そのへん、テレビをはじめとするメディアの「わかりやすさ」至上主義みたいな最近の傾向を嫌ってる私には、読んでておもしろいというか気持ちよいものがあった。これは困ったことになってるなあ、が結論でもいいぢゃない。
著者によれば、この本のタイトルは、日本の民主主義はからくりだとかっていうんぢゃなくて、「からくり民主―主義」と読むんだそうで、「からくり民主」ってのは何かっていうと、「『みんな』を主にする」こと。
>一人ひとりとは別に「みんな」をつくって、それを主役にするのです。テレビ局や新聞社が躍起になって世論調査をするのも、「みんな」をつくるためです。「世論」「国民感情」「国民の声」などと呼ばれるもので、こうして主役を固定し、自分たちはその「代弁」という形で発言するのです。(略)「みんな」を主にすれば、怖いものなしです。
って終章に書いてあるけど、卓見です。
序章 国民の声―クレームの愉しみ
第1章 親切部隊―小さな親切運動
第2章 自分で考える人びと―統一教会とマインドコントロール
第3章 忘れがたきふるさと―世界遺産観光
第4章 みんなのエコロジー―諫早湾干拓問題
第5章 ガリバーの王国―上九一色村オウム反対運動
第6章 反対の賛成なのだ―沖縄米軍基地問題
第7章 危険な日常―若狭湾原発銀座
第8章 アホの効用―横山ノック知事セクハラ事件
第9章 ぶら下がり天国―富士山青木ヶ原樹海探訪
第10章 平等なゲーム―車椅子バスケットボール
終章 からくり民主主義―あとがきに代えて
各章のサブタイトルをみると、初出のころの90年代後半以降のいろんな社会問題があるんだけど。
たとえば沖縄米軍基地なんかだと、マスコミに言わせれば「みんな」反対=アメリカ出てけなんだろうけど、実際には軍用地を所有していると借地料が入るから、カネを生みだす奇妙な資産であって、高値で取引できる商品なんだという。
「基地が返還されたら大変です。あの土地はフェンスの向こうにあるからいいんです。返ってきたら財産争いで大変なことになってしまいます。(略)」とか「このままでないと困るんです。いまさらあの山をどうしろっていうんですか?」(※山には四万発以上の不発弾が埋まっていて利用できないの意)とかって地元の青年の発言を読むと、外野が賛成だ反対だって簡単に言えることぢゃなくて、やっぱ困ったもんだなあとしか言いようがない。
諫早湾干拓問題でも、「諫早湾周辺ではヨソから来る環境保護運動のことを、皮肉を込めて「趣味の人たち」と呼んでいる。」なんて一節があって、地元では「ムツゴロウが可哀相」とか言ってりゃいいような単純なレベルぢゃない、複雑な問題だってことを教えてくれている。
世のなかは、そんなに簡単ではない。「みんな」を主語にして、ものごとを一方的な視点からみるのはたいがいにしましょう。
(著者名ホントは橋さんなんですが、環境依存文字なので。)
村上春樹の『雑文集』のなかに、この本のために書いた“解説”が収められていて、それでとても興味を持ったので、読んでみた。
この文庫版にも同じ解説「僕らが生きている困った世界」が巻末にある。
そこで村上さんは、ノンフィクションの書き手の高橋秀実の三要素として「1とてもよく調査をする。2正当な弱りかたをする(せざるを得ない)。3それをできるだけ親切な文章にする。」という特徴があるとまとめている。
このなかの「正当な弱りかた」が一つのキーで、それでどうなるかというと「ほとんどの場合(略)結末に結論はない。」ことになる。
世のなかのいろんな問題を、よく調べて考えてみれば、そんな簡単に、こうすればいいとか、こっちが正しいとかって結論は出ないんである。
そのへん、テレビをはじめとするメディアの「わかりやすさ」至上主義みたいな最近の傾向を嫌ってる私には、読んでておもしろいというか気持ちよいものがあった。これは困ったことになってるなあ、が結論でもいいぢゃない。
著者によれば、この本のタイトルは、日本の民主主義はからくりだとかっていうんぢゃなくて、「からくり民主―主義」と読むんだそうで、「からくり民主」ってのは何かっていうと、「『みんな』を主にする」こと。
>一人ひとりとは別に「みんな」をつくって、それを主役にするのです。テレビ局や新聞社が躍起になって世論調査をするのも、「みんな」をつくるためです。「世論」「国民感情」「国民の声」などと呼ばれるもので、こうして主役を固定し、自分たちはその「代弁」という形で発言するのです。(略)「みんな」を主にすれば、怖いものなしです。
って終章に書いてあるけど、卓見です。
序章 国民の声―クレームの愉しみ
第1章 親切部隊―小さな親切運動
第2章 自分で考える人びと―統一教会とマインドコントロール
第3章 忘れがたきふるさと―世界遺産観光
第4章 みんなのエコロジー―諫早湾干拓問題
第5章 ガリバーの王国―上九一色村オウム反対運動
第6章 反対の賛成なのだ―沖縄米軍基地問題
第7章 危険な日常―若狭湾原発銀座
第8章 アホの効用―横山ノック知事セクハラ事件
第9章 ぶら下がり天国―富士山青木ヶ原樹海探訪
第10章 平等なゲーム―車椅子バスケットボール
終章 からくり民主主義―あとがきに代えて
各章のサブタイトルをみると、初出のころの90年代後半以降のいろんな社会問題があるんだけど。
たとえば沖縄米軍基地なんかだと、マスコミに言わせれば「みんな」反対=アメリカ出てけなんだろうけど、実際には軍用地を所有していると借地料が入るから、カネを生みだす奇妙な資産であって、高値で取引できる商品なんだという。
「基地が返還されたら大変です。あの土地はフェンスの向こうにあるからいいんです。返ってきたら財産争いで大変なことになってしまいます。(略)」とか「このままでないと困るんです。いまさらあの山をどうしろっていうんですか?」(※山には四万発以上の不発弾が埋まっていて利用できないの意)とかって地元の青年の発言を読むと、外野が賛成だ反対だって簡単に言えることぢゃなくて、やっぱ困ったもんだなあとしか言いようがない。
諫早湾干拓問題でも、「諫早湾周辺ではヨソから来る環境保護運動のことを、皮肉を込めて「趣味の人たち」と呼んでいる。」なんて一節があって、地元では「ムツゴロウが可哀相」とか言ってりゃいいような単純なレベルぢゃない、複雑な問題だってことを教えてくれている。
世のなかは、そんなに簡単ではない。「みんな」を主語にして、ものごとを一方的な視点からみるのはたいがいにしましょう。
