ゲームホリック

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新世紀エヴァンゲリオン2forPSP改め新世紀エヴァンゲリオン2~造られしセカイ~

2006年02月05日 | ゲーム

 GAINAX.NET『新世紀エヴァンゲリオン2another cases』
 
 原作付きゲームを作ると言うことが難しいだろうと言うことは想像に難くない。殊にその原作がテーマ性を強く孕んでいるものだと。つまりはアニメで言えば『エヴァンゲリオン』以降のエピゴーネン群、その他影響下にあるものなんかだ。
 何故かと言えば、表現のテーマが物語の奥に秘められているとキャラクターや設定はその表現をするための駒、副次的なものとなる。絶対ではないが。少なくとも大本の『エヴァ』はまさにそうである。

 当然にゲーム化し辛い。旧来のアニメ作品などならば、大抵は世界は善と悪で成り立っており、毎回の物理的戦いによって話が進む。テーマが存在したとしても大枠はその善と悪の対立。だが『エヴァ』では敵との戦闘は物理的なものに限られない。精神攻撃によって内面に向き合わされたりする。また厄介なのは敵ばかりではない。作品の中では主人公を始めとしてキャラクターが葛藤する。これがテーマ性の発現であり、物語の核の一つである。よって『エヴァ』の魅力なのである。だが一体どうやってゲームに出来るのか、普通出来ない。だから過去の『エヴァ』ゲームでは『エヴァ』に真剣に向き合ってこなかった。アドベンチャーゲームにしたり、カードを集めたり、マージャンさせたり、使徒をたまごっちのように養育するだけだった。そこに『エヴァ』である必然性はない。『エヴァ』という題材も全く生きていない。

 例外はベック開発のニンテンドー64ソフト『新世紀エヴァンゲリオン』とアルファシステム開発のプレイステーション2用ソフト『新世紀エヴァンゲリオン2』だけだ。前者はストーリー、特に使徒との戦闘に徹し、後者はテーマ性に徹した。これはもう『エヴァ』との格闘だ。特に『エヴァ2』のシステムには感動すら覚えた。システム自体がもう『エヴァ』なのだ。面白いかどうかはともかくとして、真剣に『エヴァ』と向き合い、『エヴァ』をゲームに落とし込んでいる。

 その『エヴァ2』のPSP移植版が正式に発表された。発売日、タイトルも発表された。内容は芝村ディレクター曰く、半分以上作り直しているので移植とは言えないそうな。確かに今週号のファミ通の記事を見ると霧島マナらしきキャラクターも確認できる。期待してよいかもしれない。だが残念なこともある。『エヴァ2』の試用版で実装されていたと言うコスチュームの要素はどうも今作でも実装されていないようだ。よってCEROも前作と同様に収まるかもしれない。自己中を承知で言えば、『エヴァ』は私たちの世代のものであり、私たちの世代に合わせて欲しかった。今の中高生のものでは決して無い。


 『造られしセカイ』というサブタイトルはエヴァファンからの批判に対して芝村氏が皮肉で答えたのかな。
追記:もちろん買う。でも一体どこまで改善されているかと言うと疑問な点が多い。某所の商品情報を見ると新規イベントらしき一場面が。どうも毒にも薬にもならないような前作の犬イベントのようなものが増加されているだけかもしれない。