ゲームホリック

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ガンパレードマーチの自由

2005年08月20日 | ゲーム
 近年『ガンパレードマーチ』をはじめとして、その特徴に自由度を挙げられるゲームが数多く登場している。「○○が出来る、××が出来る」という言葉で形容される。だがそれらのゲームはすべて例外なく、”自由”ではない。自由であるとすれば、自由のように感じさせる物に過ぎない。
 本当に真の意味で自由であるならば、そのゲームにはルールも、現実世界の価値観すら存在し得ない。過去にこのようなゲームはあったが、一部の熱心なユーザー以外にはあまり受け入れられなかったと記憶している。純粋な自由と言うものを享受する能力をもつ人間は少数だ。多くの人間は既成の既成の中での、抑制された自由でしか自由を享受できないのだ。
 『ガンパレードマーチ』はまさに抑制された、不自由の中の自由を楽しむゲームだ。『ガンパレ』は確かに自由である。プレイヤーの意思によって友達も作れるし、孤独にもなりうる。授業に出てもいいし、出なくてもいい。異性との恋愛はもちろんだが、同姓でも可能だ。また敵と戦ってもいいし、戦わなくてもいい。他のゲームと比べれば、プレイヤーに任される部分は多い。やれる事が多い。しかしそれは自由なのか。
 出来ることが多いとはいえ、それ現実世界の箱庭でしかない。つまりはその行動規範はやはり既成概念によって拘束されていることを意味する。ゲーム世界が現実世界の箱庭である以上、真の意味での自由などありえない。本当に自由であったとしたならば、多くのプレイヤーは置いてけぼりになってしまう。またそんなゲームは今の段階では作りようが無い。あるとすれば、ひとつの何も無い世界とプレイヤーキャラクターを用意し、あとはプレイヤーの想像力にゆだねる、そんなゲームだけだろう。

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